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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Antonín Dvořák: Violin Concerto in A minor, op.53
Váša Příhoda (Vn)
Prague Radio Symphony Orchestra / Jaroslav Krombholc
(Rec. 30 May 1956, Smetana Hall, Prague) Live Recording with Applause
◈Antonín Dvořák: Cello Concerto in B minor, op.104
André Navarra (Vc)
Prague Radio Symphony Orchestra / František Stupka
(Rec. 23 May 1951, Smetana Hall, Prague) Live Recording with Applause



アントニーン・ドヴォルジャーク(Antonín Dvořák, 1841-1908)のヴァイオリン協奏曲とチェロ協奏曲(ロ短調)をカップリングした一枚。
どちらの録音も、歴代の「プラハの春」音楽祭で行われたライヴの音源で、拍手入りです。
ヴァイオリン協奏曲は、ヴァーシャ・プルジーホダ(Váša Příhoda, 1900-1960)のヴァイオリン独奏と、ヤロスラフ・クロムホルツ(Jaroslav Krombholc, 1918-1983)指揮するプラハ放送交響楽団の伴奏。チェロ協奏曲は、アンドレ・ナヴァラ(André Navarra, 1911-1988)のチェロ独奏と、フランティシェク・ストゥプカ(František Stupka, 1879-1965)指揮するプラハ交響楽団との共演で収録されています。

ヴァイオリン協奏曲は、1879年の作品です。ヨーゼフ・ヨアヒムに激励されてヴァイオリン協奏曲を作曲することになったドヴォルジャークでしたが、ヨアヒムの忠告にはあまり耳を貸さず、自分もヴァイオリンの心得があることから、自分の力だけでスラスラと書いてしまいました。
出来上がった作品は、見かけ上ちゃんとした三楽章形式ながら、第1楽章はオーケストラの提示する動機を、ヴァイオリンとオーケストラの対話で膨らませるという、自由な書法で書いています。オーケストラの響きは、ところどころ先輩格のヨハネス・ブラームスに似せた重厚な響きを取り入れていますが、独奏とのやりとりは、ブラームスよりはマックス・ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番に近いかもしれません。
ダイナミックなロンドの第3楽章も華やかですが、落ち着いた響きの第2楽章がこの作品の心臓部と言えます。
何の変哲もないメロディ・ラインをいかに魅力的に聴かせるか、その語り口如何によって、作品自体が中だるみになったり、味わいが増したりします。
ヨアヒムとしては想定外の協奏曲が出来たため、ヨアヒム本人は演奏を一切行わず、オタカール・オンドルジーチェクが初演を担当しています。

チェロ協奏曲については、詳しくはムスティスラフ・ロストロポーヴィチがヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演したCDの記事をご参照ください。
作品は伝統的な三楽章形式で、ヴァイオリン協奏曲のような形式面での冒険はあまりせず、第1楽章はどっしりとした協奏風ソナタ形式を採用しています。
第2楽章には、ドヴォルジャークが1887年に作った4つの歌曲(op.82)のうちの第2曲目に当たる〈一人にして〉のメロディを盛り込んでいます。
第3楽章は、ロンド形式に基づき、決然としたメロディを主軸にしてクライマックスを築き上げていますが、終結部で第2楽章に使用した歌曲のメロディと第1楽章の動機を織り交ぜて、全曲の統一感を図っています。
当初、終結部は簡潔なものだったようですが、諸事情により、今日の形に書き改められています。

閑話休題。
ヴァイオリン協奏曲でソロを担当するプルジーホダは、プラハ音楽院でオタカール・シェフチーク門下のヤン・マルジャークに師事したヴァイオリニストです。シェフチークの直系の弟子ではなかったことや、1913年のデビュー後に第一次世界大戦が勃発したことなどが影響して、華々しい活動が出来ず、1919年にはヨーロッパでの演奏旅行を企画するもイタリアのミラノで資金が底をつき、カフェのアルバイトで生活費を食いつなぐ生活をしていました。
そのカフェで店主がプルジーホダのために小さなリサイタルを開いたところ、そのリサイタルにアルトゥーロ・トスカニーニが居合わせていましたが、トスカニーニが「あのパガニーニですらこの青年のようには弾けなかっただろう」と激賞したことから、ヴァイオリニストとして、一気に名声を確立することになりました。
30歳の時には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターだったアルノルト・ロゼーの娘でヴァイオリニストのアルマ・ロゼーと結婚しましたが、1935年に破局し、ナチス台頭後もドイツに残って演奏活動を展開したため、「アルマ・ロゼーをナチスに売り飛ばした男」として中傷を受けることになりました。
そのため、演奏活動よりも教授活動にウェイトを置くようになり、第二次世界大戦中は、ザルツブルグのモーツァルテウム音楽院のヴァイオリン科教授として、戦後はウィーン音楽院の教授として後進の指導に当たっていました。
晩年の1956年に、チェコの「プラハの春」音楽祭に招待され、チェコの生んだ名ヴァイオリニストとして凱旋帰国を果たしましたが、本CDに収録されているのは、まさにその時の演奏です。
音質はそれほど良くはありませんが、チェコ・ヴァイオリン界の伝説的な出世頭の凱旋公演だけあって、クロムホルツ指揮するオーケストラの鳴りっぷりに気合を感じます。
プルジーホダのヴァイオリンも、甘いも酸いも噛み分けた老練の語り口が魅力です。機械的に音を引き延ばすようなことを一切せず、一音一音がうねるような表情の豊かさを持っています。
出色の出来は第2楽章で、単純平明なメロディを、絶妙な節回しでじっくりと聴かせてくれます。お爺さんの昔語りのような懐かしさと温かさが感じられる名演奏です。
第3楽章も、一件下手そうに聴こえるボウイングが、作品を深く掘り下げた絶妙な味付けになっていたり、重音奏法の個所をいとも簡単に弾きこなしたりと、一筋縄ではいかない芸風を聴かせてくれます。

チェロ協奏曲で独奏をしているナヴァラは、ジュール・レオポルト=ローブ門下のフランスのチェリストです。
15歳でパリ音楽院のプルミエ・プリを取得するほどの早熟のチェリストでしたが、当初はクレットリー四重奏団のチェリストを務めたり、パリ・オペラ座のオーケストラに就職したりしていました。
ソリストとして活動を本格化させたのは1945年になってからのことですが、どんな曲も軽々と弾きこなしていしまう腕前を見込まれ、同世代の作曲家の作品の初演を数多く任されています。
そんなわけで、ドヴォルジャークのチェロ協奏曲は、ナヴァラにとっては簡単に平らげられる演目でした。
全盛期のナヴァラの演奏は、全くよどみがなく、イントネーションもしっかりしています。ナヴァラがあっさりと弾いている分、ストゥプカの指揮するプラハ放送交響楽団は感情の振り幅の大きな演奏で、しっかりと演奏の味付けを濃くしています。とはいえ、アンサンブルに全くの乱れがないのは驚くべき点です。
ストゥプカは、元々ヴァイオリンを弾いていた人で、ヴァーツラフ・ターリヒの右腕としてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務めたり、自分でモラヴィア・フィルハーモニー管弦楽団を立ち上げたりと、八面六臂の活躍をした名指揮者でした。見通しの良いアンサンブルながら、しっかりと音楽の起伏を作り上げる手腕は、ただ者ではありません。

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