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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Henryk Wieniawski: Souvenir de Posen, op.17
Henryk Wieniawski: Kujawiak, Mazourka favorite in A minor
Henryk Wieniawski: Polonaise Brillante in D major, op.4
Henryk Wieniawski: Souvenir de Moscou op.6
Henryk Wieniawski: Capriccio-Valse in E major, op.7
Henryk Wieniawski: Romance sans Paroles et Rondo élégant in D minor, op.9
Bartłomiej Nizoł (Vn)
Andzej Tatarski (Pf)
Henryk Wieniawski: L'école moderne pour violon seul. Étude Caprices op.10
Piotr Pławner (Vn)
Henryk Wieniawski: Le Carnaval russe, op.11
Konstanty Andrzej Kulka (Vn)
Andrzej Tatarski (Pf)
Henryk Wieniawski: Deux mazourkas de Salon op.12
Piotr Pławner (Vn)
Andrzej Tatarski (Pf)
Henryk Wieniawski: Scherzo-Tarantelle in G minor, op.16
Konstanty Andrzej Kulka (Vn)
Andrzej Tatarski (Pf)
(Rec. March, June & July 2001, Polish Radio Witold Lutosławski Concert Hall, Warsaw)

CD2:
Henryk Wieniawski: Thème original varié op.15
Bartłomiej Nizoł (Vn)
Andrzej Tatarski (Pf)
Henryk Wieniawski: Légende op.17
Konstanty Andrzej Kulka (Vn)
Andrzej Tatarski (Pf)
(Rec. March, June & July 2001, Polish Radio Witold Lutosławski Concert Hall, Warsaw)
Henryk Wieniawski: Eacute;tude-Caprices op.18 pour violon avec accompagnement d'un second violin
Bartłomiej Nizoł (Vn)
Daniel Stabrawa (Vn)
(Rec. March 2001, National Philharmonic Concert Hall, Warsaw)
Henryk Wieniawski: Deux mazourkas caractéristiques op.19
Bartłomiej Nizoł (Vn)
Andrzej Tatarski (Pf)
Henryk Wieniawski: Fantasie brillante sue "Faust" opéra de Ch. Gounod op.20
Daniel Stabrawa (Vn)
Elżbieta Stabrawa (Pf)
Henryk Wieniawski: Grande Polonaise de Concert in A major, op.21
Henryk Wieniawski: Gigue E minor op.23
Piotr Pławner (Vn)
Andrzej Tatarski (Pf)
(Rec. March, June & July 2001, Polish Radio Witold Lutosławski Concert Hall, Warsaw)




18世紀から19世紀にかけて、ポーランドは苦難の歴史を歩んでいました。18世紀末にロシア、プロイセン、オーストリアの三国に国土を分割されるまでのポーランドは、15世紀頃からリトアニアと交流があり、1569年からは同君連合の国家を形成していました。しかし、18世紀に入った頃には、隣国のスウェーデンやロシアから領土を狙われると同時に、君主選出のゴタゴタで国力が衰えてしまい、1764年にはロシアの女帝エカテリーナの愛人が国王の座に座るほどにロシアから内政を干渉されるようになりました。ロシアがポーランド領を併合すると踏んだプロイセンは、神聖ローマ帝国であるオーストリアとともにロシアによるポーランド併合を阻止すべく、ポーランド領の分割をロシア側に提案しました。国力回復の兆しを見せていたポーランドを挫くために、ロシアはプロイセンとオーストリアの申し出を受け入れ、三度に渡ってポーランド領の分割を行い、ポーランドとリトアニアの同君連合による王国領は消滅してしまいました。
1807年にナポレオン・ボナパルトがワルシャワ公国を作って一時的にポーランド人の領土回復に成功しましたが、1812年にナポレオンがロシア遠征に失敗すると、公国領は再度分割されてしまいました。公国領跡地は「ポーランド王国」という国名がつけられたものの、その君主はロシア皇帝が兼ねるという実質上のロシア領となり、第一次世界大戦の終結まで、ポーランド人は自治国家を持てなくなってしまいました。こうしたロシア領とも言うべき「ポーランド王国」は、かつてのポーランド王国とは同一ではないという意味から、「ポーランド立憲王国」と呼び、ポーランドではこの時期の王位をポーランド王と認めていません。

