1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Sergei Taneyev: Concert Suite for Violin and Orchestra, op.28
Igor Bezrodny (Vn)
Moscow Philharmonic Orchestra / Kiril Kondrashin
(Rec. September 1951)
◈Jean Sibelius: Serenade No.1 in D major, op.69a◈Jean Sibelius: Serenade No.2 in G minor, op.69b
Igor Bezrodny (Vn)
USSR Radio Symphony Orchestra / Kiril Kondrashin
(Rec. 1953)
CD2:
◈Ludwig van Beethoven: Violin Concerto in D major, op.61
Igor Bezrodny (Vn)
USSR Symphony Orchestra / Gennady Rozhdestvensky
(Rec. 1963)
◈Ernest Chausson: Poème, op.25Igor Bezrodny (Vn)
Moscow Philharmonic Orchestra / Kiril Kondrashin
(Rec. 1953)
本CDは、シベリウス音楽院がイーゴリ・ベズロドニー(Igor Bezrodny, 1930-1997)のメロディア原盤の音源を復刻したものです。
ベズロドニーはアブラム・ヤンポリスキー門下のヴァイオリニストで、1947年のプラハ青少年音楽祭コンクール、1949年にはプラハのヤン・クベリーク国際ヴァイオリン・コンクール、1950年にライプツィヒのヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのヴァイオリン部門で共に優勝し、1951年に最年少でスターリン賞を受賞しています。1962年には母校であるモスクワ音楽院のヴァイオリン科教授に就任する傍らで、ニコライ・アノーソフ、ボリス・ハイキンやレオ・ギンスブルクらに指揮法を学び、1976年から1981年までモスクワ音楽院室内管弦楽団の首席指揮者を務め、指揮者としても才覚を示しました。
ベズロドニーとシベリウス音楽院、ひいてはフィンランド音楽界との結びつきは、1950年にまで遡ります。ヴァイオリン演奏の秀才としてフィンランドに演奏旅行に出かけたベズロードニーは、そこで手厚いもてなしを受け、1953年にはヤルヴェンパーのジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865-1957)の家を訪問してフィンランド音楽界との結びつきを深めています。度々フィンランドを訪れたベズロドニーは、しばしばマスター・クラスを開き、1986年からトゥルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めたり、1990年から亡くなるまでシベリウス音楽院のヴァイオリン科の教授を務めたりしていました。シベリウス音楽院がベズロドニーのメモリアル・アルバムを制作するのは、こうしたフィンランド音楽界への少なからぬ貢献を顕彰するという意味が込められています。
このアルバムの最初に収録されているのは、セルゲイ・タネーエフ(Sergei Taneyev, 1856-1915)の演奏会用組曲(協奏組曲)です。タネーエフは、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー門下のロシアの作曲家です。生前はピアニストであると同時に対位法の専門家として知られ、「ロシアのブラームス」といわれていましたが、タネーエフ自身はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを敬愛しており、ブラームスに準えられるのを嫌がったそうです。
この演奏会用組曲は、1909年の9月に完成されたもので、レオポルト・アウアーに献呈されています。ただし、完成した年の10月22日にエミール・クーパーの指揮でモスクワで行われた初演では、被献呈者のアウアーではなく、アウアーの弟子のボリス・シボーが独奏を務めています。
この曲は、〈前奏曲〉、〈ガヴォット〉、〈おとぎ話〉、〈主題と変奏〉、〈タランテラ〉の5曲からなり、〈前奏曲〉などはマックス・ブルッフのスコットランド幻想曲のロシア盤のような趣を持っています。しかし、擬古典的な趣味をのぞかせる〈ガヴォット〉や、暗めのロベルト・シューマンのような〈おとぎ話〉、賑々しい〈タランテラ〉のように、それぞれの曲のキャラクターがバラエティに富んでいます。しかし、この作品の心臓部は〈主題と変奏〉にあり、7つの変奏の中にフーガを織り込んだり、ワルツやマズルカのリズムを取り入れたりと、聴き手を飽きさせない工夫が為されています。
