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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Max Reger: Serenade in G major, op.141a
Max Reger: Serenade in D major, op.77a
Peter-Lukas Graf (Fl.)
Sándor Végh (Vn.)
Rainer Moog (Vla.)
(Rec. December 1980, Kirche Reutigen)







マックス・レーガー(Max Reger)ことヨハン・バプティスト・ヨーゼフ・マクシミリアン・レーガー(Johann Baptist Joseph Maximilian Reger, 1873-1916)は、ドイツのオーバープファルツ地域のブラントに生まれた作曲家です。生前はピアノとオルガンの名手であり、音楽理論家でもありました。両親は音楽教師で、レーガーが生まれて程なくしてヴァイデンに引っ越しています。5歳の頃から両親に音楽の手ほどきを受け、1884年から1889年まで父親の弟子だったオルガン奏者のアダルベルト・リントナーの下でオルガンとピアノと音楽理論を学びました。1888年にはバイロイトに行ってリヒャルト・ヴァーグナーの音楽に接しています。1890年から1893年までミュンヘンの音楽理論家のフーゴー・リーマンに音楽理論を学びながら、同年から1896年までヴィースバーデン音楽院でピアノとオルガンと音楽理論の教師を務めました。その後、兵役に就いてミュンヘンに移住し、軍隊を除隊後1902年にヴィースバーデンで知り合ったエルザ・フォン・ベルゲルと結婚しましたが、ベルゲルがプロテスタントで離婚歴があることが問題となり、カトリックだったレーガーはこの結婚を強行したことで教会から破門されてしまいました。しかし、1905年にミュンヘン王立音楽院、1907年からライプツィヒ音楽院でオルガンと音楽理論の講義を受け持つようになったことで、オルガン奏者、音楽理論家としての名声を確立し、1908年にはイェーナ大学、1910年にはベルリン大学からそれぞれ名誉博士号を授与されています。1911年からマイニンゲンの宮廷楽長を務めています。晩年にはイェーナに居を移し、そこから演奏活動や音楽院への通勤をするようになりましたが、ライプツィヒのホテルで心臓発作を起こして亡くなりました。

レーガーは大食漢として知られ、レストランに入るなり、2時間でも持ってこられるだけのステーキを持ってこさせたり、メニューのページ食いをしたりという逸話を残しています。また、シューベルトの《鱒》を演奏して感動したお客さんが鱒を5匹届けてくれた返礼の手紙に、「今度ハイドンの牝牛のメヌエットを演奏します」としたためたという話も伝わっています。
こうした大食いの癖は、兵役中に身についたらしく、終生その癖が直りませんでした。1914年にマイニンゲンの宮廷楽長の職をやめるきっかけになったのは、肥満からくる神経痛の悪化です。それでも不摂生を続けたために、急死する羽目になったのでした。
彼の作品の中にも、彼の大食いっぷりを彷彿とさせるものがあります。対位法と変奏技法の名人だったので、一旦作品にフーガを組み込むと、その技法の開陳に傾倒し、大胆な転調を栗化したり、各声部の絡み合いを必要以上に複雑化させたりして、その響きを飽和状態にまでもっていく癖があります。その響きの飽和化は、満腹になるまで食べることをやめないレーガー自身とシンクロするものです。こうした作風ゆえに、調性音楽を書いているにもかかわらず、その調性が曖昧になることもあります。

