1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
♢Wolfgang Amadeus Mozart: Piano Concerto No.24 in C minor, K491
Glenn Gould (Pf)
CBC Symphony Orchestra / Walter Süskind
(Rec. 17 January 1961, Massey Hall, Toronto)
◈Arnold Schoenberg: Piano Concerto, op.42Glenn Gould (Pf)
CBC Symphony Orchestra / Robert Craft
(Rec. 21 January 1961, Massey Hall, Toronto)
本CDのジャケットは、作者不詳の古い絵図とキュービズムっぽい絵が並置されています。古い絵図のほうは、聖堂の下に馬車や人影がまばらに描かれていて、その服装から18世紀から19世紀初頭あたりの作品ではないかと推測されます。もう一方の絵は、アメリカのキュービズムの画家、リオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger, 1871-1956)の《ゲルメローダVIII》です。同じ聖堂を題材にしても、時代が変わると絵の様態が変わるというわけですが、この絵図の並置は、本CDに収録している音楽のカップリングに準えられたものです。
本CDにカップリングされているのは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)のピアノ協奏曲第24番とアルノルト・シェーンベルク(Arnold Schoenberg, 1874-1951)のピアノ協奏曲です。ジャケットの題材である「聖堂」は「協奏曲」という概念と結びつき、一方の古い絵図はモーツァルトの作品に、他方のファイニンガーの絵はシェーンベルクの作品に見立てられていると考えられます。
本CDでピアノ独奏を担当するカナダ人ピアニストのグレン・グールド(Glenn Gould, 1932-1982)は、このCDの解説も自分で執筆していますが、その解説で協奏曲について「協奏曲という概念が現代の作曲技法の前では枠組みとしてほとんど使い物にならなくなっている」と述べています。彼のこの言を思い出しながらジャケットに並置された二つの絵を眺めれば、「最後のピューリタン」を自称したグールドの宗教に対する考え方に思いを致すことになります。
グールドは、その真偽はともかく、協奏曲を現代では使い物にならないものと見做しています。グールドの解説に従えば、協奏曲とは交響的かつ技巧的で独奏者を満足させるような素材を供給する努力の産物だということになりますが、グールドは、こうした協奏曲のコンセプトが19世紀では成功したためしがないと主張します。フランツ・リストやエドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲は交響的であることが理解されておらず、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ協奏曲も彼の交響曲ほどの成果が得られていないというのが、グールドの見解です。こうしたグールドの概念基準に照らし合わせて、「ピアノと管弦楽のための実質的な始発点と終着点」としてモーツァルトとシェーンベルクの各作品が選ばれました。
モーツァルトは、グールドにとって愛憎相半ばする作曲家。ことあるごとにモーツァルトを批判の的にするグールドですが、このピアノ協奏曲第24番は、解説では不平不満を書き立てながらも、コンサート活動から身を引く前に何度となく取り上げていました。
シェーンベルクは、グールドが殊の外愛着を持っていた作曲家で、作曲家としてのグールドの作品にも、シェーンベルクへの憧憬を感じさせる草稿があります。シェーンベルクのピアノ協奏曲は、独奏パートが難物ということに加え、カデンツァ以外の個所がオーケストラに従属する形で書かれている点が、交響的かつ技巧的で独奏者を満足させるというグールドの協奏曲への要件を満たしているとのこと。グールドは、モーツァルト以上のスペースを割いて、作品の核となる十二音技法を解説し、作品への深い理解を要求しています。
演奏に関しては、オーケストラの伴奏に一貫してCBC交響楽団を起用していますが、指揮者は別々に選んでいます。モーツァルトのほうは、チェコ出身のワルター・ジュスキント(Walter Süskind, 1913-1980)がタクトをとり、シェーンベルクのほうはロバート・クラフト(Robert Craft, 1923-)が担当しています。
ジュスキントは、アロイス・ハーバに作曲を学び、カレル・ホフマイスター門下のピアニストとしても実績のあった人。指揮法をジョージ・セルに学んだものの、第二次世界大戦中にナチスの脅威から逃れるべく、イギリスやオーストラリアを経由してアメリカのほうに渡ってきました。本録音時には、トロント交響楽団の首席指揮者としてグスタフ・マーラーなどの交響曲をカナダに積極的に紹介し、カナダにおける交響曲演奏の名人として知られていました。協奏曲の伴奏にも秀でていたジュスキントの伴奏は、ベートーヴェンの交響曲に繋がるような迫力を持たせながら、まるでグールドの手足のように息の合った絶妙の伴奏を行っています。
クラフトは、イーゴリ・ストラヴィンスキーのアシスタントとして活動したアメリカの音楽学者です。師のストラヴィンスキーの評伝を軸にシェーンベルクら新ウィーン楽派の研究でも知られ、指揮者としても活動しています。同時代の音楽のスペシャリストとして一家言のあった人だけに、グールドの相手として抜擢されたものと思われます。その解釈はストイックで明晰。感情的起伏の綾はグールドの仕事と割り切った職人芸的な共演です。
