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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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CD1:
Carl Nielsen: Wind Quintet, op.43
Royal Danish Orchestra Wind Quintet
{Holger Gilbert-Jespersen (Fl.), Svend Christian Felumb (Ob.),
Aage Oxenvad (Cl.), Hans Sørensen (Hrn.), Knud Lassen (Fg.)}
(Rec. 24-25 January 1936)
Carl Nielsen: Serenata in vano
Aage Oxenvad (Cl.)
Hans Sørensen (Hrn.)
Knud Lassen (Fg.)
Louis Jensen (Vc.)
Louis Hegner (Cb.)
(Rec. 2 Februuary 1937)
Carl Nielsen: 2 Fantasy Piece for Oboe and Piano, op.2
Svend Christian Felumb (Ob.)
Christian Christiansen (Pf.)
(Rec. 2 February 1937)
Carl Nielsen: String Quartet No.3 in E flat major, op.14
Erling Bloch Quartet
{Erling Bloch (1st Vn.), Lavard Friisholm (2nd Vn.),
Hans Kassow (Vla.), Toben Anton Svendsen (Vc.)}
(Rec. September 1946)

CD2:
Carl Nielsen: String Quartet No.1 in G minor, op.13
The Koppel Quartet
{Else Marie Bruun (1st Vn.), Andreas Thyregod (2nd Vn.),
Julius Koppel (Vla.), Jarl Hansen (Vc.)}
(Rec. 12-13 January 1954)
Carl Nielsen: String Quartet No.2 in F minor, op.5
The Koppel Quartet
{Else Marie Bruun (1st Vn.), Andreas Thyregod (2nd Vn.),
Julius Koppel (Vla.), Jarl Hansen (Vc.)}
(Rec. 14-15 December 1953)
Carl Nielsen: String Quartet No.4 in F major, op.44
The Koppel Quartet
{Else Marie Bruun (1st Vn.), Andreas Thyregod (2nd Vn.),
Julius Koppel (Vla.), Jarl Hansen (Vc.)}
(Rec. 10 June 1954)

CD3:
Carl Nielsen (arr. Emil Telmányi): Romance, op.2-1
Emil Termányi (Vn.)
Gerald Moore (Pf.)
(Rec. March 1935)
Carl Nielsen: Violin Sonata No.1 in A major, op.9
Emil Termányi (Vn.)
Christian Christiansen (Pf.)
(Rec. February 1936)
Carl Nielsen: Violin Sonata No.2 in G minor, op.35
Emil Termányi (Vn.)
Victor Schiøler (Pf.)
(Rec. 4 May 1954)
Carl Nielsen: Prelude and Theme with Variation for Violin Solo, op.48
Kai Laursen (Vn.)
(Rec. Spring 1958)







デンマークのダナコード・レーベルが、自国の国民的作曲家であるカール・ニールセン(Carl Nielsen, 1865-1931)の作品集を、作曲者とゆかりのある演奏者の録音を中心に編んで販売していますが、この3枚組のCDセットは、その第4集に当たります。
収録されている演目は、以下の通り。
CD1
▤ 木管五重奏曲, op.43
▤ 甲斐なきセレナード
▤ オーボエとピアノの為の2つの幻想的小品, op.2
▤ 弦楽四重奏曲第3番 変ホ長調, op.14

