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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Frédéric Chopin: Piano Sonata No.1 in C minor, op.4
Nikita Magaloff (Pf.)
(Rec. 25-28 February 1978, Concertgebouw, Amsterdam)
Frédéric Chopin: Piano Sonata No.2 in B flat minor, op.35
Frédéric Chopin: Piano Sonata No.3 in B minor, op.58
Nikita Magaloff (Pf.)
(Rec. 10-11 August 1976, Concertgebouw, Amsterdam)




フレデリック・ショパン(Frédéric Chopin, 1810-1849)は、ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラで生まれたピアノ奏者兼作曲家です。出生時は名前をフリデリク・フランチシェク・ショペン(Fryderyk Franciszek Szopen)と綴りましたが、1832年にフランスのパリで演奏活動を展開するようになってからフレデリック・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin)を名乗りました。パリでの交際相手だったジョルジュ・サンドをして「ポーランド人以上にポーランド的」と言わしめたショパンですが、血族的には生粋のポーランド人ではありません。
彼の父親ニコラ(Nicolas Chopin)は1777年にロレーヌで生まれたフランス人です。ポーランド系ドイツ人のアダム・ハイドリヒと親交を結び、1787年にハイドリヒがポーランドに帰る際に一緒にポーランドに渡ってそのまま帰化しました。ミコワイ・ショペン(Mikołaj Szopen)と名を変えたニコラは、フランス人としての出自を生かしてフランス語教師として成功し、1806年にポーランドの没落貴族の娘のユスティナ・クシジャノフスカと結婚して一男三女を儲けました。この長男が作曲家になったショパンです。ショパン家はショパンが生まれるとすぐにニコラの仕事の都合でワルシャワに引っ越しました。
ショパンの母は貴族の嗜みとしてピアノを能くし、子ども達にピアノを教えていました。上達の早かった長女ルドヴィカは、ショパンにピアノの手ほどきをしましたが、ショパンのピアノの腕前はルドヴィカをさっさと追い越してしまい、6歳の時にはボヘミア出身のピアノ奏者、ヴォイチェフ・ジヌヴィに入門しています。この頃から作曲にも手を染め、ジヌヴィの指導の下で作曲及びピアノ演奏の天才少年としての評判を手にするようになりました。しかし、ピアノの腕前はすぐにジヌヴィを凌駕するようになり、1826年からワルシャワ音楽院で研鑽を積むことになりました。ショパンの師となったユゼフ・エルスネルは、ショパンの才能の長所を伸ばすことに意を注ぎ、ベルリン等に旅行に行かせてショパンの見聞を広げています。

本CDに収録されているピアノ・ソナタ第1番は、1827年から翌年にかけて作られたもの。ワルシャワ音楽院でエルスネルがソナタ形式の課題の一環としてショパンに作曲させました。ベートーヴェンを強く意識した作品で、ノクターンやワルツのような感傷的な味わいは濃くは現れてきません。
第1楽章は、J.S.バッハのインヴェンションをふと想起させるような動機を盛り込み、対位法的に展開させながら、全く先の読めない音楽になっています。ソナタ形式といいながら、主題の対比はそっちのけでやりたい放題に音符を連ねてしまったところに、ショパンの一筋縄ではいかない我の強さを感じます。
第2楽章ではメヌエットといいながら、マズルカみたいな音楽を書いてしまったり、第3楽章ではわざわざ5拍子で書き上げてみたり、第4楽章ではロンド形式といいながら、コンチェルトのカデンツァみたいな展開部を2つも挟み込んでみたりと、先人の作品の模造に終わらせない反骨精神が旺盛に見られます。
出来上がった作品をエルスネルに捧げることにしたショパンは、ワルシャワ音楽院を卒業した1829年ごろからウィーンに演奏旅行に行き、ハスリンガー出版社にこの作品を持ちこんで出版してもらおうとしました。しかし、当時ウィーンでまだ駆け出しの音楽家だったショパンはハスリンガーにソナタの出版を断られ、ワルツ等の小品の作曲を薦められるという不首尾に終わっています。これに傷ついたショパンは、この曲を終生手元に置き、ショパンが有名になってからハスリンガーが出版を申し出た際には頑として出版を拒んでいます。結局出版されたのはショパンが亡くなって2年後のことです。

1830年にはポーランドがロシアに対して蜂起するという事変が起こり、ショパンに帯同していた友人たちはポーランド軍に参加すべく帰国しました。ショパンは友人たちに説得されてウィーンに留まって演奏活動を続けましたが、ウィーンでの対ポーランド感情が悪化したため、1832年までにフランスのパリに活動の本拠を移しました。パリではフランツ・リストや先述のサンドらと親交を結んでいます。
第2番のピアノ・ソナタは、フランスでの演奏活動が軌道に乗った1837年から1839年までに作曲された作品で、この曲を作っている頃にサンドとの交際が始まっています。作品はワルシャワで作った第1番のソナタよりも形式的把握に熟練を見せ、第1楽章ではしっかりと主題の対比と展開に心を配っています。第2楽章は、フランツ・シューベルトのさすらい人幻想曲を想起させるようなダイナミックな主部と優美なトリオが綾なすスケルツォ。第3楽章は、テレビ・ゲーム等のGAME OVERのメロディに使われるくらい有名な葬送行進曲ですが、第4楽章が滅法面白い音楽になっています。葬式がすんだあと、泥棒がやってきて、供物をコソコソと片っ端から持っていくような怪しさがあります。ピアノの無窮動のような動きと目まぐるしい転調の妙にショパンの実験精神を窺うことが出来ます。