グールドの演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲では即興的に左手のパートを補強し、ジュスキントの雄渾さに負けないくらいの強面のピアノ演奏を聴かせます。第2楽章もジュスキントと協力してドイツ・ロマンティークに連なるような表情を濃厚に付けています。
シェーンベルクの作品では、やや殺伐としたクラフトの伴奏に潤いを与えるような、ポエジーを感じさせるピアノ演奏を披露しています。特に第3楽章が迫真の演奏。全体的には、モーツァルトを叱り、シェーンベルクにエールを送るような印象のアルバムですが、特にシェーンベルクの協奏曲は、大概の演奏の無味乾燥さとは一線を画し、シェーンベルクの作品の底流に19世紀的ロマンティシズムが流れていることを感得させる、奇特な演奏です。
本CDにカップリングされているのは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)のピアノ協奏曲第24番とアルノルト・シェーンベルク(Arnold Schoenberg, 1874-1951)のピアノ協奏曲です。ジャケットの題材である「聖堂」は「協奏曲」という概念と結びつき、一方の古い絵図はモーツァルトの作品に、他方のファイニンガーの絵はシェーンベルクの作品に見立てられていると考えられます。
本CDでピアノ独奏を担当するカナダ人ピアニストのグレン・グールド(Glenn Gould, 1932-1982)は、このCDの解説も自分で執筆していますが、その解説で協奏曲について「協奏曲という概念が現代の作曲技法の前では枠組みとしてほとんど使い物にならなくなっている」と述べています。彼のこの言を思い出しながらジャケットに並置された二つの絵を眺めれば、「最後のピューリタン」を自称したグールドの宗教に対する考え方に思いを致すことになります。
グールドは、その真偽はともかく、協奏曲を現代では使い物にならないものと見做しています。グールドの解説に従えば、協奏曲とは交響的かつ技巧的で独奏者を満足させるような素材を供給する努力の産物だということになりますが、グールドは、こうした協奏曲のコンセプトが19世紀では成功したためしがないと主張します。フランツ・リストやエドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲は交響的であることが理解されておらず、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ協奏曲も彼の交響曲ほどの成果が得られていないというのが、グールドの見解です。こうしたグールドの概念基準に照らし合わせて、「ピアノと管弦楽のための実質的な始発点と終着点」としてモーツァルトとシェーンベルクの各作品が選ばれました。
モーツァルトは、グールドにとって愛憎相半ばする作曲家。ことあるごとにモーツァルトを批判の的にするグールドですが、このピアノ協奏曲第24番は、解説では不平不満を書き立てながらも、コンサート活動から身を引く前に何度となく取り上げていました。
シェーンベルクは、グールドが殊の外愛着を持っていた作曲家で、作曲家としてのグールドの作品にも、シェーンベルクへの憧憬を感じさせる草稿があります。シェーンベルクのピアノ協奏曲は、独奏パートが難物ということに加え、カデンツァ以外の個所がオーケストラに従属する形で書かれている点が、交響的かつ技巧的で独奏者を満足させるというグールドの協奏曲への要件を満たしているとのこと。グールドは、モーツァルト以上のスペースを割いて、作品の核となる十二音技法を解説し、作品への深い理解を要求しています。
演奏に関しては、オーケストラの伴奏に一貫してCBC交響楽団を起用していますが、指揮者は別々に選んでいます。モーツァルトのほうは、チェコ出身のワルター・ジュスキント(Walter Süskind, 1913-1980)がタクトをとり、シェーンベルクのほうはロバート・クラフト(Robert Craft, 1923-)が担当しています。
ジュスキントは、アロイス・ハーバに作曲を学び、カレル・ホフマイスター門下のピアニストとしても実績のあった人。指揮法をジョージ・セルに学んだものの、第二次世界大戦中にナチスの脅威から逃れるべく、イギリスやオーストラリアを経由してアメリカのほうに渡ってきました。本録音時には、トロント交響楽団の首席指揮者としてグスタフ・マーラーなどの交響曲をカナダに積極的に紹介し、カナダにおける交響曲演奏の名人として知られていました。協奏曲の伴奏にも秀でていたジュスキントの伴奏は、ベートーヴェンの交響曲に繋がるような迫力を持たせながら、まるでグールドの手足のように息の合った絶妙の伴奏を行っています。
クラフトは、イーゴリ・ストラヴィンスキーのアシスタントとして活動したアメリカの音楽学者です。師のストラヴィンスキーの評伝を軸にシェーンベルクら新ウィーン楽派の研究でも知られ、指揮者としても活動しています。同時代の音楽のスペシャリストとして一家言のあった人だけに、グールドの相手として抜擢されたものと思われます。その解釈はストイックで明晰。感情的起伏の綾はグールドの仕事と割り切った職人芸的な共演です。
グールドの演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲では即興的に左手のパートを補強し、ジュスキントの雄渾さに負けないくらいの強面のピアノ演奏を聴かせます。第2楽章もジュスキントと協力してドイツ・ロマンティークに連なるような表情を濃厚に付けています。
シェーンベルクの作品では、やや殺伐としたクラフトの伴奏に潤いを与えるような、ポエジーを感じさせるピアノ演奏を披露しています。特に第3楽章が迫真の演奏。全体的には、モーツァルトを叱り、シェーンベルクにエールを送るような印象のアルバムですが、特にシェーンベルクの協奏曲は、大概の演奏の無味乾燥さとは一線を画し、シェーンベルクの作品の底流に19世紀的ロマンティシズムが流れていることを感得させる、奇特な演奏です。
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