こうしたポーランドの国土の消滅にあって、ポーランドの文化はポーランド人の誇りとして維持継承が図られましたが、その役割を担ったポーランド人の「英雄」の一人に、ヘンリク・ヴィエニャフスキ(Henryk Wieniawski, 1835-1880)がいます。ヴィエニャフスキはルブリン(かつてポーランドとリトアニアが同君連合の盟約を交わした地)のユダヤ系の軍医の家に生まれたヴァイオリン奏者兼作曲家です。5歳の時にヤン・ホルンゼルにヴァイオリンを学び、スタニスワフ・セルヴァチンスキの教授も受けました。8歳の時に母方の親戚でピアノ奏者だったエドヴァルト・ヴォルフの伝手でパリに留学し、パリ音楽院のジョゼフ・クラヴェットとランベール=ジョゼフ・マサールのクラスでヴァイオリンの腕を磨いて11歳でプルミエ・プリを得て卒業するという天才ぶりを示しました。さらに1849年には短期間ながらパリ音楽院に戻り、イポリート=レイモン・コレに作曲を学んでいます。その翌年には弟ヨゼフをピアノ伴奏として里帰りの演奏旅行をし、ロシアでも名演奏家としてその名を轟かせました。1860年にはロシア皇帝直属のヴァイオリン奏者となり、1872年にはピアノ奏者のアントン・ルビンシテインらを連れてアメリカに演奏旅行に行って成功を収めています。1873年には、脳卒中に倒れたアンリ・ヴュータンの代理としてブリュッセル音楽院で2年間後進の指導を行いましたが、その後は私生活の不摂生のツケで体調を崩すようになりました。1879年にロシアに演奏旅行に行ってもう一花咲かせようとしたものの、オデッサで倒れ、ナジェジタ・フォン・メック夫人の援助でモスクワの病院に収容されたものの、心臓発作を起こしてそのままモスクワで亡くなりました。

作曲家としてのヴィエニャフスキは、当時の演奏家兼作曲家の例に漏れず、交響曲やオペラといったジャンルには手を染めていません。専ら自分の腕前を存分に振る舞えるヴァイオリン曲を作り、伴奏のパートは時々弟ヨゼフに手伝ってもらっていました。なにはともあれ、ヴァイオリン・パートでの山場を作るために惜しげもなく投入された重音奏法、ハーモニクス、左手ピツィカートや10度跳躍などは、先達のニコロ・パガニーニを彷彿とさせます。息の長い美しいメロディ・ラインを引ける点でもパガニーニと張り合えますが、マズルカやポロネーズといったポーランド舞曲を好み、ふんだんに盛り込んだ超絶技巧を舞曲のノリで突っ切らせるところにヴィエニャフスキの独自性があります。その人気曲の数々でポーランドの音楽を世に知らしめた功績は、フレデリック・ショパンと並べられました。例えば、彼の没後100年を記念してワルシャワで開催された(第二次世界大戦後はポズナニで開催している)ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールは、ショパン国際ピアノ・コンクールと並ぶポーランド屈指の一大イベントとして、今日でも継続的に開催されています。

本CDでは、そんなヴィエニャフスキの人気曲を適宜チョイスして、ポーランドの奏者たちで手分けして収録しています。演目は以下の通り。

CD1:
▨ポーゼンの思い出 op.3
▨クヤヴィアク(お気に入りのマズルカ) イ短調
▨華麗なるポロネーズ ニ長調 op.4
▨モスクワの思い出 op.6
▨カプリース=ワルツ ホ長調 op.7
▨言葉のないロマンスと優美なロンド ニ短調 op.9
バルトゥオミエイ・ニジョウ (Vn)
アンジェイ・タタルスキ (Pf)
▨新しい手法(無伴奏ヴァイオリンのためのエチュード・カプリース) op.10
ピオトル・プワフネル (Vn)
▨ロシアの謝肉祭 op.11
コンスタンティ・アンジェイ・クルカ (Vn)
アンジェイ・タタルスキ (Pf)
▨2つのサロン用マズルカ op.12
-田園風 (La champêtre) ニ長調
-ポーランドの歌 (Chanson polonaise) ト短調
ピオトル・プワフネル (Vn)
アンジェイ・タタルスキ (Pf)
▨スケルツォ=タランテラ ト短調 op.16
コンスタンティ・アンジェイ・クルカ (Vn)
アンジェイ・タタルスキ (Pf)

CD2:
▨創作主題による変奏曲 op.15
バルトゥオミエイ・ニジョウ (Vn)
アンジェイ・タタルスキ (Pf)
▨伝説 op.17
コンスタンティ・アンジェイ・クルカ (Vn)
アンジェイ・タタルスキ (Pf)
▨2挺のヴァイオリンのためのエチュード=カプリース op.18
バルトゥオミエイ・ニジョウ (Vn)
ダニエル・スタブラヴァ (Vn)
▨2つの性格的マズルカ op.19
-オベルタス (Obertas) ト長調
-旅芸人 (Le Ménétier) ニ長調
バルトゥオミエイ・ニジョウ (Vn)
アンジェイ・タタルスキ (Pf)
▨グノーの《ファウスト》による華麗な幻想曲 op.20
ダニエル・スタブラヴァ (Vn)
エルジビェタ・スタブラヴァ (Pf)
▨演奏会用大ポロネーズ op.21
▨ジグ ホ短調 op.23
ピオトル・プワフネル (Vn)
アンジェイ・タタルスキ (Pf)

