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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Joseph Haydn: Symphony No.94 in G major, Hob.I-94 "Surprise"
◈Joseph Haydn: Symphony No.101 in D major, Hob.I-101 "The Clock"
Wiener Philharmoniker / Pierre Monteux
(Rec. April 1959, Sofiensaal, Wien)
◈Johannes Brahms: Variation on a Theme by Joseph Haydn, op.56a
London Symphony Orchestra / Pierre Monteux
(Rec. June 1958, Kingsway Hall, London)



ヨーゼフ・ハイドン(Joseph Haydn, 1732-1809)の《驚愕》(1791年作)と《時計》(1793-1794年作)の2曲と、ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)による《ハイドンの主題による変奏曲とフーガ》(1873年作)のカップリングです。
ハイドンは、エステルハージ家の宮廷楽長を務めたオーストリアの作曲家です。生涯に104曲の交響曲を作曲しましたが、第93番以降の交響曲は、イギリスで成功したドイツの興行師のヨハン・ペーター・ザロモンの依頼で書き「ザロモン・セット」と呼ばれています。ここで演奏される交響曲につけられている「驚愕」や「時計」といったタイトルは、それぞれの第2楽章の趣向からつけられた渾名で、ハイドン自身は命名に関与していません。また、ドイツでは「驚愕」の代わりに「ティンパニ打撃つき」(mit dem Paukenschlag)という副題をつけることもあります。
ハイドンの交響曲は、構成の明快さと創意に富んだ趣向に魅力がありますが、その魅力を引き出すためには、アンサンブルの洗練が求められます。聴衆にとっては、ある意味オーケストラの精度を知る試金石となる音楽であり、オーケストラにとっては自分たちのアンサンブルの点検とブラッシュ・アップになります。指揮者は、均整の向こう側にある作品のユーモアを描き出すことが求められます。19世紀以降の交響曲のように情念に訴えかける方法では攻略できないところが指揮者にとっての悩ましいところであり、そのセンスが聴き手の楽しみになります。
ブラームスの作品は、「ハイドンの主題」を用いているということで、ハイドンと類縁があると見做されてのカップリング。ブラームスが参照したのは、ハイドン作と言われる管楽合奏のためのディヴェルティメント(Hob.II-46)の第2楽章〈聖アントニウスのコラール〉でした。このディヴェルティメントは、ブラームスの死後、疑作とされたうえに、コラール主題自体がハイドンの作った主題ではないことが指摘されるようになりましたが、今日でも慣例的に「ハイドンの主題による変奏曲とフーガ」と呼ばれています。

本CDの演目は、ピエール・モントゥー(Pierre Monteux, 1875-1964)の指揮で、ハイドンの2曲をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏し、ブラームスの作品をロンドン交響楽団が演奏しています。
指揮を執るモントゥーは、ジャック・ティボーと肩を並べるヴァイオリンの名手でしたが、パリ音楽院に在学中はヴァイオリンだけでなく、シャルル・ルヌヴーに作曲を、アルベール・ラヴィニャックに和声と対位法を学び、広範な音楽の知識を吸収していました。またアルフレッド・コルトーらとアンサンブルを作ったり、バンジャマン・ゴダールやカミーユ・サン=サーンスらと室内楽に興じたりしています。音楽院を卒業後はヴィオラ弾きとしてコンセール・コロンヌやパリ=オペラ座に参加していましたが、1906年に指揮者に転身し、1911年からバレエ・リュスの専属指揮者として頭角を現すようになりました。同じ頃にはコンセール・ベルリオーズを結成しています。第一次世界大戦の勃発で兵役に服した後は、フランス国内に拘らない八面六臂の活躍を見せ、メトロポリタン歌劇場のフランス・オペラ担当を務めたり、ボストン交響楽団の音楽監督に就任したり、パリ交響楽団やサンフランシスコ交響楽団の常任指揮者を務めたりしています。また、1943年にメイン州ハンコックに居を構えてからは、指揮者養成学校を開校し、シャルル・ブリュック、ネヴィル・マリナー、アンドレ・プレヴィンやロリン・マゼールといった後進を育成しました。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したハイドンの交響曲2曲は、80代のお爺さんの演奏とは思えない溌剌とした演奏。多少フレージングの統一がとれないところもあり、《時計》の第4楽章の冒頭でちょっと気が緩んで乱れが生じたりしていますが、スピーディーな部分では豪快かつノリのいい演奏で細かな欠点を吹き飛ばしています。名門オーケストラを自由に振る舞わせているようでいて、要所要所ではアンサンブルを引き締めているので、演奏は散漫にならず、常に生き生きとしています。
ブラームスはモントゥーにとって特別な作曲家でした。18歳の時、ブラームスの目の前で彼の弦楽四重奏曲の演奏にヴィオラで参加しており、彼の謦咳に接したことが、彼の終生の自慢でした。亡くなる時には《ドイツ・レクイエム》のポケット・スコアを携えていたのだとか。この《ハイドンの主題による変奏曲とフーガ》が録音された頃、ロンドン交響楽団は内紛で分裂し、若手の団員を募集してアンサンブルの立て直しを図っていた頃に当たります。モントゥーは、ヤッシャ・ホーレンシュタインらと共に指揮者陣に加わってオーケストラを鍛え上げ、1961年に改めて首席指揮者に就任した時には、このオーケストラの黄金時代になっていました。この演奏は、テンポは速めですがせかせかした感じはなく、元気いっぱいな鳴りっぷりに幸福感を感じさせる出来栄え。フットワークは軽くても、音楽の運びは軽率にならず、各楽器の絶妙なブレンドは、オーケストラの再建が成功していることを示しています。

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