1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Gioacchino Rossini: Sonate a quattro No.1 in G major
◈Gioacchino Rossini: Sonate a quattro No.2 in A major
◈Gioacchino Rossini: Sonate a quattro No.3 in C major
◈Gioacchino Rossini: Sonate a quattro No.4 in B flat major
I Musici
(Rec. 10-15 June 1971, La Tour-de-Peilz, Switzerland)
◈Gioacchino Rossini: Sonate a quattro No.5 in E flat majorI Musici
(Rec. 10-15 September 1971, La Tour-de-Peilz, Switzerland)
◈Hugo Wolf: Italian Serenade in G majorI Musici
(Rec. June 1966, Sala Ateneo Antoniano, Roma)
CD2:
◈Gioacchino Rossini: Sonate a quattro No.6 in D major
I Musici
(Rec. 10-15 September 1971, La Tour-de-Peilz, Switzerland)
◈Giovanni Bottesini: Grand Duo Concertante for violin, double-bass and OrchestraLuciano Vicari (Vn)
Lucio Buccarella (Cb)
Lucio Buccarella (Cb)
I Musici
(Rec. 10-15 September 1971, La Tour-de-Peilz, Switzerland)
◈Felix Mendelssohn: Octet in E flat major, op.20I Musici
(Rec. June 1966, Sala Ateneo Antoniano, Roma)
イ・ムジチは、1951年にローマ聖チェチーリア音楽院のレミー・プリンチペらのクラスで学んだOBたちで結成された合奏団です。1952年のヴェネツィアの音楽祭でデビューし、アルトゥーロ・トスカニーニから「世界最高」のお墨付きをもらって国際的に知られるようになりました。日本では主にアントニオ・ヴィヴァルディの作品演奏で広く知られましたが、19世紀から20世紀の作品もレパートリーに加えています
本CDでは、ジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Rossini, 1792-1868)の弦楽ソナタ集を中心に、フーゴー・ヴォルフ(Hugo Wolf, 1860-1903)の《イタリアのセレナード》、ジョヴァンニ・ボッテジーニ(Giovanni Bottesini, 1821-1889)によるヴァイオリンとコントラバスのための《グラン・デュオ・コンチェルタンテ》、フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn, 1809-1847)の八重奏曲が演奏されています。
ロッシーニの作品は、12歳の時の作品。ロッシーニは、幼少時から玄人顔負けのアマチュア音楽家の両親から教育を受けており、ナポレオン・ボナパルトの席巻の反動で一家離散の危機に陥った時にも、移住先のボローニャでチェンバロや作曲を学んでいます。この曲が完成した頃には、住んでいるところの教会音楽家だったジュゼッペ・マレルビの指導を受け、音楽院への入学も検討していました。この曲を書く動機になったのは、ロッシーニの住んでいたところの地主で音楽愛好家のアゴスティーノ・トリオッシの依頼です。トリオッシ自身はコントラバスを好み、彼の親戚もヴァイオリンやチェロを演奏するということで、作曲者自身もヴァイオリンを持ち、2挺のヴァイオリンとチェロとコントラバス各1台という変則的な編成のこの曲を、その仲間内で演奏しています。
仕上げられた6曲はどれもコンパクトな三楽章構造の作品ながら、第6番のソナタの終楽章は「テンペスト」と名付けた描写音楽となっています。
この曲を仕上げた後、ロッシーニは音楽院に入学してすぐに一人前の作曲家として認められ、オペラ作家として成功しました。
ヴォルフの《イタリアのセレナード》は、1887年に弦楽四重奏曲を作曲する計画の中で作曲されたもの。計画はそのまま頓挫し、第1楽章になる予定だった音楽だけが残されました。1892年には、オーケストラ用に編曲されましたが、弦楽合奏や弦楽四重奏でも演奏できます。
ボッテジーニの作品は、弦楽合奏とヴァイオリンとコントラバスのための作品ですが、弦楽合奏をオーケストラ用に直したものもあります。ボッテジーニは、ルイジ・ロッシ門下のコントラバシストでしたが、同級生だったルイジ・ネグリと共演するために、1880年にこの曲を書き上げ、ネグリと一緒に初演して喝采を浴びています。しかし、ニコロ・パガニーニの唯一の弟子として知られたカミーロ・シヴォリと共演することになった際に片方のパートをヴァイオリン用に移し、現在はその形が定着しています。
メンデルスゾーンの八重奏曲は、メンデルスゾーンが1825年に作曲した作品。当時メンデルスゾーンにヴァイオリンを教えていた若手ヴァイオリニストのエドゥアルト・リーツの誕生日プレゼントとして作ったようです。メンデルスゾーン自身もこの曲を結構気に入っていたらしく、ピアノ連弾用に編曲したり、後に作ることになる交響曲第1番にこの曲の楽章を引用したりしています。
この八重奏曲は、ルイ・シュポアの複弦楽四重奏曲と同じ編成ですが、シュポアのほうが弦楽四重奏団同士の拮抗を企図しているのに対し、メンデルスゾーンはその図式を採用せず、自筆譜にわざわざ「交響曲のスタイルで」と注意書きを記し、8人が混然一体となって弦楽合奏に興じることを求めています。
