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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Wolfgang Amadeus Mozart: Le Nozze di Fugaro, K492
Andrey Mildmay (S.: Susanna)
Luise Helletsgruber (S.: Cherubino)
Aulikki Rautavaara (S.: La Contessa)
Constance Willis (S.: Marcellina)
Willi Domgraf-Faßbänder (Br.: Figaro)
Roy Henderson (Bs.: Il Conte)
Heddle Nash (T.: Basilio)
Norman Allin & Italo Tajo (Bs.: Bartolo)
Winifred Radford (S.: Barbarina)
Fergus Dunlop (Bs.: Antonio)
Morgan Jones (T.: Don Curzio)
Chorus & Orchestra of Glyndebourne Festival / Fritz Busch
(Rec. 6 June 1934, 24 & 28 June 1935, Glyndbourne Theatre, Sussex)

-Serected Arias from Le Nozze di Figaro pergormed by Legendary singers-

Wolfgang Amadeus Mozart: 'Non so più cosa son, cosa faccio' from Le Nozze di Fugaro, K492
Conchita Supervia (S.)
(Rec. 1928)
Wolfgang Amadeus Mozart: 'Porgi, amor' from Le Nozze di Fugaro, K492
Eleanor Steber (S.)
(Rec. Unknown)
Wolfgang Amadeus Mozart: 'Voi, che sapete che cosa e amor' from Le Nozze di Fugaro, K492
Conchita Supervia (S.)
(Rec. 1928, Milan)
Wolfgang Amadeus Mozart: 'Dove sono' from Le Nozze di Fugaro, K492
Eleanor Steber (S.)
(Rec. Unknown)
Wolfgang Amadeus Mozart: 'Giunse alfin il momento...Deh, vieni, non tardar' from Le Nozze di Fugaro, K492
Lina Pagliughi (S.)
(Rec. 1939)




ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェ(Pierre-Augustin Caron de Beaumarchais, 1732-1799)は、18世紀フランスの劇作家です。生前は家業の時計職人の仕事を継いだことに始まり、宮廷の役人として外交の使者を務めたり、宮廷の土木事業を一手に引き受けたり、出版業に手を出したりと、様々な仕事をこなしてフランス有数の名士になりました。役人になってから「ド・ボーマルシェ」という貴族風の名前を本名にくっつけたように大変な野心家で、とにかく自分が不利益を被ることに対して相手が誰であろうと怯まずに戦った。例えば、時計職人として21歳の時に発明した時計の速度調節装置を宮廷御用達の時計職人であるジャン=アンドレ・ルポートに盗作された時には、科学アカデミーに自分が発明した証拠を提出してルポートを退けています。宮廷御用達の時計職人から宮廷の役人に転身してからは、女性関係を巡って有力貴族と訴訟を起こしたり、パトロンだった大富豪の遺産相続問題に絡んでさる伯爵家と舌戦を繰り広げたりし、劇作家になって自分の戯曲の上演許可が国王ルイ16世に撤回された時にも、世論を味方につけて公然と上演許可申請を繰り返して自分の要求を通しています。成り上がっていく自分へのやっかみや古い因習や貴族からの圧力と戦い続けたカロン・ド・ボーマルシェの波乱の人生は、そのまま自分の劇作のネタとなりました。
カロン・ド・ボーマルシェの代表作は、『セビリアの理髪師、または無用な用心』(1775年発表)、『てんやわんやの一日、フィガロの結婚』(1784年発表)、『罪ある母』(1792年発表)の三作です。この三作に登場するフィガロという人物は、原作者の没後もスピンオフ作品が生まれるほどの人気を博しました。そんなことから、この三作は「フィガロ三部作」と呼ばれています。
最初の『セビリアの理髪師、または無用な用心』は、今日では、ジョアッキーノ・ロッシーニの《セヴィリアの理髪師》の原作として知られています。スペインのアルマヴィーヴァ伯爵が、医師バルトロの家に住むロジーナに一目惚れし、旧知のフィガロの知恵を借りて結婚にこぎつけるという筋書きです。バルトロは姪のロジーナが引き継いだ遺産を目当てにロジーナと結婚するように策を練っており、ロジーナに近づく伯爵たちを遠ざけようとしますが、伯爵側がバルトロよりも抜け目がなく、結果としてロジーナは伯爵に略奪されてしまいます。フィガロは、ここでは主役ではないものの、伯爵のブレーンとして重要な役割を果たし、第二作目では従僕に取り立てられています。
第二作目の『てんやわんやの一日、フィガロの結婚』は、ルイ16世が上演を許可せず、ボーマルシェが世論を巻き込んで上演を許可させた作品。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)の《フィガロの結婚》の原作になります。
フィガロを召し抱えた伯爵は、フィガロにロジーナの小間使いであるスザンナと結婚させることにしますが、その真意は、一旦廃止した初夜権(結婚初夜に新郎に代わって新婦と同衾する権利)を復活させ、スザンナとイチャイチャしようというものでした。その企みに勘付いたスザンナとフィガロは、ロジーナの助けを借りて伯爵をギャフンと言わせようとします。そこに伯爵の小姓のケルビーノや、スザンナに一泡吹かせようと企む女中頭のマルツェリーナ、フィガロへの復讐心を燃やすバルトロが絡み、ドタバタのコメディになります。結局はスザンナとロジーナが衣装を取り替え、伯爵の浮気現場を押さえることで伯爵をギャフンと言わせることに成功していますが、この伯爵の女癖の悪さ―ひいては貴族のモラルの低さ―が、第三作目で巻き起こる問題の火種になります。
第三作目の『罪ある母』は、第二作目から20年経過したという設定で、その間に伯爵とロジーナは長男をもうけますした。しかし、それぞれに私生児を生み、伯爵の私生児フロレスティンは養子として伯爵家に迎え入れ、ロジーナの私生児レオン―父親はケルビーノ―は私生児である事実を隠し、伯爵家の次男として育てられました。伯爵はケルビーノを連れて戦場に出掛け、ケルビーノは戦死。長男も病死して後継者をレオンにしなければならなくなりました。しかし、伯爵はレオンが実の子かどうか疑っていました。そんな伯爵にアイルランド兵士のタルチュフがヴァルガスと名を変えて言葉巧みに近づきます。タルチュフは伯爵の信頼を得て、伯爵の全財産譲渡とフロレスティンとの結婚の確約をとってロジーナの秘密を探りに行き、フィガロを出し抜いて伯爵家の秘密を握ることに成功しました。レオンとフロレスティンは恋仲でしたが、タルチュフが伯爵家の秘密をちらつかせて二人の仲を引き裂きました。ロジーナもタルチュフに弱みを握られ、身動きが取れなくなります。伯爵もタルチュフの甘言に騙され、フィガロに命じてタルチュフに全財産の譲渡とフロレスティンの結婚の準備をさせますが、フィガロは理由をつけて準備を先延ばしにし、反撃の策を練ります。フィガロは公証人を呼び、フィガロの口から伯爵家の全財産をタルチュフに譲ることを宣言し、タルチュフはフロレスティンに引き継いだ財産を含めた全てをフロレスティンに委ねると宣言して結婚式を行なおうとしました。しかし宣言が行われるやいなや、取って返してタルチュフが妻子持ちであることを暴露してフロレスティンの婚約を無効にし、タルチュフの宣言に従って、タルチュフの持つ全財産をフロレスティンのものにすることに成功しました。このことで、伯爵家の全財産は伯爵家に戻ります。タルチュフは苦し紛れにロジーナの不貞の証拠をばら撒きますが、伯爵とロジーナはお互いを許し合い、レオンとフロレスティンの結婚も認めるようになりました。
この『罪ある母』だけは、アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリーがオペラ化を断念してからオペラ化の目処が中々立たず、1966年にダリウス・ミヨーが漸くオペラ化に成功しました。

