1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Alfred Schnittke: Violin Sonata No.2
◈Alfred Schnittke: Congratulatory Rondo
Lidia Kovalenko (Vn)
Yuri Serov (Pf)
Yuri Serov (Pf)
(Rec. 24 April & 18 July 2001, St. Catherine Lutheran hurch, St. Petersburg)
◈Alfred Schnittke: Piano QuintetYuri Serov (Pf)
Lidia Kovalenko (1st Vn)
Alexey Baev (2nd Vn)
Alexey Popov (Va)
Kirill Timofeev (Vc)
Lidia Kovalenko (1st Vn)
Alexey Baev (2nd Vn)
Alexey Popov (Va)
Kirill Timofeev (Vc)
(Rec. 24 April & 18 July 2001, St. Catherine Lutheran hurch, St. Petersburg)
アルフレット・シュニトケ(Alfred Schnittke, 1934-1998)のピアノと弦楽器の為の作品集。本CDに収録されているのは、ヴァイオリン・ソナタ第2番(1968年作)、お祝いのロンド(1973年作)、ピアノ五重奏曲(1972-1976年作)の三作です。演奏するのは、サンクト・ペテルブルク音楽院卒の俊英たち。全曲を通して演奏しているヴァイオリンのリディア・コヴァレンコ(Lidia Kovalemko)はアレクサンドル・ユリエフとミハイル・ガントヴァルクに師事した後、1994年の全ロシア音楽コンクールで優勝し、ハノーヴァーの室内楽コンクールでも最優秀賞を獲得したという逸材。ピアノを担当するユーリ・セーロフ(Yuri Serov)はサンクト・ペテルブルク音楽院を卒業後、ハルトムート・ヘルに学び、室内楽に熱心に取り組んでいます。評論家としても筆をふるい、このシュニトケ作品の録音も、セーロフの企画の一環として録音されたものです。ピアノ五重奏曲ではコヴァレンコとセーロフの他に、第2ヴァイオリンにアレクセイ・バーエフ(Alexey Baev)、ヴィオラにアレクセイ・ポポフ(Alexey Popov)、チェロにキリル・ティモフェーエフ(Kirill Tomofeev)を加えて演奏しています。
作曲者のシュニトケは旧ソ連の作曲家で、ドイツ移民の家系に生まれました。ジャーナリストだった父に連れられて8歳でウィーンに行き、そこで音楽の基礎を学んでいます。10歳でソ連に戻ってからも音楽の勉強を続け、1953年にモスクワ音楽院に進学し、エフゲニー・ゴルベフとニコライ・ラコフに師事しました。1962年には母校の作曲科の講師になりました。
シュニトケの音楽は、「多様式」という言葉で説明されます。18世紀ウィーンの音楽から20世紀の最先端の作曲技法まで、自分の知り得る作曲技法を貪欲に学びとったシュニトケは、その都度学んだ作曲様式を縦横無尽に駆使して曲を作りました。その結果生まれた様々な様式を複合したような音楽を「多様式」といいます。特にモスクワ音楽院の講師として働き始めた時にソ連にやってきたルイジ・ノーノとの出会いによって、その作風の多様性はより一層の広がりを見せました。
ヨーロッパの最先端の作曲技法を取り入れようとするシュニトケの姿勢は、ソ連の打ち出す社会主義リアリズム路線から逸脱しているように取られ、1972年には母校のポストを、追われる形で辞任しています。1980年にはソ連の作曲家連盟から脱退し、ますます活動が制限されましたが、病を得ても創作意欲は衰えず、たび重なる脳出血の発作で亡くなるまで作曲活動を続けました。
シュニトケの作曲様式の多彩さは、ここに収録された作品からも窺うことができます。
1969年の2月24日に親友のヴァイオリニスト、マルク・リュボツキーとピアニストのリューボフ・イェドリナがカザンで初演したヴァイオリン・ソナタ第2番は20分程の単一楽章の作品。アルノルト・シェーンベルクから連なる音列技法を用いながらも、音列技法では嫌がられる3度や6度のハーモニーを遠慮せずに用い、各パートで対位法的な絡みなども含むなど、いわゆる「多様式」の萌芽を感じさせます。
お祝いのロンドは、ボロディン弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者として名を馳せていたロスティスラフ・ドゥビンスキーの50歳のお祝いとして献呈され、作曲された年のうちにリュボツキーとイェドリナによってモスクワで初演された作品。これ見よがしな程に分かりやすい調性音楽で書かれ、映画音楽や大衆歌の仕事も引き受けていたシュニトケの諧謔的な側面を垣間見ることができます。このモスクワでの初演の際に、同傾向の作風を示した《古風な様式の組曲》もお披露目されています。必要とあらば、こうした作品だって生み出せるということを、ソ連の音楽関係者にアピールする意図があったのでしょう。
