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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Wilhelm Kienzl: Der Evangelimann
Kurt Moll (Bs: Friedrich Engel)
Helen Donath (S: Martha)
Ortrun Wenkel (A: Magdalena)
Roland Hermann (T: Johannes Freudhofer)
Siegfried Jerusalem (T: Mathias Freudhofer)
Friedrich Lenz (T: Xaver Zitterbart)
Klaus Hirte (Bs: Anton Schnappauf)
Theodor Nicolai (Br: Friedrich Aibler)
Gudrun Greindl-Rosner (Ms: Dessen Frau)
Erika Rüggeberg (S: Frau Huber)
Martin Fink (T: Hans)
Peter Lika (Bs: Stimme des "Nachtwächters")
Renate Freyer (Ms: Lumpensammlerin)
Tölzer Knabe (S: Stimme des "Kegelbuben" & Ein Knabe)
Chor des Bayerischen Rundfunks (Chorus master: Norbert Schüll)
Tölzer Knabenchor (Chorus master: Gerhard Schmidt-Gaden)
Münchner Rundfunkorchester / Lothar Zagrosek
(Rec. 1-12 October 1980, Bayerischer Rundfunk Studio, München)



ヴィルヘルム・キーンツル(Wilhelm Kienzl, 1857-1941)は、オーストリアのヴァイゼンキルヒェンに生まれた作曲家です。3歳でグラーツに移住してイグナーツ・ウールにヴァイオリン、ヨハン・ブーヴァにピアノを学んだあと、15歳でフレデリック・ショパンの弟子だったルイ・スタニスラウス・モルティエ・ド・フォンテーヌの薫陶を受け、17歳の時にはウィーンでヴィルヘルム・メイエル=レミーの下で作曲法、フリードリヒ・フォン・ハウゼッガーに音楽史を学んでいます。さらに19歳でプラハのヨゼフ・クレイチーに作曲を学び、さらにヴァイマルでフランツ・リストにも教えを請うたキーンツルは、バイロイトでリヒャルト・ヴァーグナーの音楽に接し、生涯ヴァーグナーの音楽を規範とするようになりました。音楽学者としてのキーンツルは、ヴァーグナーの評伝を中心とした著作を残しています。
作曲家としてのキーンツルは、歌曲や合唱曲を中心に様々なジャンルで作品を残す多作家でしたが、代表作として知られているのは、今回紹介する歌劇《宣教師》です。
この《宣教師》の台本は、キーンツル自身が台本を書いていますが、台本を作成するにあたって、1812年にシュティフト・ゲトヴァイヒで起こった教会の火災を取材し、さらにレオポルト・フロリアン・マイスナーの『警察署長の手紙から』という本に着想を得ているとのことです。この作品のあらすじは、大体以下の通りです。
【第1幕】
1820年ごろのオーストリア低地地方の聖オトマール修道院での出来事。
修道院で書記官として働いていたマティアス・フロイトホーファーは、修道院長フリードリヒ・エンゲルの娘、マルタと恋仲だった。しかし、マティアスの兄であるヨハネスも、マルタを愛していた。マティアスとマルタが密会するのを見たヨハネスは、修道院に火をつけてしまう。街中の大騒ぎの中、ヨハネスは放火の罪をマティアスにかぶせ、マティアスは投獄されてしまうのだった。

【第2幕】
第一幕から30年以上の月日が経過したウィーンの街。かつて放火の罪を弟に着せたヨハネスは不治の病に侵され、介護者のマグダレーナの世話を受けながら、悔恨の日々を送っていた。一方、20年の刑期を終えたマティアスも、刑期中に恋人のマルタがドナウ川に身を投げて亡くなっていたことを知り、悲嘆にくれながら、宣教師として放浪し、ウィーンにやってきたのだった。
瀕死のヨハネスは、宣教師が屋外で聖書朗読をしているのを耳にし、マッダレーナを通して自分の部屋へと招き入れた。その宣教師こそが、マティアスだったのだが、年月を重ねて変わり果ててしまった二人は、お互いが兄弟であることが最初わからなかった。マティアスは、この病人の罪の告白を耳にするうちに、罪を告白しているこの病人が、自らの人生を狂わせた兄であることに気づき、お互いの素性を認識することになった。ボロボロになった兄が許しを請うのを目の当たりにして、許すべきか許さざるべきか逡巡するマティアスであったが、今までのことをすべて水に流すことを選択する。マティアスに許されたヨハネスは、静かに息を引き取った。
この作品は、1894年にフェクラブルックという町で書き上げられ、友人の指揮者であるカール・ムックに出来上がった部分を抜粋して聴かせたところ、ムックはすぐさま自分に初演させてほしいと願い出たそうです。
初演は1895年の3月4日にベルリン宮廷歌劇場(現:ベルリン国立歌劇場)でムックの指揮で行われ、オペラ作家としてのキーンツルの代表作とみなされる程の成功を収めました。この作品は、フェリックス・モットルやグスタフ・マーラーといった当時の名指揮者たちによって盛んに取り上げられ、リヒャルト・ヴァーグナー以降のドイツ歌劇の傑作として20世紀半ばまでドイツ語圏の歌劇場でよく取り上げられる演目となりました。
第二次世界大戦後は、キーンツルの作風が時代遅れと見做されて、忘却されそうになりましたが、この録音を契機に再評価されるようになってきています。
本録音のキャストは以下の通りです。
クルト・モル (フリードリヒ・エンゲル)
ヘレン・ドーナト (マルタ)
オルトルン・ヴェンケル (マグダレーナ)
ロランド・ヘルマン (ヨハネス・フロイトホーファー)
ジークフリート・イェルザレム (マティアス・フロイトホーファー)
フリードリヒ・レンツ (クサヴァー・ジッターバルト)
クラウス・ヒルテ (アントン・シュナッパウフ)
テオドール・ニコライ(フリードリヒ・アイブラー)
グドゥルン・グラインドル=ロスナー (アイブラーの妻)
エリカ・リュッゲベルク (フーバー夫人)
マルティン・フィンク (ハンス)
ペーテル・リカ (夜警の声)
レナーテ・フライヤー (針子)
テルツ児童合唱団員 (スキットルで遊ぶ子の声&子ども)
バイエルン放送合唱団 (合唱指揮:ノルベルト・シュル)
テルツ児童合唱団 (合唱指揮:ゲルハルト・シュミット=ガーデン)
ミュンヘン放送管弦楽団/ローター・ツァグロセク
歌手陣には、モル(Kurt Moll, 1938-)、ドーナト(Helen Donath, 1940-)、ヴェンケル(Ortrun Wenkel, 1942-)、ヘルマン(Roland Hermann, 1936-)、イェルザレム(Siegfried Jerusalem, 1940-)など、録音当時ドイツの中堅として活躍していた名歌手たちを集めています。
モルは元々チェリスト志望だった人ですが、学生合唱団に参加したところ、そこの指導者から声楽への転向を勧められてケルン音楽大学に進学し、エミー・ミュラーの薫陶を受けました。ヴァーグナーの作品を得意とするバリトン歌手としてバイロイト音楽祭からメトロポリタン歌劇場まで幅広く活動たモルですが、2006年に引退しています。
ドーナトは、ヘレン・アーウィンとしてアメリカで生まれたソプラノ歌手で、ニコライ・ゲッタの師としても知られるパオラ・ノヴィコヴァに師事しています。21歳でケルンに行き、1966年にハノーファー歌劇場に移籍し、そこで指揮者をしていたクラウス・ドーナトと結婚して現在の名前になりました。1967年にザルツブルグ音楽祭に出演してからは1990年まで音楽祭の主要メンバーとして名を連ね、ウィーン国立歌劇場の常連歌手としての実績もあります。
ヴェンケルはヴァイマール・フランツ・リスト音楽院を経てフランクフルト音楽・舞台芸術大学でパウル・ローマンに師事したコントラルト歌手で、1976年にバイロイト音楽祭でピエール・ブーレーズの指揮するヴァーグナーの《ニーベルングの指輪》に参加して広く知られるようになりました。クシュシュトフ・ペンデレツキやハンス・ヴェルナー・ヘンツェ等、同時代の作曲家とも仕事をしています。
ヘルマンは、マルガレーテ・フォン・ウィンターフェルト、フラミニオ・コンティーニやヴェンケルの師でもあるローマンに師事し、1961年にドイツの放送局が主催したコンテストで一位をとって脚光を浴びるようになったバス・バリトン歌手です。チューリヒ歌劇場を皮切りに、ミュンヘンやパリ、ニューヨークからブエノスアイレスまで様々な歌劇場に登場しています。
イェルザレムは、シュトゥットガルト放送交響楽団のファゴット奏者からテノール歌手に転身した人です。1975年にフランコ・ボニゾッリの代役としてヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ《ジプシー男爵》の主役を歌って歌手として活動を始め、翌年のバイロイト音楽祭にもヴェンケルと共に参加しています。バイロイト音楽祭への度重なる出演を通じて、ヴァーグナーのオペラのスペシャリストと見做されるようになり、本録音時はヨーロッパ中引く手数多の歌手として広く活躍していました。
指揮をするツァグロセク(Lothar Zagrosek, 1942-)は、ハンス・スヴァロフスキーの門下生で、ブルーノ・マデルナやイシュトヴァン・ケルテスなどにも師事し、ヘルベルト・フォン・カラヤンの助手も務めていた人。ウィーン国立歌劇場をはじめとするヨーロッパ各地のオーケストラや歌劇場をめぐって武者修行をし、パリ・オペラ座やライプツィヒ歌劇場、シュトゥットガルト国立歌劇場などの音楽監督を歴任しています。本録音時、ツァグロセクは武者修行中でしたが、ミュンヘン放送管弦楽団をまるで手兵のように掌握し、引き締まった音色で本作品の屋台骨をガッチリと支えています。

この歌劇の第1幕は、ヨハネスとマティアス、修道院長と娘のマルタを中心に、レンツ(Friedrich Lenz, 1926-)の扮する床屋のジッターバルトやヒルテ(Klaus Hirte, 1937-2004)の扮する鉄砲屋のシュナッパウフなど、聖オトマール修道院に関わりのある人たちが色々登場しますが、第2幕になると、マルタの友人だったマッダレーナ、マティアスとヨハネスに登場人物が絞られます。第1幕は、混声合唱のコラールを配した導入部にヴァーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の影響が見られ、ヴァーグナーの音楽の壮麗さに対するオマージュという位置付けが出来るかと思います。特に聴きどころとなるのは、マティアスとマルタの逢引の二重唱〈君が来てくれて僕はどんなに嬉しいか〉です。二人が逢引をしている裏で、ヨハネスは策をめぐらして修道院を放火してしまい、一気に悲劇に突き進むことになりますが、その嵐のような第1幕を前にした甘美な世界は、初演当時、多くの歌手がデュエットで歌いたがったのもうなづけるものです。イェルザレムとドーナトの二重唱は、イェルザレムの清潔な歌いくちに好青年のような爽やかさを感じさせます。ドーナトの歌唱も充分に表情豊かな歌唱ですが、やや姉さん女房のようにも聴こえます。第2幕になると、音楽は一層重厚で内省的になりますが、イェルザレムは力をセーブしたような歌唱で第1幕との設定の違いを際立たせています。
第1幕ではマルタの親友としてちょっとしか出てこなかったマッダレーナですが、第2幕ではヨハネスとマティアスを引き合わせる重要な役割を担い、この幕でのほぼ唯一の女声となります。コントラルト歌手のヴェンケルの落ち着いた歌唱は、この幕の静謐さにぴったりと合い、ヘルマンのヨハネスとイェルザレムのマティアスとの会合の意味深さをじっくり味わわせてくれる雰囲気を作り上げてくれています。
どの役どころの歌唱も水準の高い歌唱であり、さらにオーケストラや合唱も熱意を持って演奏しているので、散漫になることがなく、この作品が名作としての魅力を備えていることを実感させるのに充分な演奏です。

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