1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Dmitri Shostakovich: Violin Concerto No.1 in A minor, op.77
Fredell Lack (Vn)
Berlin Symphony Orchestra / Siegfried Köhler
(Rec. 1981)
◈Karol Szymanowski: Violin Concerto No.2, op.61Fredell Lack (Vn)
Berlin Symphony Orchestra / Siegfried Köhler
(Rec. 1984)
ドミトリー・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1906-1975)のヴァイオリン協奏曲第1番(1947-1948年作)とカロル・シマノフスキ(Karol Szymanowski, 1882-1937)のヴァイオリン協奏曲第2番(1932-1933年作)のカップリング。
演奏は、フリーデル・ラック(Fredell Lack, 1922-)の独奏とジークフリート・ケーラー(Siegfried Köhler, 1923-)の指揮するベルリン交響楽団です。ベルリン交響楽団は、旧西ドイツのベルリン交響楽団と、旧東ドイツのベルリン交響楽団(現:ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)とが存在していました。東ドイツは社会主義国家だったので、基本的にアメリカの演奏家と共演はすることはありません。ラックはアメリカの演奏家で、このCDを作ったプロダクションもモス・ミュージック・グループ社(現:ヴォックス・ミュージック・グループ社)というアメリカのレコード会社です。さらに指揮をするケーラーも旧西ドイツの指揮者なので、旧東ドイツのベルリン交響楽団ということはありえません。
ショスタコーヴィチは旧ソ連の代表的な作曲家でしたが、ソロモン・ヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』が出版されて以降、時には政治当局が推進する「社会主義リアリズム」路線を出し抜いたり、反体制的な素振りを見せる作曲家だったことが知られるようになりました。
本CDに収録されているヴァイオリン協奏曲第1番が作曲されていた頃のショスタコーヴィチは、ソ連当局の幹部だったアンドレイ・ジダーノフによる批判にさらされており、十二音音楽の技法に接近していたこの曲は、政治当局の風当たりが弱まるまで封印されることになりました。ゆえに、初演は1955年10月29日のレニングラード(現:サンクトペテルブルグ)で、エフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮とダヴィト・オイストラフのヴァイオリン独奏で行われました。オイストラフは国外に演奏旅行に出かけるときはこの曲を積極的に取り上げ、今日のヴァイオリニストにとっての重要レパートリー化に一役買っています。
曲は〈夜想曲〉〈スケルツォ〉〈パッサカリア〉〈ブルレスケ〉の四つの楽章から成りますが、奇数楽章は陰鬱な緩徐楽章を形成し、偶数楽章はシニカルな響きのする派手な音楽に仕上げられています。
シマノフスキのヴァイオリン協奏曲は、作曲者の晩年の大作で、盟友のパヴェウ・コハンスキのアドバイスを受けながら作曲の筆を進めました。コハンスキは既に病を得て余命幾許もない状態でしたが、1933年の10月6日にワルシャワで行われた初演では椅子に腰かけてでも独奏者を務めあげ、およそ3カ月後に永眠しています。シマノフスキにとっても、この作品が最後のオーケストラ作品となりました。
曲は切れ目なしの単一楽章構成ながら、中間部にコハンスキの作ったカデンツァが挿入され、それを境に前半部と後半部に分けることができます。
本CDでヴァイオリンを演奏するラックは、オクラホマの生まれ。ウジェーヌ・イザイ門下のトスカ・クラーマーと、ヒューストン交響楽団のコンサート・マスターを務めていたジョセフィン・ブードローに師事し、ルイス・パーシンガーやイヴァン・ガラミアンの薫陶も受けていました。1951年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで三位入賞を果たしてからはヒューストンを本拠に演奏活動と教授活動に専心していましたが、最近音楽活動から引退をしたのだとか。
