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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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成瀬 無極 著 『疾風怒濤時代と近代独逸浪漫思潮』 慶友社、1949年。





成瀬無極(Mukyoku Naruse, 1884-1958)は、第二次世界大戦前の日本のドイツ文学研究家です。1949年に慶友社という東京の出版社から発行されたこの本は、1929年に改造社から出版された本の改訂版とのこと。

この書の序説において、「疾風怒濤」の原語である"Strum und Drang”について、「狂飈怒涛」や「颶風時代」や「天才崛起時代」などという訳があり、森鴎外が「襲ひと迫り」という訳まで作ったことが示されています。成瀬は、この語を一旦「狂瀾怒涛」と訳したあと、思い直して「疾風怒濤」と書き直し、1929年にこの本の原版を出版しました。この顛末が、成瀬の訳語が学術用語として定着した所以とされています。こうした一連の事柄を論じることで、成瀬は、自分こそが「疾風怒濤」という言葉の発明者だと主張しているのです。
なお、「疾風怒濤」の原語は、マキシミリアン・クリンガー(Maximilian Klinger, 1752-1831)の同名の戯曲がルーツとなっています。

この「疾風怒濤」というのは、ドイツ・ロマン主義の生まれる原動力となった文芸運動であり、この運動が起こるまで浸透していた啓蒙主義や古典主義といったものに、反旗を翻した運動でした。この文芸運動をリードした代表的人物といえば、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)とフリードリヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller, 1759-1805)です。成瀬は、ゲーテの『鉄手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(通称『ゲッツ』)が書かれた1773年から、シラーの『たくらみと恋』が書かれた1783年までを「疾風怒濤」の開花期と位置づけています。
しかし、今日では、1767年から1785年あたりまでを「疾風怒濤」の時期と考えるのが主流になっています。

成瀬は、この本で、啓蒙主義からロマン主義に至るまでの道筋を、自然観、宗教観(成瀬は「神」という言葉で表現しています。)、人間観、芸術観という4つの観点から考察を加えています。最後の芸術観に関しては、尻すぼみになった感がありますが、自然と宗教(神)、人間に対する、それぞれの思潮の捉え方と、その変遷は、ロマン主義がどのようにして生成され、どういう性質を持つものとなったのかを考える手助けになります。
ただ、これら全てを論じると長くなるので、自然観のさわりの部分だけをかいつまんで紹介しておきたいとおもいます。

啓蒙主義の自然観は、自然科学的観点から、神と宇宙の関係を時計製造者と時計との関係に押し込めてしまった点に特色があります。啓蒙主義においては、自然などというものは、如何様にでもなる小道具のひとつか、単なる背景に過ぎません。あわせて、古典主義は形式や秩序を重んじる立場であり、生命の本質としての自然を定型的・合法的・象徴的・代表的なものとして捉えました。いわば、脈動するはずの自然を固定的形式で捉えてしまったがゆえに、「疾風怒濤」の人たちから、「生命の流動に反するもの」として非難されることになりました。
「疾風怒濤」の自然観においては、啓蒙主義において矮小化されて内的な魂を奪われた自然をもう一度見直し、再び魂を吹き込むことに務めました。ゲーテ曰く「自然だけが無限の富を持っている。自然が独り偉大な芸術家を作る」のであり、こうした言明は、人間が自然を支配できるとした啓蒙主義の自然観とは全く異なるものだというのが理解できると思います。
ただし、「疾風怒濤」は、啓蒙主義や古典主義が理性や形式論で自然を把捉することに異論を唱えるあまり、主観・感情の側面で自然を捉えることに偏りすぎた傾向があります。ロマン主義は、こうした熱狂的感情にまかせた「疾風怒濤」の自然の捉え方を分析する方向へと進みます。「疾風怒濤」において、憧憬の対象だった自然は、ロマン主義においては、感じるだけでなく、考える対象として捉えなおされることになりました。

啓蒙主義や古典主義が合理的な知を尊重したのに対し、「疾風怒濤」は感情的側面がないがしろにされているとして、主観的観点の重要さを説きました。しかし、「疾風怒濤」は、自らが直観的に把捉したものを崇拝するばかりで、その正体が何なのかを明らかにしようとしませんでした。こうした「疾風怒濤」の弱点を補強しようとしたのがロマン主義ということになります。
ロマン主義は、気分や雰囲気で捉えるだけでなく、その捉えたものについて様々な視点から考えるということで、「疾風怒濤」を批判的に乗り越えようとしました。
ロマンティックという言葉から夢幻的な憧憬の世界を連想する人も少なくなく、目に見えぬものへの憧れを示すという性質は、ロマン主義の研究者たちからよく指摘されてきたところのものです。
しかし、ただ憧憬に浸るだけでは「疾風怒濤」の世界観の焼き直しでしかありません。ロマン主義がロマン主義としての独自性を打ち出す要件が何だったのかを考えることが、ロマン主義の捉えなおす為に必要な視点ではないかと思います。

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