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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Wolfgang Amadeus Mozart: Piano Concerto No.21 in C major, K467
Emil Gilels (Pf)
National Symphony Orchestra / Pedro de Freitas Branco
(Rec. 27 April 1961, Tivoli Cinema, Lisbon) Live Recording with Applause
Joly Braga Santos: Symphony No.1 in D major, op.8
National Symphony Orchestra / Pedro de Freitas Branco
(Rec. 27 April 1961, Studio A of Portuguese National Broadcasting)








ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1685-1750)のピアノ協奏曲第21番とジョリ・ブラガ・サントス(Joly Braga Santos, 1924-1988)の交響曲第1番のカップリングです。演奏は、ペドロ・デ・フレイタス・ブランコ(Pedro de Freitas Branco, 1896-1963)の指揮するポルトガル国立交響楽団(Orquestra Sinfónica National)です。モーツァルトのピアノ協奏曲では、エミール・ギレリス(Emil Gilels, 1916-1985)が独奏を担当しています。カデンツァはロベール・カサドシュの作を使用しています。

オーストリアはザルツブルクに生まれたモーツァルトは、父親の英才教育で天才作曲家として幼少期から活躍した作曲家で、とくにピアノの演奏を得意とし、1781年にはウィーンで予約演奏会を開いて1780年代のオーストリア音楽界のカリスマ的存在になっていました。
1785年の3月に作られたこの曲も予約演奏会の出し物として作曲されたもので、先月に作られたニ短調(K466)と好対称を成すといわれる華やかさが売りです。

ブラガ・サントスは、20世紀のポルトガルの作曲家です。第二次世界大戦前までリスボン音楽院でルイス・デ・フレイタス・ブランコの下で作曲を学び、戦後にイタリアに行ってヘルマン・シェルヘンやアントニーノ・ヴォットーらに指揮法を学んだり、ヴィルジリオ・モリターリに作曲を学んだりして、20世紀ヨーロッパの音楽的風土をポルトガルに持ち帰りました。ただ、無調音楽の系列には加わろうとせず、調性音楽をベースにした半音階の音楽とポルトガルの民族性の融合によって独自の作風を打ち立てました。そのため、ポルトガルの音楽界では、L.デ・フレイタス・ブランコの後継としてポルトガル音楽の近代化に寄与した重要な作曲家に位置付けられます。
ブラガ・サントスの交響曲第1番は1947年の作品で、「最近の世界大戦の英雄たちと犠牲者たちに」という献辞が掲げられています。スケルツォに相当する楽章を排除した3楽章構成で、いずれも10分を超える重厚な音楽です。第1楽章の前半部分は八甲田山雪中行軍遭難事件を思わせるような陰鬱さを醸し出していますが、後半では前半部分の主要動機を用いて勇壮な音楽に仕立て直しています。第2楽章はドミトリー・ショスタコーヴィチの交響曲の緩徐楽章を一層ドラマティックにしたような音楽で、この楽章に戦争の死者への弔いが込められているようです。第3楽章は、第1楽章の後半部分の勇壮さを一層推し進めたような音楽をメインに据えながら、牧歌的な音楽を挟んで安っぽいクライマックスにならないように工夫しています。全体的に戦争映画に使えそうな筋肉質の音楽ですが、どこか連合国軍の戦勝気分に乗り切れない雰囲気を持っているのは、第二次世界大戦で傍観を決め込んだポルトガルの立場が影響しているのでしょうか、それとも戦敗国のイタリアに留学していたが故でしょうか。

このCDで指揮をしているP.フレイタス・ブランコは、先に触れたL.フレイタス・ブランコの弟で、兄やトマス・ボルバに音楽理論、アンドレス・ゴニスとベネト・フランシスコの各氏にヴァイオリンを学びました。1924年にイギリスのロンドンに渡り、歌手として活動を始めましたが、2年で行き詰まって1926年には帰国しています。1928年にはポルトガル・リリック・オペラ・カンパニーを立ち上げるも、これも失敗し、1932年までリスボンのチボリ劇場で指揮者として活動しました。1932年に、モーリス・ラヴェルに招かれてパリに移り、1934年に帰国するまでにフランスで名声を確立しました。
P.フレイタス・ブランコが指揮しているポルトガル国立交響楽団は、当時の公共放送大臣だったドゥアルテ・パチェコの肝入りで、1934年に結成されたオーケストラです。初代の首席指揮者には、帰国したばかりのP.フレイタス・ブランコが選ばれ、P.フレイタス・ブランコは亡くなるまで、このオーケストラを育てました。オーケストラは、1935年に発足したポルトガル国営放送(ENR:Emissora Nacional de Radiodifusão)の傘下に入り、放送局の仕事をするときには、建前上、ポルトガル国営放送交響楽団(Orquestra Sinfónica da Emissora Nacional)名義で仕事をし、母体のポルトガル国営放送が1976年にポルトガル放送(RDP:Radiodifusão Portuguesa)に改組されると、ポルトガル放送交響楽団(Orquestra Sinfónica da RDP)に名義が変更されました。ただ、こうした名義使用はさほど厳格なものではないらしく、このCDはポルトガル放送の肝入りで発売されているにもかかわらず、オーケストラ名の表記を"National Symphony Orchestra"(ポルトガル語の"Orquestra Sinfónica National"も併記)にして販売しています。なお、このオーケストラは1989年12月2日のコンサートを最後に解散してしまったとうのことです。

演奏の出来は、ギレリスのピアノ独奏を視野に入れなければ、ブラガ・サントスの交響曲の演奏のほうが良いです。オーケストラの技量は決して高いとは言えず、ブラガ・サントス作品の第3楽章の勇壮な場面と牧歌的な場面の切り替えが多少ぎくしゃくしたり、全体的に響きが粗かったりするのですが、ブラガ・サントスの音楽に楽員たちが共感しているのか、モーツァルトの協奏曲伴奏の時とは違った団結心を感じさせてくれます。特に出色の出来は第2楽章で、少々荒っぽい響きのオーケストラが、真摯に祈りをささげるように音楽を奏でています。
モーツァルトの作品では、40代半ばのギレリスが快進撃を披露。指回りが良すぎて仕方ないといった風ですが、軽やかに弾いているというよりは、ズシンと重い響きを矢継ぎ早に繰り出して、その一つ一つをロードローラーで路面を平らにするように音の粒を揃えています。メカニックの弱さを露呈するような三下のピアニストなど鎧袖一触の出来栄えです。しかし、ギレリスが隙きのない演奏をすればするほど、オーケストラの反応の鈍さというか、響きの非洗練具合があぶり出されます。P.フレイタス・ブランコがオーケストラに表現してほしい意図は伝わるのですが、ピアノの音色を優しく包んでほしい弦楽合奏がゴワゴワだったり、木管セクションの表情が生硬だったりと、ギレリスのピアノに置き去りにされそうになったりと、互角に渡り合えない格落ち感があります。伴奏なので、ブラガ・サントスの交響曲の演奏のように渾身の力を込めるというところまでは行きませんが、ギレリスと以心伝心の遣り取りをするレベルに達しておらず、むしろギレリスが時々歩調を合わせて気を使っている感じがします。


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