本CDに収録された2曲のセレナーデはいずれも20分に満たない作品で、急-緩-急の三楽章構成。フルートとヴァイオリンとヴィオラという編成で書かれています。チェロを足せば、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのようなフルート四重奏になりますが、敢えてチェロを引くことで、レーガーならではの飽和していくような響きが軽減されています。
このCDの最初に収録されているop.141aは、レーガーが亡くなる前の年に書き上げたもの。両端楽章では基本的にフルートがイニシアチブをとりますが、隙あらばヴァイオリンとヴィオラがフルートの座を奪おうとするスリルがあります。この三つ巴の活発のやり取りこそ、対位法の大家としてのレーガーの面目躍如たるところです。レーガーの対位法を駆使した取っ組み合いは、大胆な転調を含み、その頻繁な転調が聴き手の調性感を麻痺させます。
緩徐楽章は、歌曲作家でもあったレーガーのメロディ作りのセンスを感じさせる牧歌的な音楽ですが、単なるホモフォニーにはならず、三者が混然一体となって織り上げるポリフォニー音楽になっています。各声部で対立的な音楽を作ることもできれば、協調的な音楽も作ることができるというレーガーの作曲技法の確かさをよく味わえる音楽です。
op.77aは、レーガーがベルゲルと結婚した2年後に作曲されたもの。こちらにもレーガーの対位法への拘りが刻印されていますが、op.141aほど頻繁な転調を伴う各声部の複雑な絡みは行なっていません。声部の絡みを形成する動機のそれぞれを素直に組み合わせて明朗な主題を形成しており、レーガーの作品の調性が曖昧になるような複雑さを嫌う人にも楽しめる作品に仕上げられています。緩徐楽章は、レーガーの得意とした変奏曲になっており、彼の変奏技術の一部要約として聴き応えのある演奏です。それぞれの楽器の持つ表情の違いを生かして聴き手に低音の不足を感じさせないような語り口のうまさは、レーガーが各楽器の効果的な使用法を熟知していたことを示しています。
これらの作品が発表されたころ、フランスではクロード・ドビュッシーが従来の和声法に囚われない音楽づくりを推進しており、レーガーが亡くなるころにはアルノルト・シェーンベルクが調性を放棄するような音楽作りを試行錯誤していました。レーガーの作品作りを彼らと比べると、その手法自体は伝統的なものですが、ヴァーグナーが楽劇の中で行った無限旋律や移行の技法の効果を器楽の領域で極める志向性を感じ取ることができます。これらの作品を通して、保守的な手法で音楽語法の進歩を画策した、19世紀から20世紀への移行期の重要な作曲家として、レーガーを位置付けられることが出来ればと思います。

このCDは、もう一品カップリングしてもよさそうな時間分しか収録されていませんが、その演奏陣は、フルートにペーター=ルーカス・グラーフ(Peter-Lukas Graf, 1929-)、ヴァイオリンにシャーンドル・ヴェーグ(Sándor Végh, 1912-1997)、ヴィオラにライナー・モーク(Reiner Moog, 1941-)を配置した布陣の贅沢さがウリです。
グラーフはチューリヒの生まれで、地元の音楽院でアンドレ・ジョネに学び、パリに留学してマルセル・モイーズとロジェ・コルテに師事しました。1950年から1956年までヴィンタートゥール交響楽団の首席フルート奏者を務め、その任期中の1953年にミュンヘン国際音楽コンクールのフルート部門で優勝しています。1960年から指揮者としても活動を始めましたが、1973年からはバーゼル音楽院のフルート科教授を務め、2005年にはクラクフ音楽大学から名誉博士号を授与されています。
ヴェーグはオーストリア=ハンガリー帝国領コロジュヴァール(現ルーマニア領クルジュ=ナポカ)の生まれ。1924年からフランツ・リスト音楽院でイェネー・フバイにヴァイオリン、ゾルターン・コダーイに作曲を学び、1927年にリヒャルト・シュトラウスのコンサートに独奏者として起用されて音楽家デビューを果たしました。1930年に音楽院を卒業し、その翌年にはハンガリー三重奏団を結成して室内楽奏者として本格的な活動を始めています。1934年にはハンガリー四重奏団を結成し、1940年まで在籍した後、その年のうちにヴェーグ四重奏団を結成し、1946年にはその四重奏団でミュンヘン国際音楽コンクールの弦楽四重奏部門の優勝を飾っています。1952年にはパブロ・カザルスがスイスのツェルマットで開いていたマスター・クラスに講師として招聘され、その翌年から1969年までバーゼル音楽院のヴァイオリン科の教授に迎えられています。その任期中にはフライブルク音楽院やデュッセルドルフ音楽院でも後進の指導に当たり、1971年から亡くなるまで、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院の教授を務め、その音楽院のオーケストラを指導しました。
モークはケルンの出身。デトモルト音楽大学でティボール・ヴァルガとルカーシュ・デヴィッドにヴァイオリンを学び、シエナの夏期講習でブルーノ・ジュランナにヴィオラを学びました。さらにニューヨークに行ってジュリアード音楽院のヴァルター・トランプラーに入門しています。1971年にマールボロ音楽祭に参加してヴィオラ奏者として活動を始め、1974年から1978年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席ヴィオラ奏者を務めました。1978年から2007年までケルン音楽院で教鞭を執り、その間に母校のデトモルト音楽大学やハーグ王立音楽院、インディアナポリス大学などでも教えていました。

