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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Johann Sebastian Bach: Violin Concerto No.1 in A minor, BWV1041
Johann Sebastian Bach: Violin Concerto No.2 in E major, BWV1042
Henryk Szeryng (Vn)
L'Association Concerts Pasdeloup / Gabriel Bouillon
(Rec. 1951)
Johann Sebastian Bach: Chaconne from Partita No.2 in D minor, BWV1004
Henryk Szeryng (Vn)
(Rec. 1955)







ドイツの作曲家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)が生きていた頃、イタリアでは協奏曲の様式が変革の真っ只中にありました。アルカンジェロ・コレッリが合奏協奏曲を作った時には緩-急-緩-急の四楽章構成で書かれ、弟子のフランチェスコ・ジェミニアーニらがその構成を守っていましたが、コレッリの一世代後のアントニオ・ヴィヴァルディは急-緩-急の三楽章構成で協奏曲を量産し、この三楽章構成が18世紀以降の協奏曲の様式のスタンダードになっていきました。J.S.バッハが、この協奏曲様式の変化を視認したのは、ヴァイマル宮廷で働いていた1713年ごろではないかと考えられます。その年の夏ごろに主君ヴィルヘルム・エルンスト公の甥であるヨハン・エルンスト公子がユトレヒトへの遊学を終えて帰って来た際、公子はヴィヴァルディらの作品の楽譜を集めて持ち帰り、それらの作品の編曲を公子自身の作品も含めて編曲するように依頼していました。その時にイタリアからの三楽章構成の協奏曲の様式を体得し、その成果が多分にJ.S.バッハの協奏曲の分野に影響を及ぼしています。

J.S.バッハの作品として現存するヴァイオリン一挺を独奏に据えた協奏曲は、本CDに収録される第1番(BWV1041)と第2番(BWV1042)の2曲で、いずれも三楽章構成です。これらはそれぞれ、第1番がト短調に移調されてBWV1058のチェンバロ協奏曲に、第2番がニ長調に移調されてBWV1054のチェンバロ協奏曲に編曲されています。このヴァイオリン協奏曲2曲の成立時期は、ケーテンの宮廷で働いていた1720年代といわれていますが、ヴァイマルにいた頃から既にものにしていた可能性もあります。余談ながら、原曲がヴァイオリン協奏曲と思しきJ.S.バッハのチェンバロ協奏曲はまだあり、研究者の間ではJ.S.バッハが作ったヴァイオリン協奏曲はこの2曲だけではないのではないかと言われています。
なにはともあれ、この2曲のヴァイオリン協奏曲は、J.S.バッハの遺したヴァイオリン協奏曲として、ヴァイオリニストの間では必須のレパートリーに組み込まれており、古くから多くのヴァイオリン奏者がこれらの曲を録音しています。

本CDで独奏を担当するのは、ポーランド出身のメキシコのヴァイオリン奏者であるヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng, 1918-1988)です。シェリングはポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラの生まれです。5歳から母親にピアノを手ほどきを受けた後、7歳でモーリス・フレンケルの下でヴァイオリンを始め、8歳でブロニスワフ・フーベルマンに才能を認められています。1929年からベルリンに留学してヴィリー・ヘスとカール・フレッシュに師事。1933年にはパリ音楽院に行ってガブリエル・ブイヨン(Gabriel Buillon, 1898-1984)のクラスに入りながらジャック・ティボーに私淑し、また在学中にナディア・ブーランジェから作曲法を教わりました。第二次世界大戦中はポーランドの亡命政府で通訳や外交官をし、戦後はポーランド難民を引き受けてくれたメキシコの恩義に応えるためにメキシコ国籍を取得しています。メキシコではカルロス・チャベスに請われてメキシコ国立音楽大学の教授として弦楽器科を創設しました。1954年にメキシコに来演したアルテュール・ルービンシュタインと共演したことがきっかけとなってRCAレーベルと契約し、世界的に著名なヴァイオリン奏者としてその名を轟かせました。メキシコ政府から外交官パスポートを支給してもらっていたシェリングは、海外演奏旅行を活発に行っていましたが、ドイツのカッセルで心臓発作を起こして急逝しています。
本CDでコンセール・パドルー(L'Association Concerts Pasdeloup)を指揮してシェリングのサポートをしているブイヨンは、モンペリエ出身のフランスのヴァイオリン教師です。一時シンガーのジョセフィン・ベイカーの義兄でもありました。ティボーの門下で、自ら弦楽四重奏団を組むほど室内楽を熱心にこなす一方、パリ音楽院の教授職も務め、シェリングはその門下生でした。
コンセール・パドルーは、1861年にジュール・パドルーが創設したコンセール・ポピュレールを起源とするフランスの民間オーケストラです。1884年にコンセール・コロンヌやコンセール・ラムルーに圧されて演奏活動を一旦停止しましたが、1918年に映画会社社長のセルジュ・サンベールがパトロンについたことで活動を再開しました。コンセール・パドルーを名乗るようになったのは1921年からのことで、英語圏ではパドルー管弦楽団(Pasdeloup Orchestra)とも表記されます。

後年のシェリングは名誉欲を強め、フィリップス・レーベルに残した録音は大先生の示範みたいなものが少なくありませんが、この録音では大先生ぶったところは薄く、表情の豊かな演奏に仕上がっています。第1番のほうの第二楽章は、テンポこそ大きく揺らしていませんが、メロディのフレーズの終わりに流し目のように音を微妙にずらす弾き方がティボーを想起させます。控えめなヴィブラートの細かな使い分けも効果的で、しなやかさと力強さのバランスの絶妙さを演出しています。
ブイヨンの指揮するパドルー管弦楽団の面々は、少々ブイヨンがオーケストラのコントロールに慣れていないのか、シェリングと歩調の合っていないところが散見され、合奏の響きの洗練度もあまり高くありません。しかし、フレーズの一つ一つに心をこめて歌いぬこうとするこだわりが感じられ、それがシェリングの独奏に温もりを与えているような気がします。その温もりの点では第2番のほうが曲想の効果もあって情が深く、特に第1楽章などはシェリングの実直な独奏だけでは作り出せない大らかさがあります。ブイヨンの整理されつくしていない伴奏は、そのラフさが却って音楽から人間味を引き出すのに有効に働いているようです。

これら2曲のアンコールのように収録されているJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番からのシャコンヌは、1955年に収録されたJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのための作品全曲からの抜粋です。凡そ12年後にドイツ・グラモフォンに全曲再録音していますが、その再録音盤と比べると、その解釈に大きな差はありません。ただ、こちらの録音のほうが少し気力の充実がみられ、重音の思い切りの良い弾きっぷりが、こちらの録音のほうがよく堪能できます。モノラル録音なので、あまり音の広がりはありません。

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