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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Franz Liszt: Piano Concerto No.1 in E-flat major, S.124
◈Franz Liszt: Piano Concerto No.2 in A major, S.125
◈Franz Liszt (arr. Ferruccio Busoni): Rhapsodie espagnole, S.254
Grigory Ginsburg (Pf)
The USSR State Symphony Orchestra / Nikolai Anosov
(Rec. 24 February 1949, Grand Hall of the Moscow Conservatoire) Live Recording with Applause
◈Franz Schubert (arr. Franz Liszt): Ständchen, S.560-7
◈Franz Liszt: La campanella, S.140-3
◈Grigory Ginsburg: Fantasia on a theme of 'Largo al factotum' from Rossini's "Il Barbiere di Silviglia"
Grigory Ginsburg (Pf)
(Rec. 24 February 1949, Grand Hall of the Moscow Conservatoire) Live Recording with Applause



本CDは、1949年2月24日にモスクワ音楽院大ホールで行われたグリゴリー・ギンズブルク(Grigory Ginzburg, 1904-1961)の演奏会を収録しています。演目は以下の通り。
▤ フランツ・リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
▤ フランツ・リスト:ピアノ協奏曲第2番 イ長調
▤ フランツ・リスト (フェルッチョ・ブゾーニ 編):スペイン狂詩曲
w/ ソヴィエト国立交響楽団 / ニコライ・アノーソフ
▤ フランツ・シューベルト (フランツ・リスト 編):歌曲集《冬の旅》から〈セレナーデ〉
▤ フランツ・リスト:パガニーニ大練習曲集から〈ラ・カンパネラ〉
▤ グリゴリー・ギンズブルク:ジョアキーノ・ロッシーニの《セヴィリアの理髪師》から〈俺は町の何でも屋〉によるパラフレーズ
リスト(Franz Liszt, 1811-1886)は、ハンガリー生まれの作曲家で、アントニオ・サリエリに作曲を学び、カール・ツェルニー門下のピアニストとしてヨーロッパ中を股にかけて活躍していました。1831年にはニコロ・パガニーニの演奏に接して超絶技巧を目指すようになり、名技的作品を数多く残しました。