CD2
▤ 弦楽四重奏曲第1番 ト短調, op.13
▤ 弦楽四重奏曲第2番 ヘ短調, op.5
▤ 弦楽四重奏曲第4番 ヘ長調, op.44

CD3 
▤ ロマンス, op.2-1 (エミール・テルマーニ編)
▤ ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調, op.9
▤ ヴァイオリン・ソナタ第2番, ト短調, op.35
▤ ヴァイオリン独奏の為の前奏曲、主題と変奏, op.48
最初に収録されている木管五重奏曲は1922年の作。ピアニストのクリスティアン・クリスティアンセン(Christian Christiansen, 1884-1955)を通じてコペンハーゲン管楽五重奏団(Copenhagen Winds Quintet)を知ったニールセンは、彼らの演奏するヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品に感銘を受け、この曲を作って、団員達と親交を深めました。完成した年の4月30日にはスウェーデンはイェーテボリのヘルマン・マンハイマー家で試演が行われ、同年10月9日コペンハーゲンに於いてコペンハーゲン木管五重奏団の演奏で初演されました。
この時の五重奏団は、フルートのパウル・ヘーゲマンのフルート、オーボエのスヴェン・クリスチャン・フェロム(Svend Christian Felumb, 1898-1972)、オーエ・オクセンヴァド(Aage Oxenvad, 1884-1944)、ホルンのハンス・セーレンセン(Hans Sørensen, 1893-1944)、ファゴットのクヌード・ラッセン(Knud Lassen, 1873-1938)という陣営。
ヘーゲマンはコペンハーゲンに生まれ、コペンハーゲンに没したフルート奏者で、本業は実業家です。
アドルフ・エヌバンとポール・タファネルに学び、1929年までこの五重奏団に参加していました。
フェロムもコペンハーゲンに生まれ、コペンハーゲンに没した人で、パリに留学してルイ・ブルーゼにオーボエを学んでいます。1924年からデンマーク王立管弦楽団のオーボエ奏者になりましたが、1932年からチボリ公演のコンサートで指揮者としてデビューし、次第に指揮者としての活動にシフトしていきました。
オクセンヴァドは、ゲットループに生まれコペンハーゲンで急死したクラリネット奏者。カール・スキャーネとリヒャルト・ミュールフェルトに師事し、1909年からデンマーク王立管弦楽団のクラリネット奏者を務めていました。
セーレンセンはヴィルヘルム・プールセン門下のホルン奏者で、1916年からデンマーク王立管弦楽団のホルン奏者を務めていたとのこと。ラッセンも1896年から亡くなるまでデンマーク王立管弦楽団のファゴット奏者を務めていた名手です。
ニールセンは、これらのメンバーの各人のために5曲の協奏曲を書くことを決め、1926年にヘーゲマン、1928年にオクセンヴァドのためにそれぞれ協奏曲を書き上げていますが、あとの3曲はニールセンが体調を崩したために作曲されませんでした。
また、ヘーゲマンはニールセンの協奏曲を充分に吹きこなせなかったらしく、初演を、同じくエヌバン門下だったホルゲル・ジルベルト=イェスペルセン(Holger Gilbert-Jespersen, 1890-1975)に託しており、ヘーゲマンが五重奏団を脱退してからはジルベルト=イェスペルセンがその穴を埋めました。
ジルベルト=イェスペルセンはオアドルプに生まれホルベックで没した人。エヌバンの他にフィリップ・ゴーベールにも学んだ人で、1927年から1953年ごろまでデンマーク王立管弦楽団に在籍していました。
ヘーゲマンの脱退とジルベルト=イェスペルセンの加入で、五重奏団の団員全てがデンマーク王立管弦楽団の在籍者ということになり、本CDでは「デンマーク王立管弦楽団管楽五重奏団」(Royal Danish Orchestra Wind Quintet)と表記されています。

ニールセンの木管五重奏曲は、この五重奏団の演奏を想定して書かれた作品だけに、手中に収めた練達の演奏が聴けます。曲の最初のあたりこそ、ややホルンが上ずっているように思えますが、次第に響きがこなれてきて、美しい演奏になります。第2楽章のメヌエットもウィットが効いていて、この曲を楽譜通りに演奏する以上の余裕があります。
第3楽章に入ってもアンサンブルは崩れず、それぞれの楽器の華やかな共演といった風情で最後まで飽きさせずに聴かせてくれます。1930年代の演奏とはいえ、音質の古めかしさを除けば、充分今日のアンサンブルに伍することのできる演奏でしょう。

