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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Camille Saint-Saëns: Violin Concerto No.3 in B minor, op.61
Camille Saint-Saëns: Havanaise, op.83
Camille Saint-Saëns: Introduction and Rondo Capricioso, op.28
ダイアナ 湯川 (Vn)
Royal Philharmonic Orchestra / Grant Llewellyn
(Rec. 20-22 April 2001, Air Studio, London)





本CDは、シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns, 1835-1921)のヴァイオリン協奏曲第3番(1879-1880年作)、《ハバネラ》(1887年作)、《序奏とロンド・カプリチオーソ》(1863-1867年作)の3曲を収録したアルバム。演奏は、ダイアナ湯川(Diana Yukawa, 1985-)のヴァイオリン独奏と、グラント・ルウェリン(Grant Llewellyn, 1960-)の指揮するロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(Royal Philharmonic Orchestra)の伴奏です。

サン=サーンスは、パリ生まれの作曲家。生前はピアノ奏者としても卓越した腕前を披露していました。主な業績としては、フランス人作曲家の器楽作品の発表の場を確保するために国民音楽協会を作ったことが大書されます。また、彼が監修したジャン=フィリップ・ラモーの作品全集の刊行は、フランスの音楽家たちに、自国の過去の作品を見直すきっかけを作りました。音楽以外のことにも造詣が深く、哲学書を書いたり詩集を発表したり、考古学に首を突っ込んだり天文学に精通したりと、オールマイティな教養人ぶりを発揮していました。旅行先のアルジェで亡くなったときには、遺体が本国に送還され、フランス人音楽家として前例のない国葬が執り行われるほどの名声を持っていました。しかし、奇矯を嫌い分別を重んじる保守的な価値観と、大概のことは要領よくこなしてしまう器用さゆえか、自分の価値観に合わないものには辛辣で、自分が認めた一流人以外には冷淡でした。そのため、人望がなく、自らが旗揚げした国民音楽協会から脱退するという憂い目にも遭っています。
そんなサン=サーンスが一流人として認めた友達の一人が、パンプローナ生まれのスペイン人、パブロ・デ・サラサーテです。サラサーテはパリ音楽院でジャン=デルファン・アラールに師事したヴァイオリンの名人でした。ニコロ・パガニーニの作品は、手の小さい彼には荷が勝ちすぎていたようですが、敏捷性をベースに様々な表情付けで聴衆を魅了し、1908年に64歳で急逝するまで大変な人気でした。サン=サーンスはそんなサラサーテの才能に早くから注目し、1859年には、彼のためにヴァイオリン協奏曲第1番を書いています。また1865年には、サラサーテの伴奏者を買って出て、それ以後も事ある毎に共演を重ねて親交を温めました。本CDに収録されたヴァイオリン協奏曲第3番と《序奏とロンド・カプリチオーソ》も、そんなサラサーテに提供した作品です。

作曲順でいけば、本CDの中では、最後に演奏される《序奏とロンド・カプリチオーソ》が、一番早期に作曲された作品です。サン=サーンスは、1859年までにヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章を書き上げており、後に続く楽章をくっつけないまま、単楽章構成の作品として出版してしまいました。しかし、続きの楽章を作曲する気が全くなかったわけではなく、ここで演奏される《序奏とロンド・カプリチオーソ》が、そのヴァイオリン協奏曲第1番の終楽章として構想されていました。《序奏とロンド・カプリチオーソ》はヴァイオリン協奏曲第1番と一緒に1864年4月4日にシャンゼリゼでサラサーテの独奏とサン=サーンス自身の指揮により初演されていますが、こうした事実からも、この曲の成立に関わる裏事情が透けて見えそうです。おそらく、ヴァイオリン協奏曲第1番を第1楽章でお預けになっていたサラサーテが、《序奏とロンド・カプリチオーソ》の総譜を見せられて、協奏曲の緩徐楽章の完成を待つよりも、完成した二つの楽章を演奏したいと言い出したのでしょう。その要求を飲むために、出来上がっていたヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章と《序奏とロンド・カプリチオーソ》をそれぞれ独立させて別々の曲として演奏し、別々の楽譜でサラサーテに献呈するという手段を取らざるを得なかった考えられます。ちなみに、単一楽章になったヴァイオリン協奏曲第1番は、1868年に出版され、サン=サーンスのお気に入りの曲の一つになりました。また、《序奏とロンド・カプリチオーソ》は、オーケストラ伴奏のオリジナルの譜面を出版する前に、ジョルジュ・ビゼーがヴァイオリンとピアノで演奏できるように編曲しています。ビゼーを尊敬していたサン=サーンスは、ビゼーが編曲してくれたことを生涯の誇りとし、1875年までオリジナルのオーケストラ版の楽譜を出版しませんでした。
楽曲の構成としては、メランコリックな「序奏」と自由奔放な本編の「ロンド・カプリチオーソ」で上手くコントラストを作っています。序奏から「カプリチオーソ」(「気まぐれな」の意)のニュアンスが紛れ込んでいますが、伸縮自在なヴァイオリン独奏の間の取り方ひとつで、ヴァイオリン独奏者の演奏者としての勘の良さと音の美しさが審査されることになります。本編の「ロンド・カプリチオーソ」では被献呈者のサラサーテの手の小ささに配慮して、ニコロ・パガニーニのような幅広い跳躍音程は控えめにされていますが、目の詰んだ分散和音、リコシェ(弓を細かく跳ねさせる奏法)や重音といった奏法をふんだんに織り交ぜることで、ヴァイオリン独奏の技巧的な聴かせどころを凝縮したような演奏効果の高い独奏パートが出来上がっています。また、伴奏も静観を決め込んだり煽ったり合いの手を加えたりと、目まぐるしい場面転換に合わせて対応を変え、気の抜けない作品になっています。

