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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Bernd Alois Zimmermann: Die Soldaten
Zoltán Kelemen (Bs: Wesener)
Edith Gabry (S: Marie)
Helga Jenckel (Ms: Charlotte)
Maura Moreira (A: Weseners alte Mutter)
Claudio Nicolai (Br: Stolzius)
Elisabeth Schärtel (A: Stolzius Mutter)
Liane Synek (Ms: Die Gräfin de la Roche)
Iris Sanders (S: French Girl, Strawberry Seller)
Willi Brokmeir (T: Der junge Graf, ihr Sohn)
Anton de Ridder (T: Desportes)
Erich Winkelmann (Bs: Obrist, Graf von Spannheim)
Albert Weikenmeier (T: Pirzel)
Heiner Horn (Br: Eisenhardt)
Gerd Nienstedt (Br: Haudy)
Camillo Meghor (Br: Mary)
Norman Paige (T: Junger Offizier)
Hubert Möhler (T: Junger Offizier)
Heibert Steinbach (T: Junger Offizier)
Rolf Grohme (Speaker: Diener der Gräfin)
Hans Franzen (Speaker: Der betrunkene Offizier)
Karl Acher (Speaker: Hauptmann)
Artur Korn (Speaker: Hauptmann)
Kraus Bruch (Speaker: Hauptmann)
Heinz Willi Kramer (Speaker: Der junge Fähmrich)
Karl-Josef Goergen (Org), Wolfgang Sebastian Meyer (Org)
Gürzenich-Orchester Köln / Michael Gielen
(Rec. 21-22 January & 2-3 March 1965, Westdeucher Eundfunk Köln, Großer Sendesaal)



ベルント・アロイス・ツィンマーマン(Bernd Alois Zimmermann, 1918-1970)は、ドイツの作曲家です。元々この人は古風な作風を示していたのですが、ガルガンチュアの胃袋よろしく同時代のあらゆる作曲技法を自らの作曲活動の中に取り入れ、孤高の境地に至りました。
彼が前衛音楽の手法を自家薬籠中にしたのは、前衛音楽の作曲家になりたかったからではなくて、前衛音楽の人たちに「お前たちのやってる音楽に何の意味があるんだ!」と、問いをぶつけ続けるためだったんだとか。
ありとあらゆる音楽を吸収した彼は、自ら取り込んだ語法の音楽をコラージュにして作品を作るようになります。
そうして出来上がったものは、前衛音楽とクラシック音楽、はたまたジャズなどの混合物と言う、独特の作風を示すことになりました。
しかし、そのおかげで、保守層からは前衛音楽と見做され、前衛音楽のサイドからは中途半端な音楽として突き上げを食らいます。作品を発表すればするほど、前衛音楽に向けるはずだった矛先が自分に刺さってしまうというジレンマを、ツィンマーマンは抱えてしまうことになりました。
化け物を攻撃するはずが、自分自身が化け物になってしまったという悲劇・・・。彼の音楽の言わんとすることが再評価されるようになったのは、彼がピストルで自らの命を絶ってからです。

そんなツィンマーマンの代表作として知られるのが、1960年に作曲された4幕のオペラ《軍人たち(兵士たち)》です。
原作は、ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツ(Jakob Michael Reinhold Lenz, 1751-1792)という戯曲作家で、ほぼ原作の戯曲の台詞に音楽を加えてモダンな悲劇に作り変えています。
この作品は、ケルン市から依頼を受けて作曲され、ケルン歌劇場で上演されることが決まっていました。ツィンマーマンは、一幕ずつケルン歌劇場に届け、上演の検討と準備に取り掛かるように促しましたが、ケルン歌劇場側は上演不可能の裁定を下し、さらにヴォルフガング・サヴァリッシュやギュンター・ヴァントといった人たちが、上演不可能を追認したため、上演計画が一時ストップしてしまいました。これに抗議して、ツィンマーマンは第3幕以降の加筆訂正をやめ、ストライキに入ってしまいました。1963年に、こうした膠着状態を憂慮したケルン放送が仲介に入り、自分たちの放送局でオペラの一部でも上演してもよいという話をツィンマーマンに伝えたことで、ツィンマーマンは機嫌を直して改訂作業に取り掛かりました。1964年までに加筆・訂正作業を終えたこの作品は、1965年2月15日にケルン歌劇場で初演されることになりました。
このオペラの筋書きは以下のとおりです。

フランスのフランドル地方を舞台とし、時代は特に限定しせず、ツィンマーマンはただ「過去・現在・未来」とだけ書いている。

【第1幕】
装身具商人ヴェーゼナー家には、二人の娘がいて、姉のほうをシャルロッテ、妹のほうをマリーという。
マリーは隣町の生地商人の青年シュトルツィウスと許婚の関係にあり、いつもは文通で愛を確認し合っている。
そんなある日、若い男爵で軍人のデポルトがヴェーゼナー家にやってきて、マリーにちょっかいを出そうとする。
軍人貴族の素行の悪さはつとに有名で、従軍牧師のアイゼンハルトが彼らを諌めるが、まるで効果がない。ヴェーゼナーはデポルトを必死に食いとめたが、マリーの心はデポルトでいっぱいになっていた。

