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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Richard Strauss: Vier letzte Lieder, AV150
Elisabeth Schwarzkopf (S)
Philharmonia Orchestra / Otto Ackermann
(Rec. 25 September 1953, Watford Town Hall, London)
◈Richard Strauss: 'Morgen mittag um elf' from "Capriccio", op.85
Elisabeth Schwarzkopf (S)
Philharmonia Orchestra / Otto Ackermann
(Rec. 8 September 1954, Watford Town Hall, London)



本CDは、リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss, 1864-1949)の《4つの最後の歌》(1948年作)と歌劇《カプリッチョ》(1941年作)から終幕の場面を収録しています。

《4つの最後の歌》は、〈春〉、〈九月〉、〈眠りにつこうとして〉、〈夕映えの中で〉の4曲からなります。
第1曲目の〈春〉は7月、第2曲目の〈九月〉は9月、第3曲目の〈眠りにつこうとして〉は8月、〈夕映えの中で〉は5月に作曲されています。〈春〉から〈眠りにつこうとして〉までの3曲は、ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877-1962)の詩を用い、〈夕映えの中で〉は、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(Joseph von Eichendorff, 1788-1857)の詩を用いています。
1950年5月22日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、キルステン・フラグスタートの独唱とヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮するフィルハーモニア管弦楽団の伴奏で初演されましたが、このときは、〈眠りにつこうとして〉、〈九月〉、〈春〉、〈夕映えの中で〉という順番で演奏されたとのことです。その後、ブージー&ホークス社が、この4曲を出版したとき、現行の曲順に並べ替えられました。

《カプリッチョ》は、リヒャルト・シュトラウスの弟子に当たるクレメンス・クラウス(Clemens Krauss, 1893-1954)が台本を書いたオペラで、作曲者本人が、クラウスに「この作品こそが、私のオペラの締めくくりといえないか?私たちは、結局一つの遺書を残せばいい。」と手紙を書いたように、オペラにおけるリヒャルト・シュトラウスの打ち止めの作品となります。
詩人のオリヴィエと作曲家のフラマンが伯爵令嬢マドレーヌを巡って愛を競うという筋書きですが、リヒャルト・シュトラウスの真意は、歌曲において詩と音楽のどちらに優位性があるのかを問うことにあったようです。
図らずも、オリヴィエとフラマンとの約束をかちあわせることになってしまったマドレーヌは、どちらをとればいいか困惑したままフィナーレを迎えてしまいますが、このCDで歌われるのは、まさにその結論の出ない悩みを吐露するフィナーレの部分です。

本CDに収録されているのは、エリザベート・シュヴァルツコップ(Elisabeth Schwarzkopf, 1915-2006)の独唱とオットー・アッカーマン(Otto Ackermann, 1909-1960)の指揮するフィルハーモニア管弦楽団の演奏です。
シュヴァルツコップは、オペラ歌手としてだけでなく、ドイツ歌曲の解釈者として名声を博した往年のドイツ人ソプラノ歌手です。オペラではリヒャルト・シュトラウスの《薔薇の騎士》の元帥夫人役を当たり役にし、微妙な心の機微を歌い上げることに定評がありました。
《4つの最後の歌》について、シュヴァルツコップは、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮するフィルハーモニア管弦楽団と1956年に再録音し、さらにジョージ・セルの指揮するベルリン放送交響楽団とまた録音しています。
本録音で指揮を担当するアッカーマンは、スイスの指揮者として紹介されますが、ルーマニア生まれの人です。
生地ブカレストの音楽院からベルリン高等音楽院に留学し、フランツ・シュレーカー門下のヴァルター・グマインドルの下で研鑽を積みました。
フランツ・レハールとの交流でも知られるようにウィンナ・オペレッタの演奏に一家言を持っており、シュヴァルツコップとはレハールのオペレッタの録音も行っています。

本録音の売りは、若きシュヴァルツコップの初々しい歌唱を聴くところにあります。
この録音を果たした頃のシュヴァルツコップは、38歳になり、リヒャルト・シュトラウスの《薔薇の騎士》の元帥夫人役をレパートリーに加え始めた時期に当たります。つまり、斜陽の残照の味わいを噛みしめ始めた時期の録音であり、老いの諦観に同調するような説得力は、シュヴァルツコップの歌唱自体には、十分に持ち合わせていません。
しかし、そこにウィンナ・オペレッタを熟知したアッカーマンが伴奏をつけることにより、凛としたシュヴァルツコップの歌唱に退廃的な美しさが添えられることになり、絶妙な塩梅の演奏に仕上がっています。
〈春〉の鬱屈を貯め込んだようなオーケストラの序奏は、シュヴァルツコップの歌唱とコントラストを作り上げ、シュヴァルツコップの登場が、曇天に差し込む一条の光のように聴こえます。
綿密な解釈で歌うシュヴァルツコップは、ところかまわず声高に美声を響かせるのではなく、アッカーマンの伴奏にうまく溶け込みながら、しっとりと歌い上げています。
晩年のリヒャルト・シュトラウスは、殊更自分の人生を晩秋になぞらえて悲嘆に暮れるようなことはせず、「手の運動になる」と称して、飄々と作曲していたのだとか。この《4つの最後の歌》にしても、この世への告別を意味して書き上げたというよりは、詩の持つ抒情に興味を持って、表現のネタにしたという趣が強いように思われます。
ここでのシュヴァルツコップの歌唱は、人生への告別という意味合いをアッカーマンに任せ、自分の任務として美しく歌い上げることで、リヒャルト・シュトラウスの意図を直接的に表現し得たと言えます。
アッカーマンも、作曲者の人生の終焉をどこまで自覚的に表現していたかは分かりませんが、その甘く美しい伴奏に一抹の侘しさが宿るところに、深い味わいがあります。
〈夕映えの中で〉の終盤で、「ひょっとして、これが死なのだろうか?」とシュヴァルツコップが歌った後に、リヒャルト・シュトラウスは自作の交響詩《死と変容》の昇天のテーマを引用していますが、そのあたりの後ろ髪を引くような情感は、絶品です。

《カプリッチョ》の終幕の場では、利発なシュヴァルツコップの歌唱もさることながら、アッカーマンの伴奏が当意即妙。出しゃばったところのない伴奏ですが、フィルハーモニア管弦楽団の響きが陶酔的で色っぽく、このオペラの伯爵令嬢の容姿の美しさを十分に想像させてくれます。

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