指揮者のケーラーはフライブルクの生まれで地元の大学で音楽を学び、ハイルブロン市立劇場のコレペティトゥーアとして研鑽を積んだ人。第二次世界大戦中は無線オペレーターとして働き、戦後はデュッセルドルフ歌劇場の指揮者として復帰しています。その後はケルン音楽院でオペラの授業を担当したり、ザールラント、ウィスバーデン、ストックホルムなどの歌劇場の音楽監督を歴任したりしていました。作曲家でもあり、ドイツの放送局のための音楽やオペレッタなどを制作しています。歌劇場の叩き上げとしての経歴と、作曲家としての読譜能力の高さから、ヴァーサタイルな指揮者として世界各国のオーケストラに客演しています。
肝心の演奏ですが、ショスタコーヴィチの作品に関しては、ヴァイオリン独奏について、緩徐楽章では初演者のような音の太さがどうしても足りず、ギリギリの感。ただ、この一杯一杯な感じが、作品に切迫感を持たせるまでに至っていないのが残念です。オーケストラもどこか能天気で、〈夜想曲〉ではショスタコーヴィチの書いた音がどういう配合になっているのかを気にしている風であり、ヴァイオリンをフォローしたり、煽ったりということはありません。〈パッサカリア〉でもオーケストラに厳かさが希薄でぬるま湯につかっているよう。独奏はなかなかの粘りを見せますが、後半のカデンツァでは手詰まり感があります。
〈スケルツォ〉と〈ブルレスケ〉に関しては、特に〈スケルツォ〉でラックの腕の冴えが際立ち、なかなかの名演奏です。間の手を入れるケーラーの指揮もテンポ感が良いものですが、オーケストラのアンサンブルは所々で危なっかしさがあります。〈ブルレスケ〉は押しつけがましい華麗さが不足し、破綻しないような安全運転の演奏。最後の猛烈な追い上げも猛烈さが足りません。
全体的に、作品から期待される厳かさや重厚さ、興奮や暴走感が得られない演奏で、それは意図してのものというよりも、オーケストラやソリストの限界に起因します。しかし、演奏として技術的に大きく破綻した演奏ではなく、作品のフォルムは押さえてあるので、この作品が醸し出すある種の暑苦しさに辟易としている向きには、この演奏が丁度いい塩梅かもしれません。
シマノフスキの作品演奏は、ポーランド勢のソリストの演奏と比べると小さくまとめてしまった感がありますが、ショスタコーヴィチの作品よりは相性がよく、表情の付け方の細やかさに自在感があって、なかなか美しい演奏に仕上げられています。ケーラーの指揮するオーケストラも曲を大きく膨らませる力はないものの、小奇麗に纏まっています。弦楽セクションの力がない分、管楽セクションの彩りにフランス音楽っぽさが残っていることがよくわかるのも、この演奏の収穫といったところでしょうか。
演奏は、フリーデル・ラック(Fredell Lack, 1922-)の独奏とジークフリート・ケーラー(Siegfried Köhler, 1923-)の指揮するベルリン交響楽団です。ベルリン交響楽団は、旧西ドイツのベルリン交響楽団と、旧東ドイツのベルリン交響楽団(現:ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)とが存在していました。東ドイツは社会主義国家だったので、基本的にアメリカの演奏家と共演はすることはありません。ラックはアメリカの演奏家で、このCDを作ったプロダクションもモス・ミュージック・グループ社(現:ヴォックス・ミュージック・グループ社)というアメリカのレコード会社です。さらに指揮をするケーラーも旧西ドイツの指揮者なので、旧東ドイツのベルリン交響楽団ということはありえません。
ショスタコーヴィチは旧ソ連の代表的な作曲家でしたが、ソロモン・ヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』が出版されて以降、時には政治当局が推進する「社会主義リアリズム」路線を出し抜いたり、反体制的な素振りを見せる作曲家だったことが知られるようになりました。
本CDに収録されているヴァイオリン協奏曲第1番が作曲されていた頃のショスタコーヴィチは、ソ連当局の幹部だったアンドレイ・ジダーノフによる批判にさらされており、十二音音楽の技法に接近していたこの曲は、政治当局の風当たりが弱まるまで封印されることになりました。ゆえに、初演は1955年10月29日のレニングラード(現:サンクトペテルブルグ)で、エフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮とダヴィト・オイストラフのヴァイオリン独奏で行われました。オイストラフは国外に演奏旅行に出かけるときはこの曲を積極的に取り上げ、今日のヴァイオリニストにとっての重要レパートリー化に一役買っています。