《甲斐なきセレナーデ》は、1914年に作曲された作品。この頃、コペンハーゲン王立歌劇場―デンマーク王立管弦楽団が座付きオーケストラを務める歌劇場―はゲオルク・ヘーベリが首席指揮者を務めていましたが、ニールセンはこのオーケストラの団員から副指揮者に昇格しており、4曲目の交響曲も発表して作曲家としての名声も確立していました。そのオーケストラで地方公演をすることになり、オーケストラ側が急遽室内楽の出し物としてニールセンに一曲作るよう依頼してきました。
こうして作られた《甲斐なきセレナード》はその年の6月の地方巡業で、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの七重奏曲の埋め草として演奏されました。その時のメンバーは、オクセンヴァドの師匠であるスキャーネのクラリネット、カルロス・エスペルセンのファゴット、ピーター・ロバートソンのホルン、ルドルフ・ディーツマンのチェロ、そしてルドヴィク・ヘウナーのコントラバスという面子です。巡業の後、改めて1915年4月13日に、コペンハーゲンのオッド・フェロー・マンションのホールでニコライ・ネアルンドのクラリネット、アウグスト・ダヴィットのファゴット、セーレンセンのホルン、カール・メイヤーのチェロ、アントン・ペーターセンのコントラバスにより演奏されました。楽器の編成上、やや陰鬱な響きの為、コペンハーゲンでの演奏では賛否両論となりましたが、この時期のニールセンの作風の確立に向けた試行錯誤を知る意味でも興味深い作品といえます。
本CDではコペンハーゲン木管五重奏団からオクセンヴァド、ラッセン、セーレンセンが参加し、ルイ・イェンセン(Louis Jensen, 1882-1955)のチェロ、ルイ・ヘウナー(Louis Hegner, 1876-1968)のコントラバスを加えて演奏されています。
イェンセンはコペンハーゲンに生まれ、トストルプで没したデンマークのチェリスト。エルンスト・ヘーベリにチェロを学び、1906年から1912年までデンマーク王立管弦楽団に在籍していました。その後はアグネス・アドラーやペデル・メラーらとピアノ・トリオを結成したり、弦楽四重奏団を結成したりと、室内楽の分野で活躍しました。ルイ・ヘウナーは、ルドヴィク・ヘウナーの子息にあたります。

その演奏は、ややコントラバスに音程の甘さがあるものの、管楽器の三人は常設のアンサンブル・メンバーだっただけあって、息がぴったり合い、洗練された演奏を披露しています。チェロのイェンセンも管楽合奏にぴったりと寄り添いながら、曲のしみじみとした味わいを醸し出すのに一役買っています。

オーボエとピアノの為の2つの幻想的小品は、1889年に作曲されたもの。〈ロマンス〉と〈フモレスケ〉の2曲からなります。
作曲家として駆け出しの頃のニールセンは、デンマーク王立管弦楽団の団員としてヨハン・スヴェンセンに私淑しており、まだまだメロディアスな作品を書いていました。
この作品は、なかなか初演の機会には恵まれず、1891年3月16日にコペンハーゲンでオリヴォ・クラウゼのオーボエとヴィクトー・ベンディクスのピアノでようやく初演されました。
ニールセンはオーボエの音色をこよなく愛していましたが、オーボエの曲を作曲する機会には恵まれず、目下のところ、この2曲のみが知られています。
本CDに収録されている演奏は、フェロムのオーボエとクリスティアンセンのピアノによるもの。
クリスティアンセンはコペンハーゲンとベルリンで学んだピアノ奏者で、1906年にコペンハーゲンでデビューしています。1947年から亡くなる前年までデンマーク王立音楽院の院長を務めたデンマーク音楽界の大立者でもありました。コペンハーゲン木管五重奏団とも度々共演しており、ニールセンとコペンハーゲン木管五重奏団を引き合わせたのは、このクリスティアンセンでした。

フェロムとの共演は気心の知れた仲ということもあって、魚心に水心といった風な絶妙のアンサンブルを聴かせます。
〈ロマンス〉の甘いメロディを格調高く歌わせるフェロムに、夢のような煌びやかさを、オーボエの邪魔にならないように添えるクリスティアンセンのセンスが聴きどころですが、〈フモレスケ〉のちょっとおどけたような表現の妙にも、二人のアンサンブルの卓越が感じられます。