イ・ムジチの演奏は、ヴィヴァルディの作品演奏と変わらない、よく練り上げられたアンサンブル。ロッシーニの作品では、屈託のないメロディを明朗に歌い上げています。ただ、どの曲も同じような味付けなので、もう少し変化が欲しくなるかもしれません。一枚目のCDの最後に小休憩のように置かれたヴォルフの《イタリアのセレナーデ》は、気まぐれに楽想が入れ替わり、技巧的に各パートが乱舞するので、予定調和的なロッシーニの音楽に飽きた耳にはとりわけ楽しく聴こえます。
ボッテジーニの作品では、ヴァイオリンのルチアーノ・ヴィカーリ(Luciano Vicari, 1932-2000)と、コントラバスのルチオ・ブッカレッラ(Lucio Buccarella)がソリストとして登場しています。ヴィカーリは、1955年のパガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで三位入賞しており、なかなかの芸達者ぶりを披露しています。しかし、それに輪をかけたブッカレッラのコントラバスのテクニックの巧さが素晴らしく、こういう名手がいつもアンサンブルの土台を支えていることを聴き手に頼もしく思わせます。ただ、イ・ムジチの空気は基本的に協和的なので、ドラマティックなボッテジーニのオペラを思わせる演出の点では食い足りなさも残ります。
メンデルスゾーンの曲では、少々メロディ・ラインを見つけて甘く歌い上げる所作が気になるものの、一丸となったアンサンブルの美しさは独特のものがあります。
本CDでは、ジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Rossini, 1792-1868)の弦楽ソナタ集を中心に、フーゴー・ヴォルフ(Hugo Wolf, 1860-1903)の《イタリアのセレナード》、ジョヴァンニ・ボッテジーニ(Giovanni Bottesini, 1821-1889)によるヴァイオリンとコントラバスのための《グラン・デュオ・コンチェルタンテ》、フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn, 1809-1847)の八重奏曲が演奏されています。
ロッシーニの作品は、12歳の時の作品。ロッシーニは、幼少時から玄人顔負けのアマチュア音楽家の両親から教育を受けており、ナポレオン・ボナパルトの席巻の反動で一家離散の危機に陥った時にも、移住先のボローニャでチェンバロや作曲を学んでいます。この曲が完成した頃には、住んでいるところの教会音楽家だったジュゼッペ・マレルビの指導を受け、音楽院への入学も検討していました。この曲を書く動機になったのは、ロッシーニの住んでいたところの地主で音楽愛好家のアゴスティーノ・トリオッシの依頼です。トリオッシ自身はコントラバスを好み、彼の親戚もヴァイオリンやチェロを演奏するということで、作曲者自身もヴァイオリンを持ち、2挺のヴァイオリンとチェロとコントラバス各1台という変則的な編成のこの曲を、その仲間内で演奏しています。
仕上げられた6曲はどれもコンパクトな三楽章構造の作品ながら、第6番のソナタの終楽章は「テンペスト」と名付けた描写音楽となっています。
この曲を仕上げた後、ロッシーニは音楽院に入学してすぐに一人前の作曲家として認められ、オペラ作家として成功しました。
ヴォルフの《イタリアのセレナード》は、1887年に弦楽四重奏曲を作曲する計画の中で作曲されたもの。計画はそのまま頓挫し、第1楽章になる予定だった音楽だけが残されました。1892年には、オーケストラ用に編曲されましたが、弦楽合奏や弦楽四重奏でも演奏できます。
ボッテジーニの作品は、弦楽合奏とヴァイオリンとコントラバスのための作品ですが、弦楽合奏をオーケストラ用に直したものもあります。ボッテジーニは、ルイジ・ロッシ門下のコントラバシストでしたが、同級生だったルイジ・ネグリと共演するために、1880年にこの曲を書き上げ、ネグリと一緒に初演して喝采を浴びています。しかし、ニコロ・パガニーニの唯一の弟子として知られたカミーロ・シヴォリと共演することになった際に片方のパートをヴァイオリン用に移し、現在はその形が定着しています。
メンデルスゾーンの八重奏曲は、メンデルスゾーンが1825年に作曲した作品。当時メンデルスゾーンにヴァイオリンを教えていた若手ヴァイオリニストのエドゥアルト・リーツの誕生日プレゼントとして作ったようです。メンデルスゾーン自身もこの曲を結構気に入っていたらしく、ピアノ連弾用に編曲したり、後に作ることになる交響曲第1番にこの曲の楽章を引用したりしています。
この八重奏曲は、ルイ・シュポアの複弦楽四重奏曲と同じ編成ですが、シュポアのほうが弦楽四重奏団同士の拮抗を企図しているのに対し、メンデルスゾーンはその図式を採用せず、自筆譜にわざわざ「交響曲のスタイルで」と注意書きを記し、8人が混然一体となって弦楽合奏に興じることを求めています。
イ・ムジチの演奏は、ヴィヴァルディの作品演奏と変わらない、よく練り上げられたアンサンブル。ロッシーニの作品では、屈託のないメロディを明朗に歌い上げています。ただ、どの曲も同じような味付けなので、もう少し変化が欲しくなるかもしれません。一枚目のCDの最後に小休憩のように置かれたヴォルフの《イタリアのセレナーデ》は、気まぐれに楽想が入れ替わり、技巧的に各パートが乱舞するので、予定調和的なロッシーニの音楽に飽きた耳にはとりわけ楽しく聴こえます。
ボッテジーニの作品では、ヴァイオリンのルチアーノ・ヴィカーリ(Luciano Vicari, 1932-2000)と、コントラバスのルチオ・ブッカレッラ(Lucio Buccarella)がソリストとして登場しています。ヴィカーリは、1955年のパガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで三位入賞しており、なかなかの芸達者ぶりを披露しています。しかし、それに輪をかけたブッカレッラのコントラバスのテクニックの巧さが素晴らしく、こういう名手がいつもアンサンブルの土台を支えていることを聴き手に頼もしく思わせます。ただ、イ・ムジチの空気は基本的に協和的なので、ドラマティックなボッテジーニのオペラを思わせる演出の点では食い足りなさも残ります。
メンデルスゾーンの曲では、少々メロディ・ラインを見つけて甘く歌い上げる所作が気になるものの、一丸となったアンサンブルの美しさは独特のものがあります。
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