第3番のソナタ(1844年作)は、ショパンなりのソナタの最終形態を示します。
第2番までの形式上の冒険を避け、交響曲並みの重厚な構成で、ソナタというジャンルに真正面から取り組んでいます。
第1楽章はベートーヴェンを思わせる決然とした第一主題と優美な第二主題の対比が第2番のソナタよりも一層鮮明に打ち出され、ソナタ形式を強く意識した音楽に仕上げられています。ただ、主調のロ短調に型通りに回帰するのではなく、第二主題の要素を取り混ぜてロ長調で終結させている点が、ショパンの一筋縄でいかざるオリジナリティです。第2楽章は、アンリ・リトルフを思わせる軽やかなスケルツォを配置しています。第3楽章では典雅なメロディを織り上げています。第4楽章は内に秘めた情熱を燃やすような主題を技巧の限りを尽くして変容させていくロンドで、第一楽章同様にロ短調ではじめながらわざわざロ長調で曲を締めくくっています。

本CDでピアノを弾くニキタ・マガロフ(Nikita Magaloff, 1912-1992)は、ロシアのペテルブルクでグルジア貴族の家系に生まれたピアノ奏者です。アレクサンドル・シロティにピアノを学びましたが、1918年にパリに亡命し、イシドール・フィリップの薫陶を受けています。室内楽での共演者だったヨーゼフ・シゲティを義父とし、1949年から1960年までジュネーヴ音楽院の教授を務めていました。独奏者としてはショパンの作品解釈に一家言を持ち、1960年代から1970年代にかけてフィリップス・レーベルにショパンの作品全集を録音しました。本CDは、その一環として録音されたものです。

マガロフの演奏は、奇を衒わず、じっくりと作品の本質を探るタイプに属します。瞬間的なひらめきには頼らず、作品の全体を把握した上で作曲者が望んだであろう詩的な感興を掬い取ろうとします。ただ、急速なパッセージを軽やかにこなす技巧面での滑らかさは、フランスでの師であったフィリップの影響を感じさせます。
第1番のソナタは、楽譜通りの実音化を忠実かつ単純に行うと、ベートーヴェンの亜流の出来損ないのようになってしまいますが、マガロフは微妙なさじ加減のルバートでベートーヴェンっぽさを緩和しています。またそうすることで、エルスネルの言いつけによるポリフォニーへの志向と、メロディ・ラインを引きたいというショパンの本性との鬩ぎ合いが露わになります。
第2番のソナタの演奏は、弾く機会の多い曲ということもあってか、第1番ほどに構えたところがなく、悠然と弾き切っています。第1楽章の音楽的場面の目まぐるしい転換にもしっかり適応し、その流れが必然的に聴こえるように的確な各フレーズの意味付けを行っています。
第2楽章の同音連打を使った主題も音の粒を崩さずに迫力のある演奏に仕上げており、技巧的な弱さを微塵も感じさせません。第3楽章の葬送行進曲も、絶望と希望の対比もこれ見よがしなところがなく、希望に相当する中間部のメロディ・ラインの簡潔な美しさに息を飲みます。終楽章も鬼火がチラチラするような雰囲気をうまく掬い上げており、曲のスリル感を出すことに成功しています。
第3番のソナタはマガロフの演奏に技巧的な苦しさはなく、作品を自家薬籠中のものとした自在な表現で作品のスケールにふさわしい演奏を展開しています。第1楽章の決然たる第一主題と理想に思いを馳せるような第二主題の描き分けもスムーズになされ、闊達な演奏がショパンの心意気を解き明かしているようです。この曲を作った頃のショパンは宿痾の結核を悪化させていましたが、この演奏を聴く限りでは生命力の漲りを感じ取ることができるでしょう。第2楽章はモルト・ヴィヴァーチェ(とても速く)という指示が書き込まれていますが、マガロフの演奏は軽やかにスケルツォを弾きこなし、中間楽章の瞑想的な場面とのコントラストを鮮やかに作り上げています。また、ただ速く弾くだけでなく、ヴィヴァーチェ本来の意味である快活さも導き出しています。ショパンが曲を作った頃、宿痾の結核が悪化の一途をたどっていたので、楽しくおしゃべりをするようなこの快活さは、とりわけ意味深いものです。第3楽章はメロディの甘さをあえて強調しないことで楚々とした美しさを引き出し、前の楽章の諧謔性を見事に中和して、聴き手の詩的感性を刺激します。終楽章もマガロフの演奏は技巧的にカッチリしています。この終楽章は、他のソナタの終楽章がただ単に「プレスト」なのに対し、ここでは「プレスト・ノン・タント」(速く、しかしせかせかせずに)という指定をしています。マガロフは左手の低音を随所でダイナミックに鳴らして音の重量感を出し、軽佻な音楽にならないように配慮しています。

マガロフの演奏は、技巧的に盤石の演奏ですが、その技巧それ自体を売り物にしていません。しかし、華やかさがない代わりに、ちょっとした装飾音の扱いや微妙で不自然さのないテンポ・ルバートが、ショパンの音楽特有の語り口の隠し味として作用しています。マガロフのさりげない演奏からピアニストが参考にすべき点は、今日においても多々あるのではないでしょうか。

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