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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Hans Rott: Symphony in E major
Norrköping Symphony Orchestra / Leif Segerstam
(Rec. 5-6 March 1992, Linköping Concert Hall)







このCDは、ハンス・ロット(Hans Rott, 1858-1884)のホ長調の交響曲を収録したアルバムです。演奏は、レイフ・セーゲルスタム(Leif Segerstam, 1944-)の指揮するノールショピング交響楽団(Norrköpings Symfoniorkester)が担当しています。

この録音が行われた頃、ロットの名前はまだまだ好楽家の間では浸透していませんでした。ロットは作品を出版することなく世を去っているので、ロットの作風を探ろうにも、ここに聴く交響曲がオーストリア国立図書館で発掘されるまで、グスタフ・マーラーの回顧録などに出てくる学友という扱い以上に研究の進めようがなかったというのが実情です。確か、このセーゲルスタムが指揮をしたBISレーベルのCDをキングレコード株式会社が輸入して販売したのが、初めてのこの曲の国内盤リリースでした。
ロットはウィーンの出身で、本名はハンス・ロート(Hans Roth)といいます。喜劇役者だった父カール・マティアス・ロートの婚外子として生まれましたが、ロートの本妻が1862年に亡くなったのを受けて、実母が正式にロートと結婚し、それを機に実子として育てられました。ただ、1872年には実母が亡くなり、1874年には父が舞台での事故で障碍者になり、1876年には亡くなっています。ただ、音楽の才能を示したロットは、ウィーン音楽院に入学してレオポルト・ランツクローンにピアノ、ヘルマン・グレーデナーとフランツ・クレンに音楽理論、アントン・ブルックナーにオルガンを学びました。ただ、両親を失ったロットの学生時代は困窮を極め、マーラー等の学友のところに身を寄せるなどしながら、ウィーンのマリア・トロイ教会のオルガン奏者として働いて学費の足しにしていました。
ブルックナーは、オルガン奏者としてだけでなく、作曲家としてのロットの才能にも注目しており、ロットが卒業年次の1878年に学内の作曲コンクールに作品を応募した時には、作品に冷笑を浴びせる教授たちに向かって「笑ってはいけない。これから先、この人のもっとすごい作品を聴くことになるんだから!」と熱烈に擁護したといいます。
ただ、ロットは、学内の作曲コンクールから撥ねられたのみならず、働いていた教会のオルガン奏者の職も、修道士たちの策謀に巻き込まれて辞任せざるを得なくなり、生活は一層苦しくなりました。そんな中で、作曲コンクールに応募した作品に3つの楽章を書き加え、1880年にここに聴く交響曲を完成させました。作曲家としての成功を願ったロットは、この作品をウィーン楽友協会主催のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの名前を冠した作曲コンクール、オーストリア帝国の文部省が開催する芸術家のための奨学金コンクールの両者に応募することにしましたが、入選を確実にするために、ウィーン音楽界の重鎮だったヨハネス・ブラームスとハンス・リヒターに作品を批評してもらい、あわよくば演奏会でも取り上げられるように根回しをしようとしました。しかし、ブラームスは「いくつか美しいフレーズはあるけど、それは君のものじゃない」と酷評し、「作曲の才能はない」と断じてしまいました。リヒターも、作曲を続けるように一応励ましたものの、作品の演奏を拒みました。一応作品はコンクールに提出し、ベートーヴェン作曲コンクールでは落選したものの、奨学金コンクールには入選し、エドゥアルト・ハンスリックから「才能は粗削りだが訴求力は強い。今後に期待。」とコメントを貰いましたが、敬愛するブラームスからの酷評による精神的なダメージは殊の外大きかったようです。かねてより、付き合っていた恋人と別れて精神的に不安定に陥り、困窮で荒み、生活の為にミュールハウゼンの教会のオルガン奏者への就任要請を受け入れて愛するウィーンの街から出ていかなければならなくなったロットは、ついに壊れてしまいました。1880年にミュールハウゼンに向かう汽車の中で、タバコに火をつけた乗客を見て「ブラームスが列車に爆弾を仕掛けた!」と叫んで銃を振り回して暴れ出し、そのままウィーンの精神病院に収容される羽目になりました。病院で回復不能の診断を受けたロットは、何度も自殺未遂を繰り返した末に結核を患い、25歳で早世しました。
ロットは、精神病院内でも作曲を続けていたようですが、仕上げた作品も「人間の作ったものに何の価値がある」と言いながらトイレット・ペーパーにして捨ててしまっていたとのこと。そのため、作品の多くが廃棄または散逸しており、それがロットの再評価を妨げる要因でもありました。この交響曲は、オーストリア国会図書館でたまたま保管されていたものを、イギリスの音楽学者のポール・バンクスが発見し、ガーハード・サミュエルの指揮するシンシナティ・フィルハーモニー管弦楽団が1989年3月4日にシンシナティ音楽院で初演したことで、にわかに注目されることになり、これを契機に現存するロットの作品の探索が行われるようになりました。今日では、マーラーの音楽に影響を与えた重要人物ということで、遅ればせながら作曲家として認知されるようになってきています。