タネーエフの作品の後に収録されているのは、シベリウスの2曲のセレナーデ(1913年作)です。ヴァイオリン協奏曲のミニチュアのようなもので、ニ長調のほうは牧歌的な音楽に、ト短調のほうは冷たい北風が吹きすさぶような作品に仕上げられています。どちらもソナタ形式に準拠していますが、さほど主題の対比に熱心ではないため、形式的に自由な心象的音楽に聴こえます。これらの作品は、リチャード・バージンの独奏と、シベリウスの指揮するヘルシンキ市のオーケストラで1915年の12月8日に初演されています。独奏を務めたバージンは元々ポーランドの出身で、レオポルト・アウアーの門下生です。その後、ボストン交響楽団のコンサート・マスターとして活躍しました。
これらの作品の演奏で、ベズロードニーの伴奏指揮を担当するのは、キリル・コンドラシン(Kirill Kondrashin, 1914-1981)です。コンドラシンはハイキン門下の旧ソ連の指揮者で、後年指揮活動をするようになったベズロドニーの兄弟子になります。タネーエフの作品では、後に首席指揮者となるモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団を振っており、シベリウスの作品では「ソ連放送交響楽団」すなわちモスクワ放送交響楽団を指揮しています。
ベズロドニーは、まるで刀匠の鍛え上げた鋼のような音色で自信たっぷりの演奏を繰り広げています。〈前奏曲〉など、最初から討ち入りにでも入るかのような悲壮感と覚悟が感じられます。コンドラシンの指揮も気合が入っており、乙女のようなロマンティシズムの入り込む隙を与えないガッチリとした演奏です。〈おとぎ話〉ですらベズロドニーもコンドラシンも武骨さを前面に出しており、〈主題と変奏〉も表現上の小細工を一切用いず、堂々とした芸風で押し切っています。〈ガヴォット〉や〈タランテラ〉など、舞曲というより器械体操の趣ですね。
シベリウスの作品も同傾向で、ニ長調の作品よりもト短調の作品のほうにベズロドニーの芸風がシンクロしています。コンドラシンの指揮するモスクワ放送交響楽団の幸薄そうな響きも作品から醸し出される寒さに合い、迫真の演奏に仕上がっています。
アルバムの二枚目に収録されているのは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)のニ長調のヴァイオリン協奏曲と、エルネスト・ショーソン(Ernest Chausson, 1855-1899)の詩曲です。
ベートーヴェンの協奏曲は、アン・デア・ウィーン劇場で1806年の12月23日に初演された作品。独奏を務めたのは、助言者で、アン・デア・ウィーン劇場のコンサート・マスターだったフランツ・クレメントです。
この録音では、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky, 1931-)が「ソ連交響楽団」ことソヴィエト国立交響楽団(現:ロシア国立交響楽団)を指揮して伴奏しています。ソヴィエト国立交響楽団は、エフゲニー・スヴェトラーノフが1965年から首席指揮者を務めて黄金時代を築き上げていたため、ソ連崩壊後、2006年から「スヴェトラーノフ記念」という言葉をつけて活動しています。ただ、本録音は、スヴェトラーノフの前任者のコンスタンティン・イワノフの時代の録音です。
ロジェストヴェンスキーは、ベズロドニーに指揮法を教えたアノーソフの息子にあたり、ロジェストヴェンスキー自身もアノーソフの指導を受けて指揮者になりました。ただ、父親が偉大な指揮法の先生であったため、演奏活動をするに際して、父親と比較されるのを嫌って「アノーソフ」を名乗らず、母親の姓をもらって活動しました。なお、名前のより正確な発音は「ロジュジェストヴェンスキー」ですが、発音が難しいため、日本では慣用的に「ロジェストヴェンスキー」と表記しています。
ロジェストヴェンスキーは、変則的な棒のテクニシャンとして、オーケストラから情熱的な響きを引き出すことに長けていた指揮者でしたが、この伴奏では、感情に任せて爆発するのではなく、古典主義的な均整を保ちつつ、オーケストラから歯切れの良い響きを引き出しています。録音もタネーエフの録音から進歩しており、ロジェストヴェンスキーの溌剌さをより一層輝かしいものにしています。
ベズロードニーの独奏は、基本的にタネーエフやシベリウスの作品の録音とは変わらない、恰幅の良い強靭な音色が特徴的ですが、第1楽章では、その朗々たる響きと短調に傾く場面での厳しさが良いコントラストになり、作品の相貌をより深いものにしています。第2楽章はベズロドニーの独奏に柔和な表現への心遣いが感じられますが、思い切りの良い鳴らしっぷりを抑えられなくなる人間臭さに面白さがあります。第3楽章の元気いっぱいの独奏は、第2楽章で溜めた鬱憤を吐きだすような勢いがあります。なおカデンツァは、フリッツ・クライスラーのものでした。
ショーソンの詩曲は、イワン・トゥルゲーネフの小説『勝ち誇れる愛の詩』から着想を得た作品。1896年に作曲され、秋頃に、水ペイン人画家のサンティアゴ・ロシニョールがシッチェスで開いたパーティーの席でウジェーヌ・イザイと作曲者で試演しています。この試演で好評を得たので、その年の12月27日にパリ音楽院で、ギ・ロパルツの指揮とイザイの独奏で行われました。この際の聴衆の反応はいまいちだったものの、翌年の4月4日にイザイがコンセール・コロンヌで取り上げた時に反響を呼び、ヴァイオリニストたちがこぞって取り上げる名作となりました。