【第2幕】
デポルトのほうは、生娘のマリーを慰み者に出来るただの女としか考えていなかった。
シュトルツィウスからデポルトとの仲を訝しがる手紙を受け取ったマリーは動揺を隠せない。そこに付け込んでデポルトはマリーを口説き落とし、マリーはデポルトに夢中になるのだった。
シュトルツィウスがマリーに手紙を書いたのは、デポルトの策略であった。酒場で、デポルトの友人たちがシュトルツィウスに、マリーとデポルトのただならぬ関係にあることを吹きこんだからだ。
マリーとデポルトのスキャンダラスな関係は、街中の噂になってしまう。

【第3幕】
マリーが堕落してしまうことを心配したシュトルツィウスは、デポルトと同じ身分になるべく軍隊に入り、デポルトの友人であるマリ大尉の軍に配属された。そうすることで、マリーを見守り、救うことが出来るかもしれないと考えたのだ。
一方、マリーのほうはデポルトに夢中なのだが、デポルトのほうはマリーに飽きていて、軍人の友人たちにマリーを渡してしまった。
入隊したてのシュトルツィウスはマリーを探したが、そこで見たものは、軍人用の売春婦に身を窶していくマリーの姿だった。ただの当番兵でしかないシュトルツィウスは、そんなマリーを黙って見ているしかない。
そんなマリーを救おうとしたのが、ラ・ロッシュ伯爵夫人だった。ラ・ロッシュ家の御曹司がマリーを気に入り、伯爵夫人がマリーを引き取って、まともな生活を送れるよう矯正しようとしたのだった。

【第4幕】
しかし、マリーはデポルトとの快楽が忘れられず、伯爵夫人のところを抜け出し、デポルトに会いに行ってしまう。マリーに会ったデポルトは、マリーを自分の狩猟番に引き渡した。狩猟番はマリーを強姦してボロボロにし、マリーは浮浪者になってしまった。ヴェーゼナーや伯爵夫人は手を尽くしてマリーを探すが、見つけられない。
デポルトが友人宅で生娘を淫売にしてやったことを自慢している。その生娘とはマリーのことである。その場にはシュトルツィウスがいたのだが、彼はデポルトへの復讐を心に決めていた。女のことを自慢げに話すデポルトに、シュトルツィウスは毒を盛り、苦しみながら息絶えていくデポルトを見届けて、自らも命を絶った。

ある日、ヴェーゼナーが歩いていると、みすぼらしい女が物乞いをしに近寄ってくる。
ヴェーゼナー氏は、この女こそが自分の娘のマリーであることに気づかず、金貨を一枚渡して、その場を去っていった。
原作では最後にマリーと父親が再会し、二人して涙するという筋書きになっているのですが、ツィンマーマンはそうしたお涙頂戴のエンディングは採用しませんでした。
本CDは世界初演に並行して、ケルン放送で録音されたたもので、ツィンマーマンが録音時に、視覚を伴わない放送のために、いくらか作品に手を加えています。なにはともあれ、初演時のキャストをそっくりそのまま用いて録音しているので、以下のキャスト表を見れば、どのようなキャストで初演されたのかが一目瞭然といえるでしょう。
エディット・ガブリー (マリー)
クラウディオ・ニコライ (シュトルツィウス)
アントン・デ・リッダー(デポルト)
ゾルターン・ケレメン (ヴェーゼナー:マリーの父親)
ヘルガ・イェンケル (シャルロッテ:マリーの姉)
マウラ・モレイラ (ヴェーゼナーの母)
エリーザベト・シェルテル (シュトルツィウスの母親)
リアーネ・シネク (ラ・ロッシュ伯爵夫人)
ヴィッリ・ブロクマイアー (伯爵夫人の子息)
エーリッヒ・ヴィンケルマン (大佐、フォン・シュパンハイム伯爵)
アルベルト・ヴァイケンマイアー (ピルツェル)
ハイナー・ホルン (従軍牧師アイゼンハルト)
ゲルト・ニーンシュテット (オーディ中隊長)
カミッロ・メゴール (マリ)
ノルマン・パイゲ (若い士官)
フーベルト・メーラー (若い士官)
ヘリベルト・シュタインバッハ (若い士官)
ロルフ・グローメ (ラ・ロッシュ家の侍僕)
ハンス・フランツェン (酔った士官)
カール・アッヒャー (士官)
アルトゥール・コルン (士官)
クラウス・ブルッフ (士官)
ハインツ=ヴィッリ・クラーメル (若い見習い士官)
カール・ヨーゼフ・ゲールゲン (Org)
ヴォルフガング・セバスティアン・メイヤー (Org)
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団/ミヒャエル・ギーレン
このオペラは、テープも使われていますが、ケルン高等音楽院電子スタジオで作成されたものをケルン市劇場のスタジオで再生して使っています。
初演指揮者を務めたギーレン(Michael Gielen, 1927-)は、ブエノス・アイレスのコロン劇場のエーリヒ・クライバーの下で研鑽を積み、ウィーン国立歌劇場のコレペティートルを経てストックホルム王立歌劇場の音楽監督に就任していたた人です。ブエノス・アイレスにいた頃は、作曲とピアノも習得し、アルノルト・シェーンベルクの全ピアノ曲を演奏して話題をさらったこともあり、同時代の音楽に精通していました。このオペラの初演は賛否半ばになりましたが、ギーレンの株は大いに上がり、ベルギー国立管弦楽団の首席指揮者、ネーデルランド・オペラやフランクフルト歌劇場の音楽監督、シンシナティ交響楽団の首席指揮者を経て南西ドイツ放送交響楽団(現:バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団)の首席指揮者に就任し、同時代の音楽のスペシャリストとして大活躍しました。
この曲を初演するに当たっては、370回もの練習が組まれ、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団は、その練習期間の公演をフィルハーモニア・フンガリカに肩代わりしてもらってまで練習に打ち込んでいたとのことです。
マリー役を歌う(Edith Gabry, 1927-)は、ハンガリー出身のコロラトゥーラ・ソプラノ歌手で、イシュトヴァーン・ケルテスの奥さんでもありました。元々18世紀から19世紀にかけてのオペラを得意としていた人ですが、この上演後は20世紀の作品にも挑戦するようになりました。
シュトルツィウス役のニコライ(Claudio Nicolai, 1929-)はドイツ出身のバリトン歌手で、この録音時にはミュンヘンのゲルトナープラッツ劇場からケルン歌劇場に移籍してきたばかりでした。元々テノール歌手だったという経歴から、ツィンマーマンのシュトルツィウス役への「若くて高いバリトン」という指示にぴったりの歌手として登用されています。
デポルト役のリッダー(Anton de Ridder, 1929-2006)は、オランダ出身のテノール歌手で、イタリア・オペラの色男役で知られていた人。ここでは放蕩を繰り返す貴族軍人という役割を見事に演じきっています。脇役にも、マリーの父親役にハンガリー出身のケレメン(Zoltán Kelemen, 1929-2006)、マリーの母親役にブラジル出身のモレイラ(Maura Moreira, 1933-)、シュトルツィウスの母親役にドイツ人歌手のシェルテル(Elisabeth Schärtel, 1919-)、ラ・ロッシュ伯爵夫人にオーストリア出身のシネク(Liane Synek, 1922-1982)といったように、ケルン歌劇場の専属で売り出していた歌手たちを起用しています。