以上、カロン・ド・ボーマルシェと、彼の代表作である、いわゆる「フィガロ三部作」を概略的に眺めてきましたが、この「フィガロ三部作」において、特権階級である伯爵は敬意を払われる対象として描かれず、むしろ従僕に出し抜かれたり、窮地を救ってもらったりという、比較的情けない役に落ち着いていることが分かります。カロン・ド・ボーマルシェの書いたフィガロは、自分の宮廷人たちとの付き合いを題材に、敬意を払うべき対象として存在している特権階級のメッキを剥がす役割を担うことになり、そのためにルイ16世が警戒心を露わにしたといえるでしょう。ドイツ圏でも、庶民に評判の良かった「フィガロ三部作」は、封建社会のヒエラルキーを揺るがしかねないものとして、特権階級から危ぶまれていました。

なにはともあれ、ザルツブルク出身でウィーンを本拠に活動していたモーツァルトは、オペラ台本作りの名人だったロレンツォ・ダ・ポンテ(Lorenzo da Ponte, 1749-1838)と組んで、このカロン・ド・ボーマルシェの『てんやわんやの一日、フィガロの結婚』を題材にオペラを作ることにしました。この題材に難色を示す関係者たちの説得にはダ・ポンテが当たり、原作の戯曲にある体制批判めいた文言も巧みに削除しました。皇帝ヨーゼフ2世の懐柔に成功したダ・ポンテとモーツァルトは、1786年5月1日にウィーンのブルク劇場で《フィガロの結婚》を初演しました。今日では世界各地の歌劇場の人気レパートリーとして上演される作品ですが、初演時は特権階級批判の色合いが抜けていなかったために観客だった貴族たちから反感を買い、わずか10日で上演中止に追い込まれています。ただ、しかし、初演した年の12月にパスクァーレ・ボンディーニ歌劇団がプラハで上演した時には熱狂的なヒットを飛ばし、ウィーンで人気が落ちていった後も、モーツァルトはボヘミアで暖かく迎えられるようになりました。
プラハでこのオペラが大歓迎されたのは、当時のボヘミアの置かれた立場を考えれば、十分納得できるものです。17世紀の三十年戦争でオーストリア帝国に文化的にも宗教的にも弾圧されて抑圧を強いられてきたボヘミアの人たちにとって、上流階級のアルマヴィーヴァ伯爵はハプスブルク家の化身であり、そこに仕えるフィガロやスザンナといった人たちは自分たちに近い存在だったのでしょう。そうした自分たちに近い存在が、上流階級である伯爵にギャフンといわせる話は、日ごろの不満を晴らしてくれるいいガス抜きになったわけです。また、モーツァルトの音楽自体も流麗かつ活気に満ちており、ボヘミア楽派を形成した耳の肥えたボヘミアの人たちの心を大いに刺激したであろう点も、プラハでの成功の要因として加味できるでしょう。
今日でも、このオペラのアリアの一つ一つが高い人気を持っており、本CDの余白に「伝説的な歌手たちによるフィガロの結婚のアリア集」として収められているコンチータ・スペルビア(Conchita Supervia, 1895-1936)の歌う第一幕のケルビーノのアリア〈自分で自分がわからない〉と第二幕ケルビーノのアリエッタ〈恋とはどんなものか〉、エレノア・スティーバー(Eleanor Steber, 1917-1990)の歌う第二幕ロジーナのカヴァティーナ〈愛の神よ〉と第三幕ロジーナのアリア〈楽しい日々は〉、リナ・パリューギ(Lina Pagliughi, 1907-1980)の歌う第四幕スザンナのアリア〈遂に嬉しい時が来た…恋人よここに〉は、モーツァルトのオペラ・アリア集でプログラムを作るときには、必ず組み入れる候補になる名歌です。

