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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Carl Nielsen: Violin Concerto in D minor, op.33
Silvia Marcovici (Vn.)
Orchestre National de Montpellier / Yoel Levi
(Rec. 9 November 2001, Opéra Berlioz - Le Corum) Live Recording with Applause
Carl Nielsen: Symphony in G minor, op.7
Orchestre National de Montpellier / Yoel Levi
(Rec. 9 November 2001, Opéra Berlioz - Le Corum) Live Recording with Applause






カール・ニールセン(Carl Nielsen, 1865-1931)は、デンマークの作曲家です。同じくデンマークの作曲家にルドルフ・ニールセンという人がいますが、2人に血縁はありません。
ノーレ・リュンデルセのペンキ職人の息子として生まれたニールセンは、趣味でヴァイオリンを弾く父親に音楽の手ほどきを受け、少年期はヴァイオリンはもとよりホルンやトランペットも演奏していたそうです。また独学で作曲も行い、19歳の時にコペンハーゲン音楽院のヴァイオリン科の入学試験に落ちた時、自分が作曲した作品をニルス・ゲーゼに見せて作曲科への入学に成功しています。音楽院ではガーデの他にヨハン・ペーター・エミリウス・ハートマンの薫陶を受け、23歳で卒業しています。卒業後すぐに弦楽合奏のための小組曲を発表して作曲家として頭角を現しましたが、1889年にデンマーク王立劇場のヴァイオリン奏者となり、ヨハン・スヴェンセンの謦咳に接しています。1908年にはスヴェンセンの後継者として王立劇場の楽長に就任し、1914年まで務め上げました。1915年には母校の理事に就任してデンマーク音楽界の重鎮として活躍し、亡くなる前年には母校の院長にまで上り詰めました。

本CDには、ニールセンのヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番が収録されています。
ヴァイオリン協奏曲は1911年に手掛けた作品で、ニールセンが書いた3曲の協奏曲のうちの最初の作品です。1910年にパリから帰ってきたヴァイオリン奏者のペダー・メラーに演奏してもらうために、1911年の夏頃からエドヴァルド・グリーグ邸に出かけて作曲を始め、グリーグの使っていた作曲小屋を借りてその年の12月に仕上げました。
初演は1912年2月28日にメラーの独奏と作曲者自身の指揮する王立劇場のオーケストラによって、ニールセン自身の交響曲第3番と一緒に行われています。
構成としては、2つの楽章からなり、第1楽章が〈前奏曲〉と題される前半と「アレグロ・カヴァレレスコ」(速く、凛として)と表示された後半に分かれ、第2楽章も「ポコ・アダージョ」(少し緩やかに)と表示された前半部分と、諧謔的なロンドの後半部分に分かれます。
この頃のニールセンは、スヴェンセンらの影響から離れて独自の作風を模索中であり、この作品でもヴァイオリンがヒロイックなメロディを奏でながら、オーケストラが和声の迷宮へ誘うようなそぶりを見せます。

交響曲第1番は1891年から翌年にかけて手掛けられた、ニールセンの完成した最初の交響曲です。
1890年からデンマーク政府の奨学金でヨーロッパを遊学することになったニールセンは、翌年にパリで彫刻家のアンネ・マリー・ブローデルセンと恋に落ち、そのまま結婚しています。こうした生活の充実から生まれた交響曲は、スヴェンセン流の華麗なオーケストレーションと師のゲーゼ譲りの平明なメロディが合わさったような作品に仕上がりました。無論、ニールセンにとって最初の交響曲と言うこともあって、セオリー通りの4楽章構成です。1894年3月14日にスヴェンセンが指揮する王立劇場のオーケストラで初演され、大成功を収めました。作品はニールセンの新妻に捧げられています。

本CDの演奏は、ヨエル・レヴィ(Yoel Levi, 1950-)の指揮するモンペリエ国立管弦楽団(Orchestre National de Montpellier)が担当し、ヴァイオリン協奏曲ではシルヴィア・マルコヴィチ(Silvia Marcovici, 1952-)が独奏として加わります。
レヴィはルーマニアのサトゥ・マーレに生まれた指揮者。イスラエルのイェルサレム音楽院でメンディ・ロダンの薫陶を受け、1978年のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した経歴を持っています。その後はイタリアに行ってフランコ・フェラーラの薫陶を受けたり、キリル・コンドラシンに指導を受けたりして研鑽を重ね、1978年から1984年までクリーヴランド管弦楽団の副指揮者を務めました。1988年から2000年までアトランタ交響楽団の音楽監督を務めて名声を確立し、2005年からイル・ド・フランス国立管弦楽団の音楽監督を務めています。
モンペリエ国立管弦楽団は正式にはモンペリエ・ラングドック=ルシヨン国立管弦楽団といい、1979年にラングドック=ルシヨン地方のモンペリエ歌劇場の専属オーケストラとして、モンペリエ・ラングドック=ルシヨン・フィルハーモニー管弦楽団(通称:モンペリエ・フィルハーモニー管弦楽団)の名称で発足したオーケストラです。1999年に現在の名称に変更して活動を継続しています。
ヴァイオリン奏者のマルコヴィチはルーマニアのバカウに生まれ、ブカレスト音楽院でシュテファン・ゲオルギュに学んだ人。1969年のロン=ティボー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で第2位に入賞して、その翌年のジョルジェ・エネスク国際ヴァイオリン・コンクールで優勝しています。

その演奏内容は、マルコヴィチの出演したニールセンの協奏曲が出色の出来です。
マルコヴィチが奮闘してオーケストラを煽り、第1楽章後半部ではレヴィの棒もシャキッとしています。しかし、第2楽章前半のアダージョでは表現の的を絞れていないのか、オーケストラが散漫になり、マルコヴィチの独奏も求心力が低下します。第1楽章前半はマルコヴィチの独奏に気負いが感じられるものの、全体的には表現意欲が漲っていて素晴らしいもの。もう少しオーケストラに元気があれば、相乗効果が上がったかもしれません。
交響曲のほうは、マルコヴィチのような触媒がいない分、安全運転で終わってしまった感があります。
第2楽章や第3楽章では、その丁寧な演奏ぶりが功を奏し、雰囲気の豊かな演奏に仕上がっていますが、両端楽章での覇気が足りず、全体的なメリハリが不足するため、若々しいはずのこの曲が老けこんでいるように聴こえます。もう少し共演を重ねれば、もっと違った演奏に仕上がったかもしれません。

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