本演奏の伴奏は、コンドラシンの指揮するモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団。やや雑然としながらも、作品の神秘性や官能性の代わりに悲劇性を帯びた演奏になっています。クライマックスへと向かう場面も、情念というよりは、何かに追い立てられるような焦燥感が先に立ちます。ベズロドニーの独奏は、官能性よりも決意を固めたような強烈な自我を感じさせ、現実を踏み越えるような力強さがあります。フランス系の演奏家たちとは違った骨太な解釈は、この曲の妖艶さに食傷している人たちには新鮮に響くかもしれません。
ベズロドニーはアブラム・ヤンポリスキー門下のヴァイオリニストで、1947年のプラハ青少年音楽祭コンクール、1949年にはプラハのヤン・クベリーク国際ヴァイオリン・コンクール、1950年にライプツィヒのヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのヴァイオリン部門で共に優勝し、1951年に最年少でスターリン賞を受賞しています。1962年には母校であるモスクワ音楽院のヴァイオリン科教授に就任する傍らで、ニコライ・アノーソフ、ボリス・ハイキンやレオ・ギンスブルクらに指揮法を学び、1976年から1981年までモスクワ音楽院室内管弦楽団の首席指揮者を務め、指揮者としても才覚を示しました。
ベズロドニーとシベリウス音楽院、ひいてはフィンランド音楽界との結びつきは、1950年にまで遡ります。ヴァイオリン演奏の秀才としてフィンランドに演奏旅行に出かけたベズロードニーは、そこで手厚いもてなしを受け、1953年にはヤルヴェンパーのジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865-1957)の家を訪問してフィンランド音楽界との結びつきを深めています。度々フィンランドを訪れたベズロドニーは、しばしばマスター・クラスを開き、1986年からトゥルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めたり、1990年から亡くなるまでシベリウス音楽院のヴァイオリン科の教授を務めたりしていました。シベリウス音楽院がベズロドニーのメモリアル・アルバムを制作するのは、こうしたフィンランド音楽界への少なからぬ貢献を顕彰するという意味が込められています。
このアルバムの最初に収録されているのは、セルゲイ・タネーエフ(Sergei Taneyev, 1856-1915)の演奏会用組曲(協奏組曲)です。タネーエフは、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー門下のロシアの作曲家です。生前はピアニストであると同時に対位法の専門家として知られ、「ロシアのブラームス」といわれていましたが、タネーエフ自身はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを敬愛しており、ブラームスに準えられるのを嫌がったそうです。
この演奏会用組曲は、1909年の9月に完成されたもので、レオポルト・アウアーに献呈されています。ただし、完成した年の10月22日にエミール・クーパーの指揮でモスクワで行われた初演では、被献呈者のアウアーではなく、アウアーの弟子のボリス・シボーが独奏を務めています。
この曲は、〈前奏曲〉、〈ガヴォット〉、〈おとぎ話〉、〈主題と変奏〉、〈タランテラ〉の5曲からなり、〈前奏曲〉などはマックス・ブルッフのスコットランド幻想曲のロシア盤のような趣を持っています。しかし、擬古典的な趣味をのぞかせる〈ガヴォット〉や、暗めのロベルト・シューマンのような〈おとぎ話〉、賑々しい〈タランテラ〉のように、それぞれの曲のキャラクターがバラエティに富んでいます。しかし、この作品の心臓部は〈主題と変奏〉にあり、7つの変奏の中にフーガを織り込んだり、ワルツやマズルカのリズムを取り入れたりと、聴き手を飽きさせない工夫が為されています。
タネーエフの作品の後に収録されているのは、シベリウスの2曲のセレナーデ(1913年作)です。ヴァイオリン協奏曲のミニチュアのようなもので、ニ長調のほうは牧歌的な音楽に、ト短調のほうは冷たい北風が吹きすさぶような作品に仕上げられています。どちらもソナタ形式に準拠していますが、さほど主題の対比に熱心ではないため、形式的に自由な心象的音楽に聴こえます。これらの作品は、リチャード・バージンの独奏と、シベリウスの指揮するヘルシンキ市のオーケストラで1915年の12月8日に初演されています。独奏を務めたバージンは元々ポーランドの出身で、レオポルト・アウアーの門下生です。その後、ボストン交響楽団のコンサート・マスターとして活躍しました。
これらの作品の演奏で、ベズロードニーの伴奏指揮を担当するのは、キリル・コンドラシン(Kirill Kondrashin, 1914-1981)です。コンドラシンはハイキン門下の旧ソ連の指揮者で、後年指揮活動をするようになったベズロドニーの兄弟子になります。タネーエフの作品では、後に首席指揮者となるモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団を振っており、シベリウスの作品では「ソ連放送交響楽団」すなわちモスクワ放送交響楽団を指揮しています。