コヴァレンコとセーロフの演奏は、ソナタ第2番が出色の出来栄え。セーロフのテキパキとしたピアノ演奏が音楽のイニシアチヴをとっていますが、コヴァレンコのヴァイオリンが潤いのある音色で応えることにより、作品に内在する感情のほつれのようなものがうまく掘り起こされているように感じられます。奏者間の対話を感じさせる温かな演奏です。お祝いのロンドのほうは、18世紀ドイツ・オーストリア圏の音楽世界で完結しており、予定調和的な世界を戯画化するような視点を持ち込んでもよかったかなと思わせます。
ピアノ五重奏曲は、完成した年の9月にノダール・ガブニアのピアノとグルジア弦楽四重奏団の手によってトビリシで初演された作品。作曲動機は、母の死にあり、全体的な沈鬱さは、亡き母への鎮魂歌的な意味を持っています。また、作曲中に敬愛するドミトリ・ショスタコーヴィチも亡くなっており、ショスタコヴィチが好んだ人の名前を音名変換しておりこむ手法を第2楽章で用いる(ここではB-A-C-H)ことでオマージュとしています。この楽章の醸し出す雰囲気自体も、ショスタコーヴィチのスケルツォ楽章を思い起こさせます。
コヴァレンコをはじめとする弦楽四重奏のパートは、作品全体を覆う当てもなく彷徨うような虚脱感を上手く引き出しています。こうした弦楽四重奏の揺蕩いを現世に縫い付けるようなセーロフのピアノも素晴らしいものでした。
作曲者のシュニトケは旧ソ連の作曲家で、ドイツ移民の家系に生まれました。ジャーナリストだった父に連れられて8歳でウィーンに行き、そこで音楽の基礎を学んでいます。10歳でソ連に戻ってからも音楽の勉強を続け、1953年にモスクワ音楽院に進学し、エフゲニー・ゴルベフとニコライ・ラコフに師事しました。1962年には母校の作曲科の講師になりました。
シュニトケの音楽は、「多様式」という言葉で説明されます。18世紀ウィーンの音楽から20世紀の最先端の作曲技法まで、自分の知り得る作曲技法を貪欲に学びとったシュニトケは、その都度学んだ作曲様式を縦横無尽に駆使して曲を作りました。その結果生まれた様々な様式を複合したような音楽を「多様式」といいます。特にモスクワ音楽院の講師として働き始めた時にソ連にやってきたルイジ・ノーノとの出会いによって、その作風の多様性はより一層の広がりを見せました。
ヨーロッパの最先端の作曲技法を取り入れようとするシュニトケの姿勢は、ソ連の打ち出す社会主義リアリズム路線から逸脱しているように取られ、1972年には母校のポストを、追われる形で辞任しています。1980年にはソ連の作曲家連盟から脱退し、ますます活動が制限されましたが、病を得ても創作意欲は衰えず、たび重なる脳出血の発作で亡くなるまで作曲活動を続けました。
シュニトケの作曲様式の多彩さは、ここに収録された作品からも窺うことができます。
1969年の2月24日に親友のヴァイオリニスト、マルク・リュボツキーとピアニストのリューボフ・イェドリナがカザンで初演したヴァイオリン・ソナタ第2番は20分程の単一楽章の作品。アルノルト・シェーンベルクから連なる音列技法を用いながらも、音列技法では嫌がられる3度や6度のハーモニーを遠慮せずに用い、各パートで対位法的な絡みなども含むなど、いわゆる「多様式」の萌芽を感じさせます。
お祝いのロンドは、ボロディン弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者として名を馳せていたロスティスラフ・ドゥビンスキーの50歳のお祝いとして献呈され、作曲された年のうちにリュボツキーとイェドリナによってモスクワで初演された作品。これ見よがしな程に分かりやすい調性音楽で書かれ、映画音楽や大衆歌の仕事も引き受けていたシュニトケの諧謔的な側面を垣間見ることができます。このモスクワでの初演の際に、同傾向の作風を示した《古風な様式の組曲》もお披露目されています。必要とあらば、こうした作品だって生み出せるということを、ソ連の音楽関係者にアピールする意図があったのでしょう。
コヴァレンコとセーロフの演奏は、ソナタ第2番が出色の出来栄え。セーロフのテキパキとしたピアノ演奏が音楽のイニシアチヴをとっていますが、コヴァレンコのヴァイオリンが潤いのある音色で応えることにより、作品に内在する感情のほつれのようなものがうまく掘り起こされているように感じられます。奏者間の対話を感じさせる温かな演奏です。お祝いのロンドのほうは、18世紀ドイツ・オーストリア圏の音楽世界で完結しており、予定調和的な世界を戯画化するような視点を持ち込んでもよかったかなと思わせます。
ピアノ五重奏曲は、完成した年の9月にノダール・ガブニアのピアノとグルジア弦楽四重奏団の手によってトビリシで初演された作品。作曲動機は、母の死にあり、全体的な沈鬱さは、亡き母への鎮魂歌的な意味を持っています。また、作曲中に敬愛するドミトリ・ショスタコーヴィチも亡くなっており、ショスタコヴィチが好んだ人の名前を音名変換しておりこむ手法を第2楽章で用いる(ここではB-A-C-H)ことでオマージュとしています。この楽章の醸し出す雰囲気自体も、ショスタコーヴィチのスケルツォ楽章を思い起こさせます。
コヴァレンコをはじめとする弦楽四重奏のパートは、作品全体を覆う当てもなく彷徨うような虚脱感を上手く引き出しています。こうした弦楽四重奏の揺蕩いを現世に縫い付けるようなセーロフのピアノも素晴らしいものでした。
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