ニールセンは弦楽四重奏曲を4曲残し、いずれも4楽章構成をとります。本CDセットの一枚目に収録されている第3番は、1897年から翌年にかけて作られた作品。
この作品を一旦書き上げたニールセンは、仕上げた第3楽章と終楽章を浄書屋のところに楽譜を持っていく途上で馬車のトラブルの現場に遭遇し、その手助けをしているうちに楽譜を紛失してしまいました。このため、ニールセンは記憶を頼りに書きなおしたとのこと。
出来上がった作品はノルウェーの作曲家であるエドヴァルド・グリーグに捧げられました。
未だヨハン・スヴェンセンの影響下にあるものの、引き締まった筋肉を思わせる力強さがあり、後年の交響曲第2番の登場を期待させるものがあります。
作品は1899年にアントン・スヴェンセンとルドヴィク・ホルム、フレデリク・マルケ、エイレル・ヤンセンの手で試演され、1901年の10月4日にコペンハーゲンはオッド・フェローズ・マンションのホールでゲオルク&エルンストのヘーベリ兄弟を中心にしたヘーベリ四重奏団の手で公開初演がなされました。
なお、試演の弦楽四重奏団のリーダーだったアントン・スヴェンセンは、デンマーク王立管弦楽団のニールセンの先輩格のヴァイオリン奏者ですが、ヨハン・スヴェンセンと血縁関係はない模様。

この第3番の弦楽四重奏曲の演奏は、ブロッホ四重奏団の担当です。
ブロッホ四重奏団は、デンマークのヴァイオリニストであるエールリンク・ブロッホ(Erling Bloch, 1904-1992)が1932年に結成した弦楽四重奏団です。第2ヴァイオリンにはラヴァー・フリースホルム(Lavard Friisholm, 1912-1999)、ヴィオラにハンス・カッソー(Hans Kassow, ?-?)、チェロにトーベン・アントン・スヴェンセン(Torben Anton Svendsen, 1904-1980)が在籍していました。トーベン・アントン・スヴェンセンは、この曲の試演を担当したアントン・スヴェンセンの子息です。
第1ヴァイオリン主導型の演奏スタイルですが、ブロッホのヴァイオリンが少々ラフな分第2ヴァイオリン以下のアンサンブルが精密です。むしろ、ブロッホの荒さが、ニールセンの不撓不屈の精神を体現しているようで、聴き応えのある演奏に仕上がっています。全体的なアンサンブルの精度の高さを重んじる20世紀後半からのスタイルではなかなか出せない味わいだと言えるでしょう。

残り3曲の弦楽四重奏曲は、コッペル四重奏団が担当しています。
第1番は1887年から翌年の作で、1889年の3月16日にコペンハーゲンで試演が行われました。しかし、ニールセンは作品に満足せず、1897年に改訂を施し、1898年2月3日にオッド・フェロー・マンションでアントン・スヴェンセンの率いる弦楽四重奏団により初演されています。
1900年に出版された作品は、デンマーク王立管弦楽団の首席指揮者だったヨハン・スヴェンセンに献呈されています。
作品はヨハン・スヴェンセン好みの19世紀ドイツの音楽を下敷きにしており、ヨハネス・ブラームスの影響が感じられます。
第2番は1890年の作品。出版の都合上、第1番よりも作品番号が若くなっています。この年のニールセンはドイツに旅行に行き、11月18日にヨーゼフ・ヨアヒムの四重奏団が試演しています。1892年の4月8日にアントン・スヴェンセンの率いる弦楽四重奏団により、オッド・フェロー・マンションで初演されています。この作品は、ブラームスの後の世代のアントニーン・ドヴォルジャークの作品に雰囲気が似ており、ニールセンがドイツ周辺の音楽事情に睨みをきかせていたことが推察されます。
第4番は1906年の作で、1907年11月30日にコペンハーゲン四重奏団の演奏でオッド・フェロー・マンションに於いて初演されました。しかし、1923年に改訂が施され、現在の形になりました。
第3番の筋肉質な作りが、ここではより徹底され、和声的にも捻りが加えられています。第2番までの作品とは明らかに作風が異なっているのが分かります。

コッペル四重奏団は、ヴィオラ奏者のユリアン・コッペル(Julian Koppel, 1910-2005)が主催した弦楽四重奏団です。ユリアン・コッペルは、作曲家ヘアマン・ダヴィト・コッペルの弟です。第1ヴァイオリンはユリアン・コッペルの妻エルセ・マリ・ブルーン(Else Marie Bruun, 1911-2007)が第1ヴァイオリンの席に座り、アンドレア・シレゴー(Andrea Thyregod, ?-?)が第2ヴァイオリンを担当しています。ブロッホ四重奏団のトーベン・アントン・スヴェンセンも、この四重奏団にかつて参加していましたが、本録音では、チェロの席にガスパール・カサドの弟子とされるヤール・ハンセン(Jarl Hansen, ?-?)が座っています。コッペル四重奏団の演奏は、ブロッホ弦楽四重奏団のような第一ヴァイオリンが主導するパターンの演奏ではなく、内声部を充実させて厚みのあるアンサンブルを構築するスタイルです。ヴィブラートはあまり多用せず、各パートは非常にすっきり演奏されています。ブロッホ四重奏団のような野趣はないものの、その緊密な響きで無駄のないプロポーションをそれなりに実現しています。

3枚目のCDでは、ヴァイオリン独奏の作品を中心に収めています。
ヴァイオリン・ソナタ2曲は、ヴァイオリニスト志望だったニールセンの自信作です。2曲ともエミール・テルマーニ(Emil Telmányi, 1892-1988)がヴァイオリン・ソロを弾いていますが、第一番のほうはクリスチャンセンが伴奏し、第2番ではヴィクトー・ショアラー(Victor Schiøler, 1899-1967)が伴奏を担当しています。第1番のほうは1895年の作品で、まだ調性音楽の枠組みにとどまっていた時期の所産ですが、かなり主題を労作しているのが伺えます。第2番は1912年の作品で、かなり和声をひねった作品になっており、ただ聴きやすいだけにとどまらない冒険的な作風へと変貌しつつあることが感知できるでしょう。第1番ほど調性感覚の維持にこだわらなくなっています。テルマーニの演奏は、どちらも慎ましやかで上品ですが、クリスチャンセンの伴奏は結構エモーショナルな演奏でした。ショアラーの伴奏は、結構客観的な演奏で、ほどよく作品と距離をとりながら、安定感のある演奏でガッチリとテルマーニの脇を固めています。
ちなみにショアラーは、オーボエとピアノの為の2つの幻想的小品の初演でピアノを弾いていたベンディクスの子息にあたり、コペンハーゲンに生まれ、同地に没した、20世紀デンマークのピアノ演奏の重鎮です。

最後にカイ・ラウアセン(Kai Laursen, 1924-1996)が無伴奏ヴァイオリン曲2曲を演奏しています。
ラウアセンはコペンハーゲンに生まれたデンマークのヴァイオリン奏者。クリスティアン・サンドビーのヴァイオリンを学び、1946年にデンマーク王立管弦楽団のコンサート・マスターに抜擢されました。その後、イェーテボリ交響楽団や南ユトランド交響楽団などのコンサート・マスターを歴任しながら独奏者として活躍しました。
ラウアセンの演奏する無伴奏ヴァイオリン曲のうち、《前奏曲、主題と変奏》は1922年の作品、《前奏曲とプレスト》は1927年から翌年にかけての作品。ヴァイオリニストでもあったニールセンの面目躍如たる曲ですが、どちらもデンマーク音楽界に新機軸を打ち立てるべく奮闘していた時期の作品なので、調性音楽の書法から逸脱しています。晦渋な作品ですが、ラウアセンの演奏は、ひるまず堅調の仕上がりです。ニールセンの娘婿だったテルマーニほどの魅惑の色合いはありませんが、ニールセンの新しい音楽に取り組もうとする意欲は十分汲み取れた演奏と言えるでしょう。

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