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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Modest Mussorgsky: Picture at an Exhibition
◈Igor Stravinsky: Petrouchka Suite
◈Mily Balakirev: Islamey
Alfred Brendel (Pf)
(Rec.1955)



アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel, 1931-)は、チェコ出身のオーストリアのピアニストです。
彼は、2008年の12月いっぱいで現役のピアニストを引退し、ピアノ教師として第二の人生をスタートさせるとのことでした。
ブレンデルは、1949年にブゾーニ国際ピアノ・コンクールで第4位に入賞したというコンクール歴を持つピアニストですが、このコンクールと前後してエトヴィン・フィッシャーやエドゥアルト・シュトイエルマンのマスター・クラスを聴講し、ほぼ独学でピアノを習得したとのこと。
1970年代からPhilipsレーベルにルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンやフランツ・シューベルト、フランツ・リストなどの作品を矢継ぎ早に録音し、国際的に著名なピアニストとなりましたが、録音活動自体は1950年代からはじめており、本CDは、そうした活動の初期にあたる録音となります。

本CDに収録されているのは、モデスト・ムソルグスキー(Modest Mussorgsky, 1839-1881)の組曲《展覧会の絵》(1874年作)とイーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky, 1882-1871)の《ペトルーシュカ》からの3章、ミリー・バラキレフ(Mily Balakirev, 1937-1910)の《イスラメイ》()の3作品です。

ムソルグスキーの《展覧会の絵》は、親友で建築家のヴィクトル・ハルトマンの追悼のために作曲されたもの。
ムソルグスキーは、親友のハルトマンの遺作展に出かけ、彼の遺した絵画や建築スケッチからインスピレーションを得て、この曲集を作曲しました。この曲集は、ハルトマンとムソルグスキーの共通の友人であるヴラディミル・スターソフに捧げられましたが、なかなか出版されず、ムソルグスキーの死後の1885年に、親友で音楽仲間のニコライ・リムスキー=コルサコフによって出版されました。出版するに当たって、リムスキー=コルサコフは、ムソルグスキーが生前自分に弾いて聴かせた演奏の記憶をたよりに発想記号をつけ、多少の手を加えています。1931年にパペル・ラムがムソルグスキーの自筆譜を校訂して出版するまで、リムスキー=コルサコフ校訂版が《展覧会の絵》の原典版と見做されていました。
本CDでの演奏も、リムスキー=コルサコフ版が使われているとのことです。

ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》は、1910年から1911年にかけて作られた、セルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団のための作品です。1914年にアルトゥール・ルービンシュタインが、この曲をピアノで演奏したいと申し入れ、ストラヴィンスキーが、その申し入れを引き受けて、このバレエ音楽から3曲選び出し、ピアノ用に編曲しました。
選び出されたのは、第1場の〈ロシアの踊り〉、第2場の〈ペトルーシュカの部屋〉、第3場の〈謝肉祭〉で、オーケストラの譜面から音を刳り抜くように編曲しているため、大変難易度の高い曲に仕上がっています。

《イスラメイ》は、1869年に書き上げられたバラキレフの代表作です。バラキレフは、前述ムソルグスキーやリムスキー=コルサコフらが所属していた音楽サークルの中心人物で、この音楽サークルは「五人組」として知られています。彼らは、ロシア人としての独自の音楽の方向性を模索した人たちであり、バラキレフは、自らの豊富なヨーロッパ音楽の知識を生かしてロシアの民族音楽との融合を目標として作曲を行った人でした。掲げる目標が高かったため、作曲には大変苦労し、結果としてあまり多くの作品を書き上げることはできませんでしたが、この《イスラメイ》は、カフカス地方で聴いた音楽と自分の作曲技法の融合に成功した作品として、広く知られることになりました。
バラキレフは、ロシアで屈指のピアニストでもあり、この《イスラメイ》には、自らの持てる技巧をありったけ叩き込んでいます。しかし、出来上がった作品は、バラキレフ自信の技術を超えてしまったとのこと。その難易度の高さが、作曲当時から、多くのピアニストたちをひきつけ、バラキレフの名刺代わりの難曲として、今日まで弾き継がれています。

おそらく、ブレンデルにとっては、この録音がレコード・デビューとなったものと思われます。
自分が技巧的に申し分のないピアニストであることを証明するために、このような難曲を揃えたのかもしれません。こうした難曲を目の当たりにしても、ブレンデルは焦ることなく淡々と弾きこなしています。多少イスラメイで多少ヒート・アップしますが、ムソルグスキーの場合は素っ気無いくらいにあっさりと弾いています。
ペトルーシュカの3章は、音の洪水のようなテクスチュアを明瞭化するだけでなく、ロマンティックな味付けにも挑戦するなど、余裕の演奏振りを披露しています。こうした技術的余裕があればこそ、「リスト弾き」として早いうちから期待されたのでしょう。

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