クルカ(Konstanty Andrzej Kulka, 1947-)は、1994年からショパン音楽院(旧:ワルシャワ音楽院)の弦楽器科の主任教授を務めるポーランド音楽界の重鎮。グダニスクの生まれで、地元の音楽院でステファン・ヘルマンにヴァイオリン師事し、1964年のパガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールに参加して特別賞を贈られています。1966年のミュンヘン国際音楽コンクールで優勝して脚光を浴び、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を始めとする欧米有数のオーケストラと共演を重ねて名声を確立しました。
スタブラヴァ(Daniel Stabrawa, 1955-)はクラクフ出身のヴァイオリン奏者。地元の音楽院でズビグニェフ・シュレツェルにヴァイオリンを学びました。1978年と1980年のパガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールに参加して何れも6位入賞を果たしています。1979年にクラクフ放送のオーケストラの団員としてキャリアを始め、1983年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員になりました。1986年にヘルベルト・フォン・カラヤンの推挙で同団のコンサートマスターを2000年まで務めた実績があります。シャルル・グノー(Charles Gounod, 1818-1893)の《ファウスト》による幻想曲でピアノ伴奏を務めているエルジビェタ(Elżbieta Stabrawa)は、彼の奥さんです。
ニジョウ(Bartłomiej Nizoł, 1974-)は、シュチェチン生まれのヴァイオリン奏者。ポーゼンでヤドヴィガ・クリセフスカにヴァイオリンを学び、ローザンヌでもピエール・アモイヤルの薫陶を受けました。1991年にはヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでプワフネル(Piotr Pławner, 1974-)と一位を分け合い、同年のプレトリア国際音楽コンクールでも優勝しています。その後も、1992年のブリュッセルで開かれたユーロヴィジョン・コンテストで優勝したり、1993年のロン=ティボー国際音楽コンクールで一位を獲ったりと活躍を続け、1997年から2003年までチューリヒ・トーンハレ管弦楽団のコンサートマスターを歴任しました。その後はチューリヒ歌劇場のコンサートマスターの座に移り、ベルン音楽院で後進の指導をしつつ、自らストラディヴァリ弦楽四重奏団を立ち上げて室内楽の分野でも活動しています。
プワフネル(Piotr Pławner, 1974-)はウッチ生まれのヴァイオリン奏者。地元の音楽院でイオナ・ボイチェホフスカとゼノン・プウォシャイの薫陶を受け、イゴール・オジムやヘンリク・シェリングのマスター・クラスにも参加しました。主なコンクール歴として、先に書いたヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールのニジョウとの同着一位のほか、同年のバイロイト国際ヴァイオリン・コンクール、1995年のミュンヘン国際音楽コンクールのそれぞれで優勝したことが挙げられます。2001年からクラクフやカトヴィツェの音楽院で教鞭をとる傍らで、自ら室内楽のアンサンブルを立ち上げて演奏活動を行っています。
殆どの曲でピアノ伴奏を弾いているタタルスキ(Andrzej Tatarski, 1944-)は、ヴィエンツボルク出身のピアノ奏者。ポズナニ音楽院でオルガ・イリヴィカに師事した後にパリに行き、ヴラド・ペルルミュテルの弟子になりました。独奏者としては、特にコンテンポラリー音楽に強く、オリヴィエ・メシアンの《鳥のカタログ》のポーランド初演などを手がけていました。

演奏について、何気にタタルスキの伴奏がアルバムの仕上がりに大きく貢献しています。ニジョウやプワフネルのような若手のヴァイオリン奏者の溌剌とした演奏には、勢いに任せて先走りしないよう、要所要所で存在感を示しています。ベテランのクルカとの顔合わせでは、魚心に水心といった感じで、熟練の殺陣を見ているかのような見事な演奏に仕上げられています。ニジョウのヴァイオリンは、細めの音色ながら、ポロネーズやクラコヴィアクのようなポーランド舞曲では俊敏な立ち回りの良さが生きていて、タタルスキの絶妙な伴奏に乗って爽快感のある演奏を繰り広げています。しかし歌謡的な局面でも超絶技巧を弾いているときと同じような気分で弾いているので、何曲か続けて彼の演奏で聴いていると、もう少し表現の幅がほしくなります。
プワフネルの演奏は、ニジョウよりも粗削りな弾き方。彼の手掛けている曲は、このアルバムではさほど多くないものの、そのダイナミックな弾き方がアルバム全体のアクセントになっています。特に《新しい手法》がスリリングで楽しい演奏です。
クルカも出番こそ少ないものの、ベテランのヴァイオリン奏者ならではの多彩な表現を聴くことができます。ニジョウと並ぶようなテクニックの練達ぶりを示す一方で、歌うところでは情熱的に歌い、メリハリがよくついています。《伝説》の哀感を滲ませた演奏は、このアルバムの白眉といえます。
友情出演のようなスタブラヴァの演奏も、演奏者としての器の大きさを感じさせる演奏です。コンクール歴はなくとも、ニジョウとの共演で、若手に負けない技の切れを示し、ファウスト幻想曲でも、幻想曲としては幾分長丁場な曲を、原作のグランド・オペラを彷彿とさせるようなスケール感のある演奏で聴かせてくれます。ただ、細君のピアノも、スタブラヴァのヴァイオリンにしっかりとついていっています。

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