ヴァイオリン協奏曲第3番は、3曲あるサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲のトリを飾る作品。完成した年の10月15日にハンブルクに於いて、アドルフ・ゲオルク・ベーアの指揮する地元の楽友協会のオーケストラをバックにサラサーテのヴァイオリンで初演されました。本CDの解説では、1881年1月2日にパリのシャトレ座で初演されたと書いてありますが、これはエドゥアール・コロンヌの指揮する彼のオーケストラをバックにサラサーテの独奏で行われたフランス初演のことかと思います。
作品はヴァイオリン協奏曲第1番のような単一楽章ではなく、従来通りの三楽章構成。各楽章のテンポの設定も急-緩-急と伝統的な配列です。第1楽章も、伝統的な協奏風ソナタ形式から管弦楽による提示部を省いた当世風の構成です。冒頭に出てくるモノローグ風のパッセージは、この主題が回帰するたびに出てきて場面転換の役割を果たします。第2楽章は三部形式で、ゆったりとした舟歌。第3楽章は序奏付きのロンド形式をとります。ロ短調という調性も、ヴァイオリン協奏曲としては鳴りがいいと歓迎されるニ長調の平行調です。作品の仕上がりも、サラサーテが気に入るようにヴァイオリン独奏がよく映える技巧的なパッセージをちりばめながら、管弦楽法の名手でもあったサン=サーンスならではの多彩なオーケストレーションで独奏を飾り立てています。サラサーテはこの曲を大変気に入り、初演後もいたるところでこの曲を演目に加えていました。特に第3楽章がお気に入りだったらしく、1912年にヴァイオリンとピアノ用にこの楽章を編曲し、「演奏会用アレグロ」と題して1912年のパリ音楽院の卒業試験曲として提供しています。

