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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Alban Berg: Concerto for Violin and Orchestra
Louis Krasner (Vn)
BBC Symphony Orchestra / Anton Webern
(Rec. 1 May 1936) Live Recording without Applause
◈Alban Berg: Lyric Suite for String Quartet
Galimir String Quartet
{Felix Galimir (1st Vn), Adrienne Galimir (2nd Vn)
Reneé Galimir (Vla), Marguerite Galimir (Vc)}
(Rec. 1936)



アルバン・ベルク(Alban Berg, 1885-1935)は、オーストリアの作曲家で、アルノルト・シェーンベルクやアントン・ウェーベルン(Anton Webern, 1883-1945)らと共に新ウィーン楽派を形成した作曲家です。
若いころからプレイボーイだったベルクは、17歳のときに、ベルク家の別荘に働きに来ていた女の子のマリー・ショイフルとの間に私生児を儲けています。
その後、1911年にヘレーネ・ナホヴスキーと結婚するも、1925年にはプラハで知り合った人妻ハンナ・フックスと不倫関係を結んでいました。このフックスとの関係が、ベルクの後半生の創作意欲の源泉でした。

オーストリアには、アルマ・シンドラーという才色兼備の女性がおり、彼女はグスタフ・マーラーの配偶者として有名です。この人も男性関係はかなり派手で、次々とオーストリア在住の芸術家たちを手玉に取り、オーストリアの芸術家たちのセックス・シンボルと位置づけることもあながち間違っていないかもしれません。なお、ベルクとフックスの間を取り持ったのは、このアルマです。彼女は、マーラーの死後、バウハウスで知られる建築家のヴァルター・グロピウスと再婚し、マノン・グロピウスを産みました。
このマノンを、ベルクは甚く可愛がっていました。マノンは、アルマ譲りの才色兼備な女の子だったので、ひょっとすると、ベルクはマノンの成熟を待ってグヘヘヘヘ・・・。(以下自粛)

1935年は、ベルクにとっていろんな意味で忙しい年でした。
この時期のベルクは、歌劇《ルル》の作曲に付きっきりで、ウクライナ出身でアメリカのヴァイオリニストとして活躍していたルイス・クラスナー(Louis Krasner, 1903-1995)が持ってきたヴァイオリン協奏曲作曲の依頼にも気のない返事を返すばかり。
しかし、4月にマノンが19歳を待たずして急死してしまい、ベルクは彼女のためのレクイエムを作曲することを決意します。《ルル》の作曲を中断したベルクは、クラスナーの作曲依頼を、マノンへの追悼曲とすることで、合意し、8月にはこの曲を完成させています。
ところが、ベルクは虫にさされた時の処置を怠り、その虫刺されは腫瘍となります。この腫瘍によって、ベルクは敗血症になり、この年のクリスマス・イヴに息を引き取りました。
彼の死去により、ヴァイオリン協奏曲が完成されたベルクの最後の作品となり、歌劇《ルル》は未完成に終わってしまいました。

ヘレーネ未亡人は、この曲をマノンへのレクイエムであると同時に、ベルク自身へのレクイエムという位置づけを示しています。引用したバッハのコラールの歌詞の「私を天にお召しになってください。私は十分に生きました。」という歌詞の大意は、ベルク自身が現世に別れを告げているようにも聞こえます。ベルクは、実際こういった謎かけのような仕掛けを好んでいたようです。
音楽学者のダグラス・ジャーマンらは、楽譜の中に謎かけをするというベルクの癖に着目し、楽譜を綿密に調べた結果、ベルクが17歳で子どもを身篭らせたマリーの地元の民謡を敢えて用いて、マリーの存在を楽譜に埋め込んでいることを突き止めています。また、ベルクは、ヴィルヘルム・フリースが提唱していた数秘術にも傾倒していて、ベルク自身の運命数"23"と不倫相手のフックスの運命数"10"を、メトロノーム記号や小節数などに反映させ、この作品のなかに、フックスの魂をも封入していることが推測されます。
ベルク研究家によれば、この作品は、ベルクが関係した女性たちを含みこんだ、自伝的作品ということになります。

本CDでの演奏は、1936年5月1日に行われたベルク追悼演奏会でのライヴ録音で、イギリスでの初お披露目の演奏になったものです。
ソロは依頼者のクラスナー、伴奏はベルクの盟友ウェーベルンの指揮するBBC交響楽団が担当しています。
この演奏に先立って、1936年4月19日、バルセロナ国際現代音楽祭でクラスナーのソロとヘルマン・シェルヘンの指揮によって初演されましたが、本当はこの世界初演でウェーベルンが指揮するはずでした。
しかし、親友であるベルクの死のショックから立ち直っていないウェーベルンは、満足にリハーサルをこなせず、シェルヘンにバトン・タッチをして去ってしまいました。
しかし、ウェーベルンは、BBCが企画したベルク追悼演奏会でタクトを振る決意をし、ここに収録された演奏を行うに至りました。
初演のリハーサル中に感極まって土壇場で初演の指揮をキャンセルしたウェーベルンだけに、何が起こるかわからないという、張り詰めた空気が伝わってきます。
打ち震えるヴァイオリンと、ヴァイオリンを折檻しながら阿鼻叫喚するSMのような世界観を、紆余曲折しながら浄化していくドラマ作りが、濃密な音楽体験をさせてくれます。テンポは常にルバートをかけられ、まるで生き物のように音楽が伸び縮みします。クラスナーが保存していたアセテート盤からの復刻なため、音質はあまりよくはありませんが、歴史的意義を差し引いても、十分説得力のある演奏が刻み込まれています。

カップリングとして、ガリミール弦楽四重奏団の演奏する抒情組曲が収録されていますが、この作品は1925年からその翌年にかけて作られた音楽です。
この作品は、ベルクが十二音技法を使った最初の作品とされます。公にはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの抒情交響曲に感銘を受け、ツェムリンスキーの同作品から第3楽章のモチーフを、この作品の第3楽章にあしらって、ツェムリンスキーへの敬意を表しています。
しかし、これまで述べてきたように、この作曲時にフックスと出会い、不倫の恋を燃え上がらせたのであり、本作品にもフックスの影が隠れているという指摘がしばしばなされます。
前述ヴァイオリン協奏曲で使われた謎かけは、ここでも先駆けて行われ、自分の運命数とフックスの運命数が、メトロノーム記号や小節数などに強く影響しています。また、フィナーレでは、リヒャルト・ヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》のメロディが引用され、彼らが取り結んだ不倫の恋の暗示となっているという見方も出来ます。

演奏しているガリミール弦楽四重奏団は、フェリックス・ガリミール(Felix Galimir, 1910-1999)と、彼の姉妹で結成した弦楽四重奏団です。この弦楽四重奏団は、1938年にフェリックスがアメリカに亡命することで解散することになりました。(その後、別メンバーでフェリックスはガリミール四重奏団を再結成しました。)
この弦楽四重奏団は、積極的に同時代音楽を取り上げ、当時としては精妙な演奏で定評があったようです。
カール・フレッシュ門下のフェリックスのヴァイオリンの清潔なボウイングと、それにぴったりと張り付く三姉妹の演奏は、非常にクールです。あまり楽譜上の謎解きに詮索を加えず、徹底して楽譜にかかれた音の実音化に力を注いだのでしょう。曲から匂い立つ官能美は、それほど強く感じられません。

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