ロットの交響曲で、演奏できる形で見つかったものは、現状ではこの1曲のみ。第2番に相当する交響曲の作曲の構想があったとか、その出来上がった作品をロット自身が廃棄したとかで、最近では、この交響曲に第1番という通し番号を振る動きも出ています。しかし、このBISレーベルからリリースされたCDには通し番号はつけられていません。作品は四楽章構成で、作品の規模はブルックナーの交響曲に匹敵します。第1楽章の冒頭はブルックナーの交響曲の作法を敷衍し、第2楽章もブルックナー同様にオルガンの響きを思わせる長いメロディ・ラインとハーモニーが魅力的です。ブルックナーとの違いは、複雑化されたハーモニーにあるといえるでしょう。ブルックナーはリヒャルト・ヴァーグナーの信奉者でしたが、ロットはそれに輪をかける程にワーグナーに心酔していたことが窺えます。第3楽章はマーラーの交響曲第1番のスケルツォ楽章に類似するモチーフが使われ、第4楽章の展開はヨハネス・ブラームスの交響曲第1番の終楽章を想起させます。自分に影響を与えた音楽の要素をとことん詰め込み、それが錯綜しているところもありますが、この作品を通じて当時のウィーンの音楽界の空気を想像することが出来るでしょう。
指揮をするセーゲルスタムは、フィンランドのヴァーサに生まれた音楽家。ヘルシンキ音楽院で作曲、ヴァイオリンと指揮法を学び、ヘルシンキのユース・オーケストラにも参加。1962年にヴァイオリン奏者として活動を始め、1963年には指揮者としても舞台に上がるようになりました。その後すぐにジュリアード音楽院に留学してジャン・モレルに指揮法、ルイス・パーシンガーにヴァイオリン、ホール・オーヴァートンとヴィンセント・パーシケッティに作曲等を学んで1965年にディプロマを得ました。本職は作曲家で、300曲を超える交響曲を発表していますが、指揮者としても、1975年から1982年までオーストリア放送交響楽団の首席指揮者を引き受けたのを皮切りに、フィンランド放送交響楽団やデンマーク放送交響楽団、ラインラント・プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団等の首席指揮者のポストを渡り歩き、世界的な名声を確立しています。この録音が行われた頃は、デンマーク放送交響楽団の首席指揮者を務めていました。
ノールショピング交響楽団は、1912年に発足したノールショピング・オーケストラ協会(Norrköpings Orkesterförening)をルーツに持つスウェーデンのオーケストラです。設立年の4月28日に聖オライ教会で作曲家のエドヴァルド・デューリングを指揮者に立てて旗揚げ公演を行いましたが、当時は30人程度のアマチュアのオーケストラでした。1914年に首席指揮者のポストを作ってイヴァル・ヘールマンをそのポストに就け、プロフェッショナルなオーケストラとしての活動の素地を作り上げていきました。1954年にヘルベルト・ブロムシュテットが首席指揮者に就任した頃から長足の進歩を遂げています。エヴァレット・リーが首席指揮者を務めていた1967年に現在の名称に改め、スウェーデン国外への演奏旅行にも挑戦するようになりました。1991年には日本人指揮者の広上淳一が首席指揮者に就任し、広上の活躍を通じて、日本でもこのオーケストラの知名度が高まりました。

演奏の出来は、作品を広く知らしめる啓発的演奏としては十二分な役割を果たす感動的な仕上がりです。ただ、ロットのこの作品では、感情が昂ってくるとトランペットを中心に輝かしいサウンドを作りたがり、さらにスパンコールを散らすみたいにトライアングルを鳴らしまくるという癖があります。セーゲルスタムは、その感情の高まりに乗っかって、金管セクションを豪放磊落に鳴らしており、ブラス・バンドのサウンドを愛好する向きには、たまらない快感でしょう。ただ、弦楽合奏や木管セクションに割り振られた対旋律が金管セクションのキンキラキンのサウンドに掻き消される危うさもあります。この暴走気味のサウンドに、ロットの若いパワーを見るか、妄言に走る狂気の兆候と見るかで、鑑賞の印象が変わってくるでしょう。弦楽合奏は、第2楽章の息の長いメロディ・ラインの扱いを持て余し気味ではありますが、第3楽章のスケルツォ主題の扱いは、伸縮自在で、作品全体の躍動感を集約したような魅力を放っています。ただ、作品の内包するエネルギーを放出しまくったセーゲルスタム盤の演奏は、これはこれとして立派なのですが、もう少しクールダウンした形で、第三者的視点に立ったアプローチでの演奏も必要かもしれません。



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