《ハバネラ》(フランス風には「アヴァネーズ」)は、曲のタイトルからも分かる通り、舞曲のハバネラを意識した作品です。この舞曲としてのハバネラのリズムは、スペイン人作曲家のセバスティアン・イラディエルが愛用し、歌曲でヒットを飛ばしていたことから、特にフランスではスペイン情緒を演出する用途で愛好されていました。その代表的な例として、ビゼーの《カルメン》の〈恋は野の鳥〉と共に、この《ハバネラ》が引き合いに出されますが、サン=サーンスとしては、スペイン情緒を醸し出すという流行路線に乗ってこのリズムを援用したものではなさそうです。
ハバネラについては、本CDの解説で「もともとイギリスのカントリーダンスがスペインを経由してキューバに伝えられ、そこで作り変えられたゆるやかな2拍子系の舞曲の一種」と簡単に解説が加えられていますが、これを補足すると、リズムの特徴は、例えば四分の二拍子の前拍を八分音符三つの三連符(または付点八分音符と十六分音符をくっつけたシンコペーション・リズム)、後拍を八分音符二つに分けることで得られると説明できます。また、キューバに伝播したルートとしては、大まかに、説明にあるようなスペインを経由するルートと、フランス植民地を経てキューバに伝わったというルートが考えられます。17世紀イギリスで庶民の群舞として始まったカントリー・ダンスは、17世紀末にフランスで「コントルダンス」として受容され、前者のルートに従えば、これがスペインを経てスペインの植民地であったキューバに伝わったということになります。後者のルートに従えば、まずフランス本国で流行したコントルダンスが、フランス領サン・ドマングに渡ります。このサン・ドマングで奴隷解放の革命が起きてハイチが建国されると、そこに住んでいたフランスの元農園主や革命政府と袂を分かった奴隷たちがキューバに逃れるという形でコントルダンスがキューバに齎されることになります。どちらのルートで伝播したのか、正しいところは分かりませんが、キューバで変容したコントルダンスは、ハバネラとしてスペインの船乗りを介して逆輸入され、18世紀後半にヨーロッパで大流行しました。
この《ハバネラ》は、サン=サーンスが1885年から北フランスを通ってベルギー経由でドイツに演奏旅行に出かけた際、大雨で足止めを食らったブレストの宿屋で着想したもので、題材にスペインは関係ありません。ジェームズ・ハーディングによるサン=サーンスの評伝によれば、この宿屋の暖炉で木の爆ぜる音を耳にして、それがメロディのインスピレーションに繋がったとされています。この時、共演者として同行していたのが、キューバはハバナ出身のヴァイオリン奏者、ラファエル・ディアズ・アルベルティーニで、そのアルベルティーニに旅の思い出としてヴァイオリンとピアノのための作品として仕上げたのが、この《ハバネラ》でした。出来上がった作品は、1887年にデュラン社で出版されることになりましたが、デュラン社は出版に際してオーケストラ伴奏版の制作もサン=サーンスに所望し、ここで演奏されるオーケストラ伴奏版も作られました。献呈先がサラサーテではなく、ハバナ生まれのアルベルティーニに宛てられた点からも、《ハバネラ》をスペイン舞曲ではなく、ハバナ由来と見做すサン=サーンスの意図が伺えます。
作品の構成としても、主要主題をハバネラのリズムに即したものにしながら、しばしばハバネラと関係のない技巧的なフレーズで音楽の流れに変化を作っています。後半ではハバネラのリズムに似せたシンコペーション・リズムの組み合わせによるハバネラにリズムではない四拍子のモチーフまで投入して聴き手を攪乱しています。ハバネラのリズムは作品を構成するモチーフの一つに過ぎず、「ハバネラ」という名称も、アルベルティーニの出身地と用いたモチーフで掛け合わせたサン=サーンスなりの洒落のつもりなのかもしれません。
なお、1894年1月7日にシャトレ座で行われた初演ではマルタン=ピエール・マルシックがコロンヌの指揮するオーケストラの伴奏で独奏を担当することになりました。アルベルティーニはパリ音楽院の教員でしたが、マルシックのほうが職階が高かったので、マルシックが初演の独奏を担当することになったのでしょう。アルベルティーニは1888年10月26日にコブレンツでこの曲を弾いています。

本CDで演奏するダイアナ湯川は、住友銀行の元重役で住銀総合リースの副社長を務めた湯川昭久とイギリス人バレエ・ダンサーのスザンヌ・ベイリーの間に次女として生まれたヴァイオリン奏者(以下「ダイアナ」)です。父親は1985年の日本航空123便墜落事故の犠牲者になり、その事故のおよそ一ヶ月後に生まれたのだとか。その父の遺志で音楽の道に進んだことが2000年リリースのデビュー・アルバムの『天使のカンパネラ』に記されていますが、このCDのブックレットにもそのことが触れられています。デビュー・アルバムをリリースする一年前には、来日して父親の遺体が見つかった地点で坂本九(彼も墜落事故の犠牲者)の持ち歌である《上を向いて歩こう》を弾き、それがニュースとして報道されたこともありました。
飛行機事故の遺児という出自は、彼女の録音デビューの強みになりましたが、この出自については、アルバムに記載されない遺恨があります。ダイアナの母スザンヌは湯川の本妻ではなく、湯川の親族として認定されるためにイギリスの高等法院に申し立てをしてDNA鑑定を受け、2000年に湯川の実子と認定されています。この認定をもとに2001年に日本航空に対して遺族補償の訴訟を起こし、日本航空は遺族認定をして賠償金の支払いに応じました。その後は、母スザンヌが娘たち(ダイアナには5歳上の姉キャシーがおり、ピアノ奏者として活動)の戸籍の父親の欄に「湯川昭久」の名前を記載すべく奔走しているとのことです。この録音が行われた時点では、DNA鑑定の結果から実子認定は下りていますが、賠償金の請求訴訟はまだしていませんでした。
なにはともあれ、ダイアナは5歳からヴァイオリンを始め、ロンドン王立音楽院のロドニー・フレンドに弟子入りして腕を磨き、ザルツブルクでルッジェーロ・リッチの指導も受けているとのこと。ブックレットのプロフィールには大和日英基金の奨学金を得たり、世界芸術文化振興協会の奨学生になったり、(おそらくBBCの)ミュージック・アワードを二年連続最優秀賞受賞したりといったことが書かれていますが、国際コンクールの入賞歴はありません。

