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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Robert Schumann: Violin Concerto in D minor, WoO23
Peter Rybar (Vn)
Lausanne Symphony Orchestra / Victor Desarzens
(Rec. 1951, Lausanne)
◈Jean Sibelius: Violin Concerto in D minor, op.47
Peter Rybar (Vn)
Zürich Beromünster Orchester / Paul Burkhard
(Rec. February 1952, Zürich)



ペーター・リバール(Peter Rybar, 1913-2002)はオーストリアはウィーンの出身の人。プラハ音楽院で作曲家兼ヴァイオリニストのヨゼフ・スークに師事し、さらにフランスに遊学してカール・フレッシュの下で研鑽を積みました。1938年からスイスに疎開したリバールは、ヴィンタートゥール音楽院の教授をしながら、ヴィンタートゥール交響楽団のコンサート・マスターを務め、さらに自前の弦楽四重奏団を結成するなどして、スイスの音楽文化の質的向上に貢献したことが知られています。戦後も、クララ・ハスキルやマルセル・デーペンらと共演し、特にデーペンと結婚してからは、デュオ・リバールとして活動していました。
1970年から1980年にかけて、ヴォルフガング・サヴァリッシュの懇請を受けて、スイス・ロマンド管弦楽団のコンサート・マスターを務めた後、演奏活動から引退しましたが、彼の残した録音は、今でも好楽家の興味を刺激し続けています。

本CDは、ドイツの作曲家のロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810-1856)とフィンランドの作曲家のジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865-1957)それぞれのヴァイオリン協奏曲を収録しています。シューマンもシベリウスも、ヴァイオリン協奏曲は生涯に一曲しか残しませんでした。

シューマンのヴァイオリン協奏曲は、1853年にヨーゼフ・ヨアヒムのために書いた作品です。ヨアヒムは、10代でルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのニ長調のヴァイオリン協奏曲を弾いて、その曲の再評価の先鞭をつけた人として知られています。シューマンは、そうしたヨアヒムのヴァイオリニストとしての成果に感じ入り、ヨアヒムのための作品を書くことにしました。
しかし、晩年のシューマンは、自分の精神のコントロールがうまく出来ない状態に陥っており、出来上がった作品を受け取ったヨアヒムは、この曲を演奏するとシューマンの名誉に傷がつくと思い、自分の書斎にしまいこんでしまいました。
ヨアヒムらは、100年はこの曲に触れないようにという封印を施しましたが、1937年にベルリンの図書館で発掘され、100年の封印がアッサリ解けてしまいました。
本来はヨアヒムの姪のイェリー・ダラーニが初演するはずでしたが、アメリカでもイェフディ・メニューインが初演者として名乗りを上げています。しかし、結局はナチス・ドイツが、この曲の初演を自らの国力の宣伝に用い、ゲオルク・クーレンカンプの独奏とカール・ベームの指揮で演奏し、この初演の模様は世界各国に放送されました。
曲は伝統的な3楽章の形式をとり、協奏風ソナタ形式の第1楽章、三部形式の第2楽章、その第2楽章からアタッカ(切れ目なし)で演奏されるロンド形式の第3楽章からなります。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、1903年に作曲された作品です。元々は、ドイツ人ヴァイオリニストのヴィリー・ブルメスターに献呈するつもりで書き上げた作品ですが、1904年の2月8日にヘルシンキで行われた初演にブルメスターが出演できず、ヘルシンキ音楽院のヴァイオリン科教授を務めていたヴィクトル・ノヴァチェクの独奏で初演されました。この初演が結局成功しなかったため、ヨハネス・ブラームスのヴァイオリン協奏曲を模範にして、1905年に改訂し、これが決定稿となりました。この年の10月19日にベルリンで初演することにし、シベリウスは、再度ブルメスターに初演を打診しましたが、結局断られたため、フィンランドの若手ヴァイオリニストだったカレル・ハリルを独奏に立てて初演されました。作品は結局、ブルメスターには献呈されず、ハンガリー出身の天才ヴァイオリニストとして売り出し中だったフランツ・フォン・ヴェチェイに献呈されました。
この曲も伝統的な三楽章構成ですが、ソナタ形式を換骨奪胎した第1楽章に、交響曲作家としてのシベリウスの表現意欲が詰め込まれています。また、シベリウスは、ヴァイオリニストとしての勉学にも励んでいただけあって、独奏パートにも意趣を凝らしていて、野人のダンスを思わせる第3楽章など、今日でも実演で余裕を無くすソリストが続出しています。

本CDで伴奏を担当するのは、シューマンの作品では、ヴィクトル・デザルツェンス(Victor Desarzens, 1908-1986)の指揮するローザンヌ交響楽団(ローザンヌ室内管弦楽団の変名)が伴奏を務め、シベリウスの曲は、パウル・ブルクハルト(Paul Burkhard, 1911-1977)の指揮するチューリヒ・ベロミュンスター管弦楽団(ベロミュンスター放送管弦楽団の変名)が伴奏を受け持っています。
ローザンヌ室内管弦楽団は、1942年に、スイス・ロマンド放送の出資で組織されたオーケストラです。初代首席指揮者のデザルツェンスは、元々ジョルジェ・エネスクにヴァイオリンを学んだスイスの人で、スイス・ロマンド管弦楽団を退団したばかりでした。デザルツェンスは、1973年にアルミン・ジョルダンと交代するまで、このオーケストラを手塩にかけて育て、スイス・ロマンド管弦楽団に劣らぬ実力のオーケストラに仕立て上げました。
ベロミュンスター放送管弦楽団は、1924年に創立され、1970年にバーゼル放送交響楽団に改組した後、1997年にバーゼル交響楽団に吸収されてしまったオーケストラです。本CDで指揮を務めるブルクハルトは、スイスの作曲家として活躍した人ですが、ミュージカルやオペレッタの仕事が多かったことから、指揮者稼業にも手を染め、ベロミュンスター放送管弦楽団には、1944年頃から客演を繰り返していたようです。

シューマンの協奏曲では、音色の甘美さと格調高さを感じさせる凛としたリバールのボウイングが際立ちますが、ほの暗い情念に身を焦がすようなデザルツェンスの指揮も、リバールの芸風にぴったりとはまっています。特に第2楽章の硬質なヴァイオリンと、チャーミングなオーケストラの掛け合いは、まるで上質の鼈甲飴のような味わいです。
シベリウスの協奏曲でも、古武士のようなリバールのヴァイオリンに独特の味わいがあります。北欧の空気を体現したような凍てつく様な雰囲気は纏っていませんが、そのシャキッとした独奏の出来栄えには、一定の説得力があります。ブルクハルトの指揮は、雑なようでいて、要所要所を押さえており、第1楽章では雄弁にリバールを支えています。ただ、第2楽章はやや楽天的過ぎ、逆に第3楽章では慎重になり過ぎてリズムが弾まず、思うような演奏効果が上がっていないように感じられます。

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