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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Johannes Brahms: Violin Sonata No.1 in G major, op.78
Johannes Brahms: Violin Sonata No.2 in A major, op.100
Johannes Brahms: Violin Sonata No.3 in D minor, op.108
Szymon Goldberg (Vn.)
Arthur Balsam (Pf.)
(Rec. 12, 15, 20 May 1953, New York)








ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)はドイツの作曲家です。ヨゼフ・マルクスゼンにピアノと作曲を学び、ロベルト・シューマンの評論で激賞されたことで、音楽家としての名声を築くようになりました。
作曲家としてのブラームスは、寡作な人というわけではありませんでしたが、自己批判の傾向が強く、せっかく作ったものを破棄することも珍しくありませんでした。10代に作曲されたものは、軒並み破棄されています。ヴァイオリン・ソナタも生涯に少なくとも7曲は作られたといわれていますが、ブラームスの自己批判に耐えたのは、ここに聴く3曲だけです。

第1番のソナタは、1878年から翌年にかけて、オーストリア南部のペルチャッハで作曲された三楽章構成の作品。ペルチャッハでは先にヴァイオリン協奏曲が作られましたが、そのヴァイオリン協奏曲と同じような華やかなムードを持続させた作品ではありません。このソナタを作曲中に、シューマン未亡人クララの息子である詩人のフェリクスが25歳の若さで病死しており、その死を悼む気持ちが第二楽章を中心に浸透しています。また、第3楽章ではクララの好んだブラームスの歌曲のメロディが援用されており、音楽によってクララを慰める意図があったように考えられます。この歌曲のメロディの引用から「雨の歌」というニックネームがつけられています。
出版にあたって献辞はつけられませんでしたが、クララへの配慮を感じられる音楽です。

第2番のソナタは、1885年から翌年にかけてスイスの避暑地であるトゥーンで作曲された三楽章構成の作品で、クララに捧げられました。初演は完成した年の12月2日、ウィーンに於いてヨーゼフ・ヘルメルベルガー1世とブラームス自身のピアノで行われました。この曲も第1番のソナタ同様に彼の歌曲と結びついており、第1楽章では歌曲の〈すぐにおいで〉op.97-5と〈メロディのように〉op.105-1、終楽章では〈我が眠りはますます浅くなり〉op.105-2と〈墓地にて〉op.105-4が織り込まれています。ブラームスの残した3曲のヴァイオリン・ソナタの中ではとりわけ温和な作品です。

第3番のソナタは、1888年にトゥーンで作曲された作品。第2番のソナタを書き上げたころからすでに構想されており、彼の交響曲と同じ四楽章構成で作られています。感傷的な作品に仕上がったのは、作曲中の1887年に届いた親友で音楽学者のカール・フェルディナント・パウルの訃報が影響していると考えられています。作品が完成した年の12月21日にイェネー・フバイのヴァイオリンと作曲者自身のピアノでブダペストに於いて初演され、ブラームスの擁護者となったハンス・フォン・ビューローに捧げられました。

演奏は、ポーランド生まれの2人の演奏家―シモン・ゴールドベルク(Szymon Goldberg, 1909-1993)とアルトゥール・バルサム(Arhur Balsam, 1906-1994)によるものです。
ゴールドベルクは、ヴウォツワヴェクに生まれたヴァイオリン奏者。カール・フレッシュ門下で、戦前ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターとして活躍する一方、ピアノ奏者ののリリー・クラウスといっしょに室内楽の演奏にも勤しんでいました。戦時中はユダヤ人だということで迫害を受けて国外に逃亡しますが、ジャワ島で日本軍の捕虜になったこともあります。戦後は指揮者としても活躍し、晩年はピアノ奏者の山根美代子と結婚して日本に住み、富山市で急逝しています。
バルサムはワルシャワ出身でニューヨークに没したピアノ奏者。ウッチの音楽学校を経てベルリン高等音楽院でクルト・ベルナーに師事しました。第二次世界大戦前はドイツで活躍していましたが、ユダヤ系だったということで、ナチス台頭とともにアメリカに渡り、イェフディ・メニューインやナタン・ミルシテイン等の伴奏者として活動しました。ピアノ教師としても卓越していて、エマニュエル・アックスやマレイ・ペライアなどを指導していました。

ゴールドベルクもバルサムも、ソリストとしての技量を誇示的に用いるのではなく、共演上の均衡に力点を置いて演奏しています。しかし、両者が差しさわりのない距離感を維持して無難な演奏に仕上げているというわけではなく、両者の室内楽奏者としての経験と勘で絶妙な駆け引きを楽しんでいます。彼らの技量の高さは、例えば第3番のソナタの終楽章を何の苦労も感じさせずにさらりと弾いているところから窺い知ることができます。
第1番のソナタなど、第一楽章から魅力的なメロディが刻印されていますが、ゴールドベルクもバルサムも、メロディを歌わせることに気を取られることなく、音楽のトータルで各楽章のクライマックスを築き上げています。また、微視的に聴いても、ちょっとしたフレーズに応答と対話の成り立つようなニュアンスがつけられており、楽譜の単純な音化にとどまらない対話的な妙味が織り込まれています。

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