指揮を務めるルウェリンは南ウェールズのテンビー生まれの指揮者。ノーマン・デル・マーの門下で、タングルウッド音楽祭でレナード・バーンスタインらの指導も受けています。1990年にBBCウェールズ交響楽団の副指揮者となり、1995年にロイヤル・フランドル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に転任して1998年まで務めています。解説書では世界各国のオーケストラに客演しているように書かれていますが、本録音が行われたころは、フリーランスの指揮者として地歩を固めていた時だったのでしょう。

本録音の出来栄えは、ざっと聴いた感じでは、大きな弾き損じもなく、作品の音の並びを実音として確認する分には問題はありません。ただ、時折怪しくなる音程や、早いパッセージでの余裕のなさは、技巧的な華奢な印象を与えます。技巧的な華奢さは解釈面にも影響し、優等生的というか無難な演奏に終始している感があります。
協奏曲第3番の第1楽章出だしのモノローグは、お客を惹き付けるにはあっさりしすぎ、後に続く複雑なパッセージをうまくこなすことで余裕がないといった風。このモノローグが再登場するたびに、弾き方に癖をつけようとしますが、場当たり的で、楽章全体の演奏設計の詰めが甘いように感じられます。
第2楽章はメロディ・ラインを目いっぱい歌うことに集中するあまり、力の入った表現が一本調子で続くことになります。途中でオーボエがフレーズに膨らみを持たせてニュアンスをつけることを示唆してくれていますが、あまり参考にできていない様子。
第3楽章は、序奏部分こそ調子よく弾けるものの、主部は目の前の難所の処理に手一杯で、山場づくりはオーケストラ任せになります。全体の構成を自分なりに構築するに至っていない、生煮えの演奏といえるでしょう。
《ハバネラ》と《序奏とロンド・カプリチオーソ》の2曲も、竜頭蛇尾の出来。《ハバネラ》では、"lusinghiero"(魅惑的に)の指示の入った冒頭部が少々コケットリー不足とはいえ15歳の少女にそれを求めるのは酷。ただしハバネラのリズムを援用した粘り気のあるフレーズと技巧的なパッセージの対比がうまくいっておらず、技巧的なパッセージでニュアンスをつける余裕がなくなる点に、天才少女として売り出す上での限界を感じます。
《序奏とロンド・カプリチオーソ》も、年頃のヴァイオリン学習者としては上手く弾けている部類に入りますが、往年のマイケル・レビンのような聴かせ所のツボを心得た上手さからは距離を感じます。「カプリチオーソ」の気まぐれさに表現面で対応できていない幼さが残り、曲が進むにつれて音の扱いが荒くなります。
伴奏は、総じて手堅いもの。協奏曲の終楽章のロンド主題提示部で、管楽器が平べったく和音を鳴らしているのが一風変わっていますが、メリハリをつけてしっかりダイアナをサポートしています。独奏の演奏内容から、ダイアナがオーケストラと一緒にひくので精いっぱいと踏んでか、積極的に仕掛ける共演者というよりは、後見人のようなポジションに立っていますが、そのポジショニング的意識を問題にしない限りは、落ち度はないといえるでしょう。

全体的な印象としては、国際コンクール予選の録音審査のデモ・テープのレベルです。デビュー・アルバムは小品集だったので、かわいいお嬢さんが器用にヴァイオリンを弾いているといったところで微笑ましく受け取られたでしょうが、協奏曲の録音ともなると、楽曲全体を俯瞰したうえで自分のビジョンを演奏に投影する確かな構成力と、それを支えるテクニック、ひいてはオーケストラと互角に渡り合えるだけの強みを必要とします。このサン=サーンスでは、楽譜の実音化という点では及第点ですが、どのように表現したかったかが見えてきません。これはクラシック音楽の演奏家としては、結構深刻な問題です。
この録音によって、ダイアナは演奏家として岐路に立たされているといえるでしょう。進む道は、おそらく本人としてはこの業界から足を洗うことなど考えていないでしょうから、2つの道に絞られます。一つは、クラシック音楽のフィールドで武者修行をする研鑽の道。これは、いい先生のもとでトレーニングをしたり、いろんなアーティストと共演したりして表現上のヒントや刺激を貰って一皮むけるということです。もう一つの道は、ヴァイオリンを器用に弾けるという「特技」を生かしたクロスオーヴァーの道です。この道には、クライズラー&カンパニーとか、ヴァネッサ=メイといった先人がいます。このアルバム以降、ダイアナはめぼしい録音をリリースしていないようですが、果たしてどっちの道を選択しているでしょうか。3枚目のアルバムが出るころには、おそらくその答えが出ていると思いますが、個人的には前者の道には進まないのではないかと思っています。



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