ベズロドニーは、まるで刀匠の鍛え上げた鋼のような音色で自信たっぷりの演奏を繰り広げています。〈前奏曲〉など、最初から討ち入りにでも入るかのような悲壮感と覚悟が感じられます。コンドラシンの指揮も気合が入っており、乙女のようなロマンティシズムの入り込む隙を与えないガッチリとした演奏です。〈おとぎ話〉ですらベズロドニーもコンドラシンも武骨さを前面に出しており、〈主題と変奏〉も表現上の小細工を一切用いず、堂々とした芸風で押し切っています。〈ガヴォット〉や〈タランテラ〉など、舞曲というより器械体操の趣ですね。
シベリウスの作品も同傾向で、ニ長調の作品よりもト短調の作品のほうにベズロドニーの芸風がシンクロしています。コンドラシンの指揮するモスクワ放送交響楽団の幸薄そうな響きも作品から醸し出される寒さに合い、迫真の演奏に仕上がっています。
アルバムの二枚目に収録されているのは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)のニ長調のヴァイオリン協奏曲と、エルネスト・ショーソン(Ernest Chausson, 1855-1899)の詩曲です。
ベートーヴェンの協奏曲は、アン・デア・ウィーン劇場で1806年の12月23日に初演された作品。独奏を務めたのは、助言者で、アン・デア・ウィーン劇場のコンサート・マスターだったフランツ・クレメントです。
この録音では、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky, 1931-)が「ソ連交響楽団」ことソヴィエト国立交響楽団(現:ロシア国立交響楽団)を指揮して伴奏しています。ソヴィエト国立交響楽団は、エフゲニー・スヴェトラーノフが1965年から首席指揮者を務めて黄金時代を築き上げていたため、ソ連崩壊後、2006年から「スヴェトラーノフ記念」という言葉をつけて活動しています。ただ、本録音は、スヴェトラーノフの前任者のコンスタンティン・イワノフの時代の録音です。
ロジェストヴェンスキーは、ベズロドニーに指揮法を教えたアノーソフの息子にあたり、ロジェストヴェンスキー自身もアノーソフの指導を受けて指揮者になりました。ただ、父親が偉大な指揮法の先生であったため、演奏活動をするに際して、父親と比較されるのを嫌って「アノーソフ」を名乗らず、母親の姓をもらって活動しました。なお、名前のより正確な発音は「ロジュジェストヴェンスキー」ですが、発音が難しいため、日本では慣用的に「ロジェストヴェンスキー」と表記しています。
ロジェストヴェンスキーは、変則的な棒のテクニシャンとして、オーケストラから情熱的な響きを引き出すことに長けていた指揮者でしたが、この伴奏では、感情に任せて爆発するのではなく、古典主義的な均整を保ちつつ、オーケストラから歯切れの良い響きを引き出しています。録音もタネーエフの録音から進歩しており、ロジェストヴェンスキーの溌剌さをより一層輝かしいものにしています。
ベズロードニーの独奏は、基本的にタネーエフやシベリウスの作品の録音とは変わらない、恰幅の良い強靭な音色が特徴的ですが、第1楽章では、その朗々たる響きと短調に傾く場面での厳しさが良いコントラストになり、作品の相貌をより深いものにしています。第2楽章はベズロドニーの独奏に柔和な表現への心遣いが感じられますが、思い切りの良い鳴らしっぷりを抑えられなくなる人間臭さに面白さがあります。第3楽章の元気いっぱいの独奏は、第2楽章で溜めた鬱憤を吐きだすような勢いがあります。なおカデンツァは、フリッツ・クライスラーのものでした。
ショーソンの詩曲は、イワン・トゥルゲーネフの小説『勝ち誇れる愛の詩』から着想を得た作品。1896年に作曲され、秋頃に、水ペイン人画家のサンティアゴ・ロシニョールがシッチェスで開いたパーティーの席でウジェーヌ・イザイと作曲者で試演しています。この試演で好評を得たので、その年の12月27日にパリ音楽院で、ギ・ロパルツの指揮とイザイの独奏で行われました。この際の聴衆の反応はいまいちだったものの、翌年の4月4日にイザイがコンセール・コロンヌで取り上げた時に反響を呼び、ヴァイオリニストたちがこぞって取り上げる名作となりました。
本演奏の伴奏は、コンドラシンの指揮するモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団。やや雑然としながらも、作品の神秘性や官能性の代わりに悲劇性を帯びた演奏になっています。クライマックスへと向かう場面も、情念というよりは、何かに追い立てられるような焦燥感が先に立ちます。ベズロドニーの独奏は、官能性よりも決意を固めたような強烈な自我を感じさせ、現実を踏み越えるような力強さがあります。フランス系の演奏家たちとは違った骨太な解釈は、この曲の妖艶さに食傷している人たちには新鮮に響くかもしれません。
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