主人公のマリーが堕落していう物語は、まるでアルバン・ベルクの《ヴォツェック》や《ルル》を思わせますが、ホルン(Heiner Horn, 1918-)の歌うアイゼンハルト牧師が、「淫売に生まれついた女はみんな淫売になる」と嘯く士官たちに「淫売だって、そうなるように仕向けられなければ、淫売にはならない」というように、娘を堕落へと導く軍人たちの存在を殊更明確に描き出しています。アイゼンハルトがかくのごとく軍人たちを諌めようとも、デポルトたちにその声は届かず、「人生は楽しければそれでいい」とばかりに、放蕩を繰り返し、どうしようもない破滅へと進んでいきます。
このオペラに登場するマリーは、ツィンマーマンが舌鋒鋭くしてまで守ろうとした音楽そのものなのかもしれません。そのマリーを守ろうとしても守ることのできない町人側の人たちの無力さと、マリーを寄ってたかって凌辱して堕落させていく軍人たちの暴力性は、19世紀までの音楽秩序を守ろうとする人たちと、前衛音楽を推進しようとする人たちの、音楽をめぐるせめぎ合いとしてトレースすることも、あながち間違いではないと思います。前衛が無条件にもてはやされる(とツィンマーマンが体感した)音楽に対する暴力性の増長が、終幕で描き出されるような虚無的な状況を未来として描き出すことで、ツィンマーマンの生き抜いた世界に警鐘を鳴らそうとしたのかもしれません。一方で、前衛芸術を揶揄しながらも、自分自身も前衛芸術の語法を用いて、自分の信じる音楽を傷め続けているという現実のジレンマは、ツィンマーマン深い悩みとなりました。
ギーレンは、このオペラの上演に際して、370を超える練習をキャストとこなしています。過酷な練習を通して運命共同体のようになったプロダクションなので、もはや演奏に迷いや曖昧さといったものの入り込む隙が一切ありません。可憐なマリーが幕を重ねるごとに荒んでいく様も、ガブリーがしっかり捉えているので、演奏が一本調子にならず、現実的な説得力を感じさせます。脇役たちも主役たちに聴き劣りしない歌唱でしっかりとした存在感を刻印していて、それぞれの思惑が大きな渦となって虚無へと流れおちていく様を見事に表現しています。特に第4幕のジャズやら叫び声やら雑音やら叫び声やらが重積的に鳴らされる部分は、どうにもならぬ状況の中でジタバタしているツィンマーマンその人の内面を見るような戦慄が走りますね。ケルン放送がまだステレオ録音を採用していなかったためにモノラル収録になっていますが、その録音の飽和状態が余計に音楽の凄まじさを忖度させます。

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