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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Max Reger: Piano Concerto in F minor, op.114
Steven de Groote (Pf)
SWF-Sinfonieorchester Baden-Baden / Michael Gielen
(Rec. December 1987, Hans Rosbaud Studio, Baden-Baden)
◈Alexander Zemlinsky: Der 23. Psalm, op.14
Slowakischer Philharmonischer Chor (Chorus master: Pavol Prochazka)
SWF-Sinfonieorchester Baden-Baden / Michael Gielen
(Rec. June 1988, Münster)



マックス・レーガー(Max Reger, 1873-1916)のピアノ協奏曲とアレクサンダー・ツェムリンスキー(Alexander Zemlinsky, 1871-1942)の詩篇23番のカップリング。この両曲に共通するのは、1910年に作曲・発表された作品だという点です。

レーガーはドイツの作曲家で、あるときは和声と対位法の碩学、またある時はピアニスト、そしてまたある時はオルガニストというように、多くの顔を持っていました。1910年のレーガーは、その名声の頂点にあり、5月にはドルトムントで彼を顕彰する音楽祭が開かれ、6月には新作のピアノ四重奏曲をチューリヒで初演しています。こうしたゴタゴタで、この年の初めに予定していたピアノ協奏曲の作曲スケジュールがずれてしまい、夏に突貫工事でこの曲を作曲しています。
出来上がった作品はすぐさま演奏のめどが立ち、完成したおよそ二ヶ月後の10月15日にライプツィヒで、アルトゥル・ニキシュの指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の手で初演されています。この時に独奏者を務めたフリーダ・クヴァスト=ホダップは、レーガーの愛弟子の一人で、この曲の被献呈者でもあります。
このピアノ協奏曲は、伝統的な3楽章形式を踏襲し、第1楽章ではヨハネス・ブラームスのピアノ協奏曲第1番を彷彿とさせるようなオーケストラの主題提示がついています。第2楽章は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのマタイ受難曲で有名なコラール《もしも私が死ぬ時には》(Wenn ich einmal soll scheiden)や《血に染まった主の頭》(O Haupt voll Blut und Wunden)が断片化されて織り込まれており、安らかな雰囲気に満ちた音楽になっています。第3楽章は一応ロンド形式のようですが、セザール・フランクの交響変奏曲のようでもあります。曲想は第1楽章に比べて諧謔性が強くなっていますが、重厚なオーケストラと和音連打を多用したがるピアノの対話は変わらず、やたらゴツゴツとした肉弾戦を強いられることになります。
初演したクヴァスト=ホダップは、初演まで二カ月という短期間ながら、しっかりとものにし、レーガーから「クヴァスト=フートアプ」(名前の”Hodapp”を”Hutab”{脱帽の意}に綴り替えた駄洒落)といわれるほどに絶賛されました。しかし、作品自体は概ね好評だったものの、一部の批評家から「万華鏡のようにゴチャゴチャで首尾一貫していない」とか、「第1楽章の前半部分だけが独創的で、残りの部分は型にはまり過ぎていてとてもイライラする」などと書き立てられ、元々ストレスが多く過食気味だったレーガーの暴飲暴食ぶりを加速させることになりました。

本CDの演奏は、スティーヴン・デ・グルート(Steven de Groote, 1953-1989)のピアノ独奏とミヒャエル・ギーレン(Michael Gielen, 1927-)の指揮する南西ドイツ放送交響楽団(現:バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団)によるものです。
グルートは、南アフリカ出身のピアニストで、ルドルフ・ゼルキン、ミエチスワフ・ホルショフスキ、シーモア・リプキンの各氏に師事し、1977年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝した逸材でした。この録音の2年前には、グルートは趣味の飛行機操縦で事故を起こしていますが、奇跡的に回復して演奏活動を再開しています。しかし、この録音の2年後には里帰りした先でAIDSに起因する多臓器不全で世を去っています。グルートの師匠だったゼルキンはレーガーに音楽理論を教わったこともあり、このピアノ協奏曲の紹介に熱心な人でしたが、グルートがこの曲をレパートリーに入れていたのは、そのゼルキンの影響と考えられます。
ギーレンはドイツの指揮者ですが、幼少時にアルゼンチンのブエノス・アイレスに家族で移住し、当時コロン劇場にいたエーリヒ・クライバーの下で指揮法を会得しました。音楽家としてのキャリアで最初に注目されたのは1949年にアルノルト・シェーンベルクのピアノ曲をピアニストとしてブエノス・アイレスでの初演奏を行ったことが挙げられます。程なくしてヨーロッパに戻ると、ウィーン国立歌劇場のコレペティートルを経てストックホルム王立歌劇場の音楽監督になり、1965年のケルンでベルント・アロイス・ツィンマーマンの《軍人たち》を初演して名を上げました。その後はベルギー国立管弦楽団、フランクフルト歌劇場、シンシナティ交響楽団を経て、1986年に本CDで演奏している南西ドイツ放送交響楽団の首席指揮者を歴任しています。
ギーレン自身、ブエノス・アイレスにいた頃から、エルヴィン・ロイヒターから作曲法を学び、作曲家としての顔も持っています。同時代の作曲家の新作演奏に積極的に取り組みながら、機会があれば自作自演もしており、そのために、同時代の作曲家の作品のスペシャリストとして一目置かれる存在でもあります。
南西ドイツ放送交響楽団は、1946年にハンス・ロスバウトを初代首席指揮者に擁立して結成されたオーケストラです。ロスバウトによって、同時代の音楽の演奏に特化したオーケストラとして訓練され、1950年からドナウエッシンゲン音楽祭の主力オーケストラとしての重責を担うようになりました。いわゆる現代音楽の過酷な要求に大概応じてきたオーケストラですが、それだけに19世紀以前の作品であっても、情に流されずに冷静沈着な音楽づくりができます。ギーレンとの相性は良好で、1999年にギーレンが首席指揮者を勇退した後も、頻繁に客演指揮者として招聘して関係を保っています。

このレーガーのピアノ協奏曲の録音の興味の一つは、ゼルキン門下のグルートがどれ程の奮闘ぶりを示すかという点、もう一つの興味は、込み入ったレーガーのオーケストレーションをギーレンがどう捌くかという点にあります。
グルートのピアノは、オーケストラに負けじと力一杯の演奏。効果的にテンポを伸縮させ、レーガーのロマンティシズムを炙り出そうとしています。両端楽章では勢いに任せてオーケストラとぶつかり合っている感が無きにしも非ずですが、若々しい力が漲っていて、テクニック面での技の切れ味が鮮やかなので、聴いていてスリリングな面白さがあります。
レーガーのオーケストラの書法は、ともするとピアノを飲み込んでしまう程に分厚い響きが多用されていますが、ギーレンは巧みな音量コントロールでグルートのピアノを埋もれないようにし、グルートの勢いを殺さぬようなサポートをしています。総奏ではオーケストラのフル・スペックを惜しみなく引き出し、ピアノが出てくると、ピアノの表情付けに合わせて起伏を作りながら、作品の持つうねりの中にピアノを引き入れていくギーレンの指揮は、オペラ指揮者としての老獪さを示しています。第2楽章も、ピアノの表情付けに合わせながら、響きを緻密にコントロールすることで、ピアノの表情過多を防いでいます。また、自然と抑制されているグルートのピアノの音の一つ一つが磨き抜かれており、色とりどりの宝石に光が当たるような美しさを醸し出しているのが魅力的です。

ツェムリンスキーは、ウィーン音楽院でヨハン・ネポムク&ヨーゼフのフックス兄弟に学んだ音楽理論家であり、アントン・ドーア門下のピアニスト、ウィーン・フォルクスオーパーの初代指揮者としても成功したマルチな音楽家でした。音楽教師としても、アルマ・シントラー(後にグスタフ・マーラーの夫人)やアルノルト・シェーンベルク、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトといった人たちを教えています。ドイツのレーガーに劣らぬ学匠だったツェムリンスキーですが、ドビュッシーらのフランス音楽や中世ルネッサンスの音楽も視野に入れ、シェーンベルクが十二音音楽を開発した時には、進んでシェーンベルクからその技法を学んでいます。
作曲家としてのツェムリンスキーは、彼を作曲界の寵児に押し上げてくれたブラームスの影響から出発しながら、シェーンベルクらの無調音楽の一歩手前にまで作風を変容させており、彼の音楽の変容は、第二次世界大戦前のヨーロッパ音楽の風潮の反映として興味深いものがあります。
ツェムリンスキーの詩篇23番は、1900年作の詩篇83番、1935年の詩篇13番の中間に位置する作品です。詩篇とは、旧約聖書に収録されている伝ダビデ作の150の神を礼賛する詩のことで、キリスト教でもユダヤ教でも祈りの言葉として用いられることがあります。こうしたツェムリンスキーの詩篇の作曲は、ユダヤ教徒としての作曲者の信仰告白の意味合いがあったものと思われます。1910年に作曲されたこの詩篇23番は、その年の12月10日にウィーンで初演され、好評を博しました。初演を指揮したフランツ・シュレーカーは、ウィーン音楽院時代のツェムリンスキーの同門でした。
この詩篇23番は演奏時間にしておよそ10分程度のオーケストラ付き合唱曲ですが、既にブラームスからの影響を離れて、リヒャルト・ヴァーグナーや先輩格のマーラーのような、ダイナミックなクライマックスを備えた音楽に仕上がっています。ただ、マーラーの交響曲第8番等を先に聴くと、この作品はそのミニチュアのように聴こえることでしょう。クライマックスよりも、そこに至り、収束するまでの静寂の表現に聴きどころの見い出せる音楽です。
ギーレンにとって、ツェムリンスキーは、彼の音楽的出自に多少の関係のある作曲家です。ギーレンの母方の叔父はエドゥアルト・シュトイアーマンというピアニスト兼作曲家で、シェーンベルクの高弟として知られていますが、そのシェーンベルクの師匠がツェムリンスキーだったという繋がりがあります。マーラーの交響曲の断片のようなこの曲を、ギーレンが緻密な響きでことさら丁寧に磨きあげているのは、自らの音楽的出自に関わる作曲家への敬意の現れなのでしょうか。ただ、ブラティスラヴァのスロヴァキア・フィルハーモニー合唱団は、オーケストラほどの精妙さには達しておらず、作品の静謐な部分に違和感を残します。

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