曲は〈夜想曲〉〈スケルツォ〉〈パッサカリア〉〈ブルレスケ〉の四つの楽章から成りますが、奇数楽章は陰鬱な緩徐楽章を形成し、偶数楽章はシニカルな響きのする派手な音楽に仕上げられています。
シマノフスキのヴァイオリン協奏曲は、作曲者の晩年の大作で、盟友のパヴェウ・コハンスキのアドバイスを受けながら作曲の筆を進めました。コハンスキは既に病を得て余命幾許もない状態でしたが、1933年の10月6日にワルシャワで行われた初演では椅子に腰かけてでも独奏者を務めあげ、およそ3カ月後に永眠しています。シマノフスキにとっても、この作品が最後のオーケストラ作品となりました。
曲は切れ目なしの単一楽章構成ながら、中間部にコハンスキの作ったカデンツァが挿入され、それを境に前半部と後半部に分けることができます。
本CDでヴァイオリンを演奏するラックは、オクラホマの生まれ。ウジェーヌ・イザイ門下のトスカ・クラーマーと、ヒューストン交響楽団のコンサート・マスターを務めていたジョセフィン・ブードローに師事し、ルイス・パーシンガーやイヴァン・ガラミアンの薫陶も受けていました。1951年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで三位入賞を果たしてからはヒューストンを本拠に演奏活動と教授活動に専心していましたが、最近音楽活動から引退をしたのだとか。
指揮者のケーラーはフライブルクの生まれで地元の大学で音楽を学び、ハイルブロン市立劇場のコレペティトゥーアとして研鑽を積んだ人。第二次世界大戦中は無線オペレーターとして働き、戦後はデュッセルドルフ歌劇場の指揮者として復帰しています。その後はケルン音楽院でオペラの授業を担当したり、ザールラント、ウィスバーデン、ストックホルムなどの歌劇場の音楽監督を歴任したりしていました。作曲家でもあり、ドイツの放送局のための音楽やオペレッタなどを制作しています。歌劇場の叩き上げとしての経歴と、作曲家としての読譜能力の高さから、ヴァーサタイルな指揮者として世界各国のオーケストラに客演しています。
肝心の演奏ですが、ショスタコーヴィチの作品に関しては、ヴァイオリン独奏について、緩徐楽章では初演者のような音の太さがどうしても足りず、ギリギリの感。ただ、この一杯一杯な感じが、作品に切迫感を持たせるまでに至っていないのが残念です。オーケストラもどこか能天気で、〈夜想曲〉ではショスタコーヴィチの書いた音がどういう配合になっているのかを気にしている風であり、ヴァイオリンをフォローしたり、煽ったりということはありません。〈パッサカリア〉でもオーケストラに厳かさが希薄でぬるま湯につかっているよう。独奏はなかなかの粘りを見せますが、後半のカデンツァでは手詰まり感があります。
〈スケルツォ〉と〈ブルレスケ〉に関しては、特に〈スケルツォ〉でラックの腕の冴えが際立ち、なかなかの名演奏です。間の手を入れるケーラーの指揮もテンポ感が良いものですが、オーケストラのアンサンブルは所々で危なっかしさがあります。〈ブルレスケ〉は押しつけがましい華麗さが不足し、破綻しないような安全運転の演奏。最後の猛烈な追い上げも猛烈さが足りません。
全体的に、作品から期待される厳かさや重厚さ、興奮や暴走感が得られない演奏で、それは意図してのものというよりも、オーケストラやソリストの限界に起因します。しかし、演奏として技術的に大きく破綻した演奏ではなく、作品のフォルムは押さえてあるので、この作品が醸し出すある種の暑苦しさに辟易としている向きには、この演奏が丁度いい塩梅かもしれません。
シマノフスキの作品演奏は、ポーランド勢のソリストの演奏と比べると小さくまとめてしまった感がありますが、ショスタコーヴィチの作品よりは相性がよく、表情の付け方の細やかさに自在感があって、なかなか美しい演奏に仕上げられています。ケーラーの指揮するオーケストラも曲を大きく膨らませる力はないものの、小奇麗に纏まっています。弦楽セクションの力がない分、管楽セクションの彩りにフランス音楽っぽさが残っていることがよくわかるのも、この演奏の収穫といったところでしょうか。
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