本CDの演奏は、小野竹喬の《宿雪》のようです。竹喬の絵は早春の根開けをユーモラスに描いたもので、黒い樹皮の古木、細い枝のような木、黄緑色の草を思わせる木のようなものや橙色の木のシルエットのようなものが、ひたすら上に伸びているような絵ですが、その木々の絶妙な曲がり具合が、特にグラーフの飄々としたフルートの音色に合致するように感じられます。
ヴェーグのヴァイオリンの音色は、竹喬の絵に描かれる細い枝のような木々です。ちょっとささくれだったヴァイオリンの音色が、フルートの捉えどころのない音色に絡まります。
モークの弾くヴィオラの音色はいぶし銀の貫録ある響きで、ともすると軽薄な響きになりがちなこれらのセレナーデに落ち着いた雰囲気を加味しています。竹喬の絵に準えるならば、雪の解けつつある地面に相当します。この三者が絶妙なバランスで各々のパートの責任を果たすことで、レーガーの音楽がおかしみのある音楽として描かれています。
op.141aの両端楽章などは、ヴェーグがモークに宥められつつ言葉の限りを尽くしてグラーフに議論を吹っ掛け、グラーフがそれをのらりくらりと躱す風。しばしばよく分からない音楽が、小憎らしいキャラクターを帯び、面白く聴くことができます。しかし、緩徐楽章では溶け合いそうにない三者が見事に調和を作り上げていて、室内楽の奥深さを聴き手に実感させます。
op.77aのほうは、ヴェーグの老獪な語り口が作品の含蓄を深くしています。ヴェーグのヴァイオリンの音色は三者の中で一番鋭いのですが、自分の楽器のキャラクターを前面に押し出すのではなく、フルートにふんわりとコーティングしてもらったり、ヴィオラを立てて自分の音色が浅くならないようにしたりして、自分一人が目立たないように工夫しています。こうすることで、かえって聴き手の意識がフルートに集中することなく、三者のやり取りの活発さに向くようになります。グラーフもモークも、ヴェーグの戦略に乗りながら、各自が弾くモチーフの意味を掘り下げているので、三者のやり取りが生活現実上の良くある話のようなリアリティを持っています。
CD全体の収録時間に文句を言わなければ、これらの録音は室内楽演奏の精髄を教えてくれる名録音と言えるでしょう。


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Max Reger
こんばんわ。
楽しく、そして興味深く読ませて頂いております。
6行目なんて、笑っちゃいました。
こちらを読んでから、改めて其々の曲を聴いてみたいものです♪
(^▽^) 2008/04/15(Tue)23:10:03 編集
Re:Max Reger
レーガーの作品は、とっつきやすい作品もあれば、聴いているうちになにがなんだか分からなくなるような作品もあります。
ここで取り上げた作品は、結構軽妙洒脱で聴きやすいと思いますので、機会があれば是非聴いてみてください。
2008/04/18 02:27
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