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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Johann Sebastian Bach: Das Wohltemperierte Klavier, Book 2, BWV 870-893
Robert Riefling (Pf)
(Rec. February and March 1985, Oslo University Assembly Hall)







ドイツ系ノルウェーのピアニスト、ロベルト・リーフリンク(Robert Riefling, 1911-1988)によるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)の平均律クラヴィーア曲集(Das Wohltemperierte Klavier)第二巻です。
この曲集は、バッハが書き溜めて出版の目途のたっていなかったであろう曲集を集めたものと考えられています。長調・短調合わせて24の調について、それぞれ主音を半音ずつ上げるように作品を配列し、それぞれの曲は前半の「前奏曲」と後半の「フーガ」に分かれます。

日本では、この曲集について「平均律クラヴィーア曲集」と書くのが、この曲が日本に伝来した頃からの習わしです。しかし、古楽研究が盛んになるにつれて、このタイトルの和訳は批判にさらされるようになりました。
和訳で「平均律」といっているものは、ドイツ語で"Wohltemperierte"と記される単語です。これは英語に訳すると"Well-Tempered"になり、日本語にすると「好ましく調律された」という意味になります。平均律は英語で"Equal temperament"なので、バッハの「好ましく調律」という調律が平均律だと速断してしていいのかというのが、今日一般的に口にされるこの曲集のタイトルの和訳への批判です。

バッハの生きていた時代は、今日のように専属の調律師がいたわけではなく、演奏者が自己責任で調律を行い、その調律の良し悪しも演奏者の腕前の一つに数えられていました。こうした事実の裏付けとして、フランスのルイ・マルシャンがJ.S.バッハがチェンバロの調律するのを聴いて恐れをなしたというエピソードが知られています。
ただ、昔から使われていた純正律は、楽器を美しく響かせる反面、不均等な音律だったため、転調するとその音律の不均等さが耳につくようになるという欠点がありました。こうした欠点を補うべく、J.S.バッハが活躍する以前から様々な調律の方法が考案されてきていました。J.S.バッハが特に注目していたのは、ドイツの音楽理論家、アンドレアス・ヴェルクマイスターの提唱する調律法でした。このことから、J.S.バッハが想定した調律法はヴェルクマイスターの調律法ではないかと考える説があります。
また一方で、J.S.バッハの弟子だったヨハン・フィリップ・キルンベルガーも転調に強い調律法を編み出しており、このキルンベルガーの調律法もJ.S.バッハが想定した調律法の候補に数えられています。
しかし、J.S.バッハの生前から既に平均律は考案されており、J.S.バッハが全く平均律を知らなかったという証拠はありません。
J.S.バッハが一体どういう調律を好ましいと考えていたのか、彼が既に亡き今日では、それを正確に言い当てることは不可能です。むしろ、その好ましさを各自で考えることが、作曲者の深慮なのかもしれません。
なにはともあれ、この曲を一回のステージで全曲弾き切るのであれば、調律を工夫した複数台の鍵盤楽器を準備すべきでしょうが、これはさほど現実的ではありません。よほどのこだわりがないかぎり、色々な転調に耐えられる平均律の鍵盤楽器で演奏するのが一般的といえるでしょう。

この作品でピアノを弾くリーフリンクは、クリスチャニア(現:オスロ)のドイツからの移民の家に生まれたピアノ奏者です。両親は音楽家で、13歳年上の兄ライマーもピアノ奏者になりました。リーフリンクは地元の音楽院でニルス・ラルセンにピアノを習い、1925年にドイツに留学しています。留学先ではカール・ライマー、エトヴィン・フィッシャー、ヴィルヘルム・ケンプの各氏の薫陶を受け、1938年にブリュッセルで開催されたウジェーヌ・イザイ・コンクール(現:エリザベート王妃国際音楽コンクール)に挑戦して6位を獲得しました。
ファッティン・ヴァーレンやハラル・セーヴェルーといった地元ノルウェーの同時代の作曲家の作品を積極的にレパートリーに入れ、ノルウェー音楽界の活発化に一役買ったリーフリンクですが、J.S.バッハの作品解釈でも一家言を成していました。1941年からリーフリンクは兄ライマーとピアノ学校を設立していましたが、第二次世界大戦中ということもあり、1942年からしばらくナチスに捕縛されていました。その獄中でJ.S.バッハの作品を研究し、戦後はその演奏で緩い亡い名声を獲得するようになりました。1967年からデンマーク王立音楽院の教授を務めたリーフリンクは、1981年に引退しています。

この録音は、リーフリンクがオスロで亡くなる3年ほど前のもので、往年のJ.S.バッハの名解釈者として、どうしても録音しておきたい演目だったのでしょう。グレン・グールドのように寸分の狂いも許さない演奏に比べると、この70代に達した老ピアノ奏者の演奏は随分ラフに聴こえます。音楽の大伽藍を建築するというよりは、その大伽藍を構成する石垣の一つ一つを撫でたり擦ったりしながら、どのような建築構造になっているのかを教えてくれるような演奏です。
長年この曲集と向き合ってきたリーフリンクならではの融通無碍さは、各曲の前奏曲で味わうことができます。タッチは武骨ですが、それぞれの動機の特徴を捉え、まるでそれぞれ動機が会話を楽しんでいるかのようです。前奏曲の曲想に応じてその会話の雰囲気もしっかり変わるので、ルーティンを感じさせることがありません。
「フーガ」も前奏曲同様に動機にニュアンスをつけており、それが全体としてゴツゴツとした感触を生み出しています。訥々としたタッチに演奏者の人柄の良さが滲み出ており、彼の師匠たちの演奏を彷彿とさせますが、もっとガッチリした骨格のスマートな演奏を望む人もいることと思います。作品に注解をつけていく方に傾斜した演奏なので、演奏に厳格な造形美を求める人には向きません。しかし、何も求めず虚心坦懐に聴けば、春の陽だまりの中にいるようなほんのりとした温かさを感じさせる演奏です。

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