本CDのメイン・ディッシュは、グラインドボーン音楽祭のプロダクションによる、この《フィガロの結婚》のまとまった世界初録音です。配役は以下の通り。
オードリー・マイルドメイ(S.:スザンナ)
ルイーゼ・ヘルレツグリューバー(S.:ケルビーノ)
アウリッキ・ラウタヴァーラ(S.:伯爵夫人)
コンスタンス・ウィリス(S.:マルチェリーナ)
ヴィリ・ドムグラーフ=ファスベンダー(Br.:フィガロ)
ロイ・ヘンダーソン(Bs.:アルマヴィーヴァ伯爵)
ヘドル・ナッシュ(T.:バジリオ)
ノーマン・アリン&イタロ・ターヨ(Bs.:バルトロ)
ウィニフレッド・ラドフォード(Bs.:アントニオ)
モーガン・ジョーンズ(T.:ドン・クルツィオ)
グラインドボーン音楽祭管弦楽団&合唱団/フリッツ・ブッシュ
グラインドボーン音楽祭は1934年にイギリスの資産家のジョン・クリスティによって創設されたオペラ上演祭です。この録音は1934年の録音なので、まさに音楽祭が開催された最初の年の録音でもあります。オーケストラ・ピットには、基本的にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に「グラインドボーン音楽祭管弦楽団」として入ってもらっており、歌手は国内外から選抜されて招待しています。昨今ではレパートリーにこだわりなくいろんなオペラを上演していますが、クリスティは大のモーツァルトの音楽の愛好家であり、ドイツ人指揮者のF.ブッシュ(Fritz Busch, 1890-1951)を音楽監督に起用した発足時の録音にモーツァルトのオペラを持ってくるのは必然でした。ただし、当時の予算の都合からか、この録音ではレチタティーヴォを極力排し、合唱の場面や一部のアリアも省略しています。

F.ブッシュは、ドイツの次元に生まれた指揮者で、ヴァイオリン奏者として名高いアドルフ・ブッシュの兄に当たります。ケルンでフリッツ・シュタインバッハに音楽理論を学び、19歳でリガの歌劇場の練習指揮者としてキャリアを開始しました。1922年からアーヘン市立歌劇場の音楽監督になり、1918年にはシュトゥットガルト国立歌劇場の音楽監督に転任した後、1922年にドレスデン国立歌劇場の音楽監督に着任するも、ナチスの政策を嫌って1933年に辞任しました。そこでグラインドボーン音楽祭の音楽監督に迎えられ、亡くなるまでその任に当たりました。一方で、北欧を中心に演奏活動を展開し、1937年からストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団やデンマーク国立交響楽団などの首席指揮者も兼務し、アメリカにも遠征して高い名声を保持していました。
本演奏では、グラインドボーン音楽祭の発足当初の録音ということもあって、序曲の初っ端こそ浮足立ちますが、次第にアンサンブルの精度も安定し、ファスベンダーが歌い出す頃には、歌手の呼吸に合わせた見事な伴奏で聴き手を安心させてくれます。また、オペラ・ブッファとしての溌剌さも欠けておらず、場面の展開に合わせた柔軟なサポートで歌手たちを気持ちよく歌わせることに成功しています。
スザンナ役を歌うマイルドメイ(Audrey Mildmay, 1900-1953)は、音楽祭のオーナーであるクリスティの奥さんです。本名はグレース・オードリー・ルイーザ・セント・ジョン・マイルドメイ(Grace Audrey Luisa St. John Mildmay)といい、父はイギリス国教会の司祭でした。生後三ヶ月でカナダに移住してピアノを学びましたが、ピアノ教師がマイルドメイに声楽の才能を認め、バンクーバーのミュージカル・クラブの団員として18歳まで在籍。その後はロンドンに戻ってウォルター・ジョンストン・ダグラスの下で声楽を学び、1927年にはアメリカとイギリスでクルト・ヴァイルの三文オペラのポリー役を歌ってデビューしました。その後はカール・ローザ・オペラ・カンパニーで様々な役を歌って経験を積み、1931年にクリスティと結婚してからも、ウィーンのヤニ・シュトラッサーの薫陶を受けて声に磨きをかけ、1934年にクリスティがグラインドボーン音楽祭を創設すると、フリッツ・ブッシュのオーディションを受けて《フィガロの結婚》のスザンナ役を射止めました。このブッシュとの共演で名を上げ、1939年にはザルツブルク音楽祭にも出演しています。
ケルビーノ役のヘルレツグリューバー(Luise Helletsgruber, 1898-1967)はウィーン生まれのソプラノ歌手です。地元で声楽の勉強をした彼女は、1922年からウィーン国立歌劇場の舞台に立ち、1942年まで同歌劇場の歌手として活動しました。1928年から1937年までザルツブルク音楽祭に参加し、1934年から1938年まではグラインドボーン音楽祭にも出演していました。
伯爵夫人のラウタヴァーラ(Aulikki Rautavaara, 1906-1990)は、フィンランドのソプラノ歌手で、作曲家のエイノユハニ・ラウタヴァーラの従姉にあたります。音楽教師だった両親に音楽の手ほどきを受け、16歳でヘルシンキ音楽院に入学したラウタヴァーラは、1927年にはヘルシンキでリサイタルを開いてデビューを飾り、1933年にはフィンランド政府からの奨学金を受けてベルリンに留学しています。1930年代から1940年代にかけて主にドイツ各地の歌劇場に出演して経歴を重ねていました。
ドムグラーフ=ファスベンダー(Willi Domgraf-Faßbänder, 1897-1978) は、アーヘン生まれのバリトン歌手で、本CDでバジリオ役を歌っている(Heddle Nash, 1894-1961)に弟子入りしたこともあります。1954年からニュルンベルク音楽院で後進の指導にあたり、声楽教師として成功しましたが、本録音が行われた頃は、1930年からベルリン国立歌劇場の歌手として頭角を現していました。なお、娘ブリギッテも、この父親から声楽を教わってオペラ歌手として成功しています。
マルチェリーナ役のコンスタンス・ウィリス(Constance Willis, 1894-1940)は、イギリスの女優で兼業でオペラ歌手をしていた人。カール・ローザ・オペラ・カンパニー、サドラーズ・ウェルズ劇場、コヴェントガーデン王立歌劇場等に出演歴があるらしいですが、若くしてなくなったために録音は少なく、目ぼしいものではこの録音くらいしかありません。
バルトロ役は、イタロ・ターヨ(Italo Tajo, 1913-1995)とノーマン・アリン(Norman Allin, 1884-1973)が分担して歌っています。当初はターヨがバルトロ役を一貫して歌う段取りだったのが、録音の都合で途中で交代することになったのだとか。

今日的に色々不備のある「全曲録音」ではありますが、演奏の質は音質ほどに悪いものではありません。序曲の冒頭こそアンサンブルのばらつきがありますが、すぐに持ち直し、ずしりと重いサウンドと軽快なテンポを両立した見事な演奏に仕上げています。またブッシュの指揮は歌手たちを乗せるのもうまく、緩急自在なテンポでドムグラーフ=ファスベンダーのフィガロ役をコミカルに動かしています。スザンヌ役を歌うマイルドメイも利発で表情豊かな歌唱を聴かせ、ドムグラーフ=ファスベンダーと互角に渡り合う存在感を示しています。イギリスきっての名歌手だったナッシュのバジリオ役も、うまく剽軽な役を作っており、名優としての沽券を保っていますが、彼の歌唱で第四幕のバジリオの処世訓のアリアが録音されなかったのは何とも残念。ラウタヴァーラの歌う伯爵夫人役も、ちょっと古風ながらそこに気品を感じさせる絶妙なもの。ヘンダーソンの歌う伯爵役は、ちょっと紳士的でギラついた感じが不足しますが、ブッシュがメリハリのついた伴奏で盛り立てているので、全体的に力不足を感じません。

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