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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Théodore Gouvy: Requiem, op.70
Sheri Greenwald (S)
Elsa Maurus (Ms)
Gérard Garino (T)
Manfred Hemm (Bs)
Chœur de la schola de Vienne (Chorus master: Wolfgang Bruneder)
La Philharmonie de Lorraine Orchestre / Jacques Houtmann
(Rec. 6 & 9 June 1994, La Salle Metz)
◈Théodore Gouvy: Cantate Le Pritemps, op.73
Sheri Greenwald (S)
Chœur d'Hommes de Hombourg-Haut (Chorus master: Alfred Schmidt)
La Philharmonie de Lorraine Orchestre / Jacques Houtmann
(Rec. 6 & 9 June 1994, La Salle Metz)



テオドール・グヴィ(Théodore Gouvy, 1819-1898)は、ロレーヌ地方に生まれた、フランスの作曲家です。ロレーヌ地方は、アルザスと一緒にドイツとフランスの領土争いにしばしば巻き込まれており、グヴィの生まれたゴフォンテーヌは、今はドイツ領となり、ザールブリュッケンと呼ばれています。
グヴィの生まれた頃から、グヴィの生地周辺はフランスとドイツ間での領土争いに巻き込まれており、ナポレオン・ボナパルトの敗北の影響で、土地ごとドイツ人として扱われてしまったという経緯があります。
グヴィはパリ音楽院への進学を希望していましたが、当時のパリ音楽院は、外国からの留学生を原則的に受け入れていなかったため、ライプツィヒ音楽院に進学せざるを得なくなりました。
グヴィは、エドゥアルト・フランク、カール・エッケルト、ニルス・ゲーゼの各氏に学び、結果として、ロベルト・シューマンやフェリックス・メンデルスゾーンといったドイツ圏の作曲家達の語法を引き継ぐことになりました。
しかし、フランスへの帰属意識を抑えることが出来なかったグヴィは、1851年にフランス国籍を取得し、晴れてフランスの作曲家として活動することになりました。しかし作曲家としてのグヴィの評価は決して高いものではなく、エクトル・ベルリオーズの熱烈な擁護にもかかわらず、その作品のほとんどは、生前あまり注目されませんでした。
グヴィの作品が一躍脚光を浴びたのは、1994年に入ってからのことで、生地ロレーヌでレクイエム(1874年作)の蘇演がなされてからのことです。蘇演の反響の大きさから、このCDが制作され、グヴィの再評価がの先駆けとなりました。

●レクイエム
シェリー・グリーンワルド (S)
エルザ・マウルス (Ms)
ジェラルド・ガリーノ (T)
マンフレート・ヘム (Bs)
ウィーン・スコラカントールム (合唱指揮:ヴォルフガング・ブルネーデル)
ロレーヌ・フィルハーモニー管弦楽団/ジャック・ウトマン

●春のカンタータ
シェリー・グリーンワルド (S)
オンブール=オー男声合唱団 (合唱指揮:アルフレッド・シュミット)
ロレーヌ・フィルハーモニー管弦楽団/ジャック・ウトマン

グヴィのレクイエムは〈入祭唱〉(introïtus)、〈怒りの日〉(Dies irae)、〈思い出し給え〉(Recordare)、〈呪われし者〉(Confutatis)、〈奉献唱〉(Offertorium)、〈聖なるかな〉(Sanctus)、〈祝福されし者〉(Benedictus)、〈神の子羊〉(Agnus Dei)の8つの部分から成ります。オラトリオの作曲を好んだグヴィでしたが、このレクイエムはグランド・オペラ並みのスケールの大きな所作を持ち、ジュゼッペ・ヴェルディのレクイエムを彷彿とさせるものがあります。
1874年に書き上げたこの曲について、グヴィはコンセール・パドルーで取り上げてもらうことを企図していたようですが、コンセール・パドルーから演奏を断られ、コンセール・ラムルーでの演奏を打診しても色よい返事をもらえず、1876年にコンセール・ラムルーで取り上げられるまで、演奏される目処が立ちませんでした。コンセール・ラムルーで初演された後、ケルンやミュンヘンなどでも紹介されましたが、前述のように、1994年に再演されるまで、ほとんど話題になりませんでした。
カップリングされた《春のカンタータ》(1878年作)は、オンブール=オーで作曲された作品で、春の訪れから嵐を通して、春のうららかさを回復するという筋書きを持ち、ソプラノ独唱と男声合唱つきのオーケストラで演奏されます。1882年になってライプツィヒで演奏された記録が残っており、このライプツィヒでの演奏が初演だと思われています。この作品も、オランダやスイスなどで紹介されたものの、フランス本国では全く話題になりませんでした。
おそらく、このCDがレクイエム同様、初録音になると思われます。

本CDで指揮を務めるウトマン(Jacques Houtmann, 1935-)は、フランス出身の指揮者で、ジャン・フルネとフランコ・フェラーラの薫陶を受け、1961年のブザンソン国際指揮者コンクールで1位になった経歴を持っています。レナード・バーンスタインの助手も務め、リッチモンド交響楽団の首席指揮者などのポストを歴任した後、1985年にロレーヌ・フィルハーモニー管弦楽団の初代首席指揮者に就任しました。この録音も、そんなウトマンの業績の一つに数えられるのでしょう。
歌手陣は国際色豊かで、グリーンワルド(Sheri Greenwald)はボストン音楽院の教授を務めるアメリカのソプラノ歌手、エルザ・マウルス(Elsa Maurus, 1963-)はフランス出身でエウゲニア・ベザーラ=ルートヴィヒ(クリスタ・ルートヴィヒの母親)の門下生です。ジェラール・ガリーノ(Gérard Garino, 1949-)はフランスのテノール歌手で、マンフレート・ヘム(Manfred Hemm, 1961-)はオーストリアのバス歌手です。

レクイエムにおけるウィーン・スコラカントールムの合唱は、録音の加減ゆえか、のっぺりしていて力感不足ですが、音程はしっかりしています。その分、ロレーヌのオーケストラが奮闘していて、蘇演時に話題になったという〈怒りの日〉など、ドラマティックに盛り上げて一気呵成に聴かせます。歌手陣もなかなかの健闘ぶりを見せます。特に〈祝福されし者〉におけるガリーノのテノール歌唱が、簡素な曲調を清潔なフレージングで歌い上げ、このレクイエムの清涼剤として印象に残ります。
《春のカンタータ》は、グリーンワルドのすっきりした歌唱と、オーケストラの情熱的な伴奏で聴くと、カミーユ・サン=サーンスのカンタータと比べても全く遜色のない出来栄えに、佳曲を見つけたような気分になります。また、この作品所縁のオンブール=オーの男声合唱団が参戦していますが、こちらはレクイエムの合唱団よりも、肉感がはっきりしています。

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