1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈ | Johann Sebastian Bach: Sonata for solo violin No.1 in G minor, BWV1001 |
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◈ | Johann Sebastian Bach: Partita for solo violin No.2 in B major, BWV1002 |
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◈ | Johann Sebastian Bach: Sonata for solo violin No.2 in A minor, BWV1003 |
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Emil Telmányi (Vn.)
(Rec. 19-20, 23, 27 November 1953 & 1-2, 5-7, June 1954, West Hamnpstead Studio, Lodon)
CD2:
◈ | Johann Sebastian Bach: Partita for solo violin No.2 in D minor, BWV1004 |
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◈ | Johann Sebastian Bach: Sonata for solo violin No.3 in C major, BWV1005 |
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◈ | Johann Sebastian Bach: Partita for solo violin No.3 in E major, BWV1006 |
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Emil Telmányi (Vn.)
(Rec. 19-20, 23, 27 November 1953 & 1-2, 5-7, June 1954, West Hamnpstead Studio, Lodon)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)は、18世紀ドイツ(神聖ローマ帝国)のアイゼナハに生まれた作曲家です。音楽家の家系に生まれたJ.S.バッハは、ヴァイマルの宮廷楽師、アルトシュタットやミュールハウゼンの教会オルガン奏者、ケーテンの宮廷楽長、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントール(音楽監督)を歴任し、当時のドイツの優れた鍵盤楽器奏者の一人と目されていました。しかし、18歳でヴァイマルの宮廷に奉公に上がった時にはヴァイオリン奏者として宮廷管弦楽団に登録されており、その後もヴァイオリン奏者として折を見て演奏を披露していたように、弦楽器の演奏法にも長じていました。
宮仕えをする音楽家たちは、日々の催事での演奏業務のほかに作曲を仕事として任されると、コンスタントに楽曲を作って提供せねばならず、結果として膨大な作品を業績として蓄積することになりましたが、J.S.バッハもその例にもれず、その職務上から多方面にわたって作品を残すことになりました。1950年にヴォルフガング・シュミーダーがJ.S.バッハの作品目録を作り、BWV(Bach Werke Verzeichnisの略)という整理番号をつけましたが、曲の規模の大小を問わなければ1080番まで番号が割り振られています。ただ、J.S.バッハの作品の多くはいつ作曲され、いつ誰によって初演されたのかを特定できるものが少なく、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのケッヘル番号のように作曲年順に番号を付けることが難しく、教会カンタータとそのパロディ(BWV1-200)、世俗カンタータ(BWV201-217)、モテット(BWV218-231)、ミサ曲等(BWV232-243)、受難曲(BWV244-247)、オラトリオ(BWV248-249)、コラール(BWV250-438)、歌曲(BWV439-524)、オルガン曲(525-771)、オルガン以外での演奏を想定したと思しき鍵盤楽曲(BWV772-994)、リュートのための作品(BWV995-1000)、鍵盤楽器やリュート以外の楽器を含む室内楽曲(BWV1001-1040)、協奏曲(BWV1041-1065)、管弦楽曲(BWV1066-1071)、オムニバス(BWV1072-1080)というように、シュミーダーが作品をジャンル別に分けて番号を付けています。その後の研究によってカンタータに分類されていたものがモテットに分類されなおしたり、J.S.バッハの作品か疑義が呈されたり、新たに作品が発見されたりと、未だ十分に整理されていない状況ですが、目録番号は研究の進展に応じて注釈を加えたり、追加の番号(BWV.Anh.)をつけたりして対処されています。
本CDに収録される無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ全6曲は、J.S.バッハの自筆による浄書の表紙に1720年の表記があることから、1720年に完成させた作品であることが分かっています。J.S.バッハ自身は、この曲を第一巻とし、無伴奏チェロ組曲を第二巻に据えて出版しようと目論んでいましたが、作曲者の生前には出版されませんでした。また、だれのために作り、いつ初演されたのかという情報は今日に至るまで見つかっていません。無伴奏ヴァイオリンによるポリフォニー音楽の構築という発想は、既にフランチェスコ・ジェミニアーニやハインリヒ・イグナツ・フォン・ビーバーといった人たちがすでに手掛けており、J.S.バッハと年代の近いところでは、ヨハン・パウル・フォン・ヴェストホフも無伴奏ヴァイオリンのための曲集を手掛けています。
なにはともあれ、J.S.バッハのこの曲集をしっかり演奏するには、相当に高い演奏技術を要求されることから、誰のために作曲された作品かというのは、ある程度J.S.バッハの交友関係から絞り込むことができそうです。ヴァイマルにいた頃に出会ったヨハン・ゲオルク・ピゼンデル、1717年にドレスデンを訪問したときに出会ったフランス人ヴァイオリン奏者のジャン・バティスト・ヴォリュミエ、ケーテンでコンサートマスターを務めていたヨーゼフ・シュピースが考えられます。はたまたJ.S.バッハ自身もヴァイオリンの演奏に熟達していたので、自分で鍛錬するために書いたという憶測も出来るでしょう。近年はピゼンデルの作風に影響を受けていると見られており、ピゼンデルのために書いたのではないかと言われています。
作品は、1802年にジムロック社からようやく刊行されましたが、当初は難易度の高いヴァイオリンのエクササイズ集とみなされており、ヨーゼフ・ヨアヒムがレパートリーに入れるまで、ヴァイオリン奏者たちの重要なレパートリーと見なされませんでした。また、この曲をJ.S.バッハの未完成作品と見なす人もおり、ロベルト・シューマンはおせっかいにもピアノ・パートを「補作」して「完成」版を世に送り出しています。
20世紀に入ると、医師兼神学者でJ.S.バッハの研究者でもあったアルベルト・シュヴァイツァーが、楽譜に書かれてある通りの音で演奏されるべきという主張を掲げました。この主張の実現のために、シュヴァイツァーはヴァイオリン奏者のロルフ・シュレーダーと1930年代から「バッハ弓」と呼ばれる湾曲弓を開発しました。「バッハ弓」は今日使われているトゥルト式の弓の棹が弓毛に対して反るように湾曲しているのに対し、湾曲弓の棹は幾何学でいうところの「弧」に近い形状で「弦」としての弓毛を張るような形をしています。この湾曲弓の形状により、弓毛の張力が緩めになり、トゥルト式の弓で難儀な重音をたっぷりとした音で弾けるというわけです。シュヴァイツァー&シュレーダーは改良を重ねて1952年にJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの全曲を録音しましたが、肝心の演奏の出来が良くないということで、未だCD化されていないようです。
シュヴァイツァーとシュレーダーが改良を重ねていたころ、スウェーデンでエミール・テルマーニー(Emil Telmányi, 1892-1988)が同じような湾曲弓を作っていました。
テルマーニーはハンガリーのアラドに生まれた、イェネー・フバイ門下のヴァイオリン奏者です。1911年にベルリンで演奏活動を始めたものの、1918年にカール・ニールセンの娘婿になったことでデンマークに本拠を移しました。義父ニールセンの作品の熱心な紹介者として、ヴァイオリンだけでなく指揮にも手を染めましたが、18世紀以前の音楽にも興味を持ち、演奏法の研究が長じて、シュヴァイツァーらと同路線の湾曲弓を考案するようになりました。テルマーニーはまず、アルネ・ユート(Arne Hjorth)に弓矢の弓のような湾曲弓を作らせ、これを1950年にイギリスのエディンバラ音楽祭での演奏に使い、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ集を録音しました。このテルマーニーの録音が、シュレーダーに先駆けた湾曲弓での録音の第一号になります。しかしユートの弓は、弓の張力を加減するのに握った手の親指を使う仕様で指への負担が高いことから改良を余儀なくされ、クヌート・ヴェスタゴー(Knud Vestergaards)にレバーで張力の調節ができる機構を取り付けさせました。このレバー付きの弓は、ヴェスタゴーの名前から文字をとって「VEGA弓」と名づけられ、このCDで収録されている録音に使われました。その後、テルマーニーはシュヴァイツァーにこの弓を見せて、シュヴァイツァーから称賛されています。
古楽器の研究が進んだ今日では、シュヴァイツァーやテルマーニーが熱中した湾曲弓の研究は、J.S.バッハの演奏様式の探求としては無根拠のものと見做されていますが、その弓の特性の面白さから、コンテンポラリーな作品の演奏に使われることがあり、それなりに需要があるようです。
閑話休題。テルマーニーはVEGA弓を使いこなすために一年間の猛特訓を積んで録音に臨みましたが、その演奏からは、この弓を使いこなすことの難しさが感得できます。まずこの弓の形状や機構に起因するであろう弓の重さは、運弓の軽やかさを損なっています。ソナタ第1番の第2楽章のフーガなど、音響的に面白いところはあるものの、ボウイングの調節に気を取られて左手のフィンガリングが甘くなっています。パルティータ第2番のシャコンヌも、本来の弓であればヴァイオリンの残響を利用した旋律の支えがオルガンで弾く和音のようにベタッとした音の動きに代わっており、音楽の醸し出す緊張感が緩くなっています。テルマーニーは努めて音程を正しく取っていますが、やはり音程のズレが和音全体の不協和を生み出しており、必ずしも美しい音楽になっていません。ソナタ第3番あたりになると、テルマーニーもVEGA弓を使うことによる音楽づくりの特性をうまく利用できるようになり、だいぶこなれた演奏になりますが、全曲を通した印象では、歯切れが悪く、湾曲弓で演奏するリスクが目に付く演奏になってしまいました。J.S.バッハの作品を楽しむというよりも、湾曲弓の特性を確認する録音といえるでしょう。
余談ですが、本録音はジョン・カルショウがプロデューサーとして録音に加わっています。彼は、その後、ゲオルク・ショルティとリヒャルト・ヴァーグナーの《ニーベルングの指輪》を全曲録音し、一躍名プロデューサーとして名を馳せることになりました。
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