1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈ | Wilhelm Furtwängler: Symphonic Piano Concerto in B minor |
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Erik Then-Berg (Pf.)
Bavarian Radio Symphony Orchestra / Rafael Kubelík
Bavarian Radio Symphony Orchestra / Rafael Kubelík
(Rec. 27 June 1963)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886-1954)は、ドイツのベルリンに生まれ、バーデン=バーデンに没した作曲家です。父アントンは高名な考古学者であり、1894年には父親がミュンヘン大学の教授になったためにミュンヘンに移住しています。父の意向で学校を早々に退学し、父の同僚で美術史家のルートヴィヒ・クルティウスと音楽学者のヴァルター・リーツラーの指導を受けました。1899年からはアントン・フェーア・ヴァルブルン、ヨーゼフ・ラインベルガーに音楽理論を教わり、1902年からマックス・シリングス・コンラート・アンゾルゲらの薫陶を受けるようになりました。作曲活動はミュンヘンに移住した7歳ごろから始めており、指揮者として有名になってからも、自らを指揮もする作曲家として位置づけていました。残された作品は数こそ多くないものの、いずれも力作が揃っています。
1924年から1937年にかけてコツコツと書きあげられた交響的協奏曲は、フルトヴェングラーにとって唯一のピアノ協奏曲です。ピアノ奏者としても一家言を持っていただけに、ピアノ・パートは高い難易度を誇りますが、ヨハネス・ブラームスのピアノ協奏曲第1番のオーケストラ・パートを一層深刻にしたような重厚なオーケストラのパートも聴きものです。三楽章構成ですが、最初の楽章だけで30分、第2楽章で12分、第3楽章で18分もの時間がかかります。第1楽章の標語が"Schwer"(重く)、第2楽章が"Adagio solenne"(ゆるやかに、荘重に)と記されるように、その音楽に心弾むような展開は一切なく、終楽章に至ってもどんよりとした雰囲気を解決することなく、消え入るように音楽を閉じます。
こうした作品に通底するペシミズムは、この曲の作られた時代背景と無関係ではありません。1918年に第一次世界大戦の敗戦国となったドイツは、フランス、イギリスやアメリカ等から戦争賠償金を課せられることになり、経済的に困窮しました。特にフランスがドイツのルール工業地帯を賠償金の担保として占領し、これがドイツの経済に大ダメージを与えました。また、1929年の世界恐慌が疲労困憊したドイツ経済にさらなるダメージを与えることになり、1933年頃からナチスがのさばる原因となりました。こうした第一次背愛大戦後から第二次世界大戦までのドイツの鬱屈が、この作品に色濃く反映されています。
この作品は、1937年10月26日にミュンヘンでエトヴィン・フィッシャーと作曲者自身の指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により初演され、同じ顔触れで録音もされましたが、フルトヴェングラーは亡くなる年に改訂を施しており、本CDでは専らその最終稿で演奏されます。
本CDではエリク・テン=ベルク(Erik Then-Bergh, 1916-1982)とラファエル・クーベリック(Rafael Kubelík, 1914-1996)の指揮するバイエルン放送交響楽団(Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks)が演奏していますが、テン=ベルクは、この作品の卓越した弾き手として作曲者の信頼を得ていたピアノ奏者でした。
テン=ベルクはハノーファーに生まれ、ミュンヘン近郊バルトハムに没したピアノ奏者です。地元で父親とクララ・シュピッタからピアノの手ほどきを受け、フランクフルトに行ってアルフレッド・ヘーンに師事した後、カール・アドルフ・マルティンセンの薫陶を受けました。1938年にベルリン・ドイツ・オペラでベートーヴェンやブラームスのピアノ協奏曲を披露してデビューし、1940年にはドイツ政府から国家音楽賞を贈られていました。第二次世界大戦終結後は、ヘルマン・アーベントロートやヨゼフ・カイルベルトらに引き立てられ、ヘルベルト・フォン・カラヤンとも共演を果たして演奏活動を継続し、1952年から亡くなるまでミュンヘン音楽院で教鞭を執りました。
テン=ベルクが指揮者としてのフルトヴェングラーと共演を果たしたのは、フルトヴェングラーの最晩年でした。この時にフルトヴェングラーはテン=ベルクの才能に惚れ込み、自ら交響的協奏曲を改訂してテン=ベルクと共演する計画を立てました。しかし、フルトヴェングラーが肺炎のために急逝したため、1958年1月25日にベルリン高等音楽院で行われたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団主宰のフルトヴェングラー記念演奏会に於いて、アルトゥール・ローターの指揮の下で演奏し、この曲の解釈の第一人者として知られるようになりました。
クーベリックは、ボヘミア地方のビーホリで生まれた指揮者です。父はチェコでも英雄的な扱いを受けていたヴァイオリン奏者のヤン・クベリークです。幼少期は父にヴァイオリンを習い、1928年から1933年までプラハ音楽院に在学してオタカール・シーンとパヴェル・デデチェクの薫陶を受け、作曲、指揮、ヴァイオリンにピアノの学位を取得しています。在学中から父の伴奏者として舞台経験を積んでいましたが、卒業した年にはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューを飾り、1936年からそのオーケストラの指揮者陣に加わってキャリアを積みました。1939年にはブルノ国立歌劇場の音楽監督に就任し、1941年にはナチス当局と喧嘩別れしたヴァーツラフ・ターリヒの後任としてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に転任するも、1948年にはチェコスロバキアの共産主義化に反対してイギリスに亡命。1950年から1953年までシカゴ交響楽団の首席指揮者、1955年から1958年までコヴェントガーデン王立歌劇場の音楽監督を務めた後、1961年から1979年までバイエルン放送交響楽団の首席指揮者の任に当たり、このオーケストラの黄金時代を築き上げました。その後はフリーランスの指揮者として活動した後、1986年にいったん引退を宣言。1989年にチェコ政府の要請により短期間ながら指揮活動を再開していました。最晩年には父の業績を後世に伝えるべく、ヤン・クーベリック協会の設立に奔走し、ルツェルンで亡くなっています。
クーベリックが指揮者としてキャリアを積むようになったきっかけは、学生時代に聴いたフルトヴェングラーやブルーノ・ヴァルターの指揮する演奏会でした。また、1950年にシカゴ交響楽団の首席指揮者になったのは、フルトヴェングラーの推挙によるものです。ただ、当地シカゴではアンチ・フルトヴェングラー運動が盛んだったので、クーベリックはフルトヴェングラーの手先と見做されて辛いシカゴ時代を過ごすことになりました。
この録音は、フルトヴェングラーがフィッシャーと残した1939年の録音に比べて、音質面では随分と聴きやすくなっています。
ピアノ独奏は、フィッシャーのほうが湖畔の水面を照らし出す月の光のような密やかな高音の煌めきが魅力的ではあるものの、明瞭な音質で聴けるテン=ベルクの独奏はどっしりとした力感があり、技巧的にもフィッシャーのそれよりも頼りがいがあります。第一楽章など、オーケストラとピアノが長時間の格闘を演じるわけですが、フィッシャーがオーケストラに同調して溶け込もうとしているのに対し、テン=ベルクは真っ向からオーケストラと対峙し、音楽的に止揚しようとする意気込みが強く感じられます。
オーケストラも、フルトヴェングラーの指揮とクーベリックの指揮では表現する方向性が違ってきます。フルトヴェングラーの指揮は、ひたすらペシミズムに傾き、オズワルド・シュペングラーの『西洋の没落』を慟哭を込めて音楽化したような絶望感が常に横たわっています。しかし、クーベリックは、フルトヴェングラーが曲の中に刻んだ絶望を踏まえながらも、その絶望を生み出した原因に対して憤るような表情を盛り込みます。そのため、フルトヴェングラーの演奏よりも現状打開に向けた前向きさが感じられる演奏に仕上がっています。
第二楽章のねっとりとした情感は、フィッシャー&フルトヴェングラーのコンビのほうがその情感をうまく引き出しているように感じられますが、第三楽章は、音楽のスケールが次第に膨らんで大爆発をし、そして死に絶えるように萎んでいくフィッシャー&フルトヴェングラーの解釈のほうがシリアスですが、テン=ベルク&クーベリックは死に絶えていくようなフィナーレにかすかな希望を感じさせます。
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