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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Jean Siberius: Symphony No.5 in E flat major, op.82
Jean Siberius: Valse Triste, op.44
Helsinki Philharmonic Orchestra / Okko Kamu
(Rec. 4 February 1982, 大阪フェスティヴァル・ホール) Live Recording with Applause









ジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865-1957)は、フィンランドのハメーンリンナに生まれた作曲家。ヘルシンキ音楽院を経てベルリンやウィーンに遊学し、リヒャルト・シュトラウス、アントン・ブルックナーやヨハネス・ブラームスの作品を聴いて感化を受け、19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ有数の交響曲作家と見なされるようになりました。彼が発表した交響曲は全部で7曲あり、8曲目の交響曲は生前に作曲されていたと言われていますが、シベリウスは発表することなく楽譜を破棄してしまいました。
本CDに収録されている交響曲は、1914年から翌年にかけて作曲された交響曲第5番です。余白には《悲しきワルツ》が収録されています。

シベリウスが交響曲第5番を書いた頃、既に彼はフィンランドの国民的作曲家として尊敬される存在になっていました。1915年にはシベリウスの生誕50周年を祝う演奏会が開かれることになり、その祝賀演奏会の出し物として作曲されたのが、この交響曲第5番です。作品は三楽章構成で、ソナタ形式とスケルツォ楽章を抱き合わせた第1楽章、変奏曲形式の緩徐楽章とA-B-A-B-コーダという構造の終楽章からなります。1915年12月8日にヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(Helsinki Philharmonic Orchestra)を作曲者が指揮して初演しましたが、この時は第1楽章はソナタ形式の部分とスケルツォ楽章の部分が分離して四楽章構成でした。初演は好評だったものの、シベリウス自身は仕上がりに不満を感じ、1916年に第1楽章はソナタ形式の部分とスケルツォ楽章の部分を合体させました。この版はその年の12月8日(シベリウスの誕生日)にトゥルクで作曲者自身の指揮で初演しましたが、これも作曲者の満足できる出来ではなく、1919年に再度改訂を施して現行版を作り上げました。この現行版の初演は改訂した年の11月24日にヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で作曲者自身の指揮で演奏されました。

《悲しきワルツ》は、元々義兄のアルヴィド・ヤルネフェルトの書いた戯曲『クオレマ』の劇伴奏音楽として書かれた作品の一部でした。1903年12月8日に作品上演に合わせて初演された時に、シベリウスは6曲からなる音楽を書きましたが、翌年にはこの最初の曲をコンサートでも演奏できるように書き換え、「悲しきワルツ」というタイトルを付けて出版しました。この《悲しきワルツ》の評判から、さらに『クレオマ』に提供した曲から《鶴のいる情景》を作りましたが、こちらは二匹目の泥鰌ということで話題にならず、シベリウスは出版しようとしませんでした。《鶴のいる情景》はシベリウスの死後に《悲しきワルツ》の続編として出版され、《悲しきワルツ》の出版番号が"44"から"44-1"になり、《鶴のいる情景》に"44-2"とされましたが、これはシベリウスの意図ではなく、《悲しきワルツ》について"op.44"とするのが本来の形です。

本CDは、これら2曲をオッコ・カム(Okko Kamu, 1946-)の指揮するヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団のライヴ録音で収録しています。
この録音は、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(Helsinki Philharmonic Orchestra)の創立100年を記念して来日して開かれたシベリウスの交響曲チクルス演奏会の一環です。この来日での演奏会では、日本のシベリウス演奏の第一人者だった渡邉暁雄と、このオーケストラの首席指揮者を務めていたカムが分担して演奏会を行い、この2月4日の演奏会ではカムの指揮で交響詩《フィンランディア》も演奏されました。その《フィンランディア》の演奏は別のCDに収録されています。
本CDで指揮をしているカムは、ヘルシンキ生まれの指揮者で、彼の父親はヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団のコントラバス奏者。2才の頃からヴァイオリンを始め、6歳でヘルシンキ音楽院に入学してオンニ・スホネンにヴァイオリンを学びました。19歳でヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の第二ヴァイオリン奏者として入団しましたが、翌年にはフィンランド国立歌劇場のコンサートマスターに抜擢されています。しかし独学で指揮法を会得したカムは、1969年のヘルベルト・フォン・カラヤン国際指揮者コンクールで優勝し、カラヤンのアシスタントとして指揮者のキャリアを開始しました。以後、1971年から1977年までフィンランド放送交響楽団、1981年から1986年までオスロ・フィルハーモニー管弦楽団、1981年から1988年までヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団、1983年から1986年までオランダ放送交響楽団のそれぞれの首席指揮者を歴任し、1996年から2000年までフィンランド国立歌劇場の音楽監督を務めていました。今日ではフィンランドを代表する指揮者の一人に数えられています。
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団は、1882年にロベルト・カヤヌスがヘルシンキ・オーケストラ協会として発足させたオーケストラで、1895年から1914年までヘルシンキ・オーケストラ協会を名乗り、1914年にヘルシンキ交響楽団を吸収合併して現行の名称になりました。カヤヌスがシベリウスの親友だったことや、シベリウス自身が度々客演していたこともあって、シベリウスの作品演奏には一家言を持っています。

オーケストラの創立100周年という特別な年の演奏会というだけあって、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏には格別の気概を持っているように聴こえます。特に交響曲第5番は祝祭的な性格を持つ作品なので、弾けんばかりのエネルギーをどの音からも放出しているかのようです。決して世界のトップ・オーケストラのような精緻な演奏ではありませんが、それに匹敵する感興があり、聴き手の気分を高揚させます。また、祝祭的雰囲気の中であっても決して暴走することなく、今できる自分たちの最善の演奏を聴衆に味わってもらおうという団結した心根が一本通っているので、英雄の凱歌のような終楽章が白けることなく、感動的に聴き通すことができます。
《悲しきワルツ》は、元々病床の母親がワルツの音楽に乗せられてワルツを踊り、踊り疲れたところに亡き伴侶の姿をした死神が魂を抜き取りに現れるというシーンのために作った音楽ですが、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、先の交響曲第5番で発散したエネルギーを今度は曲の内面に込めて表情の濃い演奏を行っています。いずれの演奏も、カムの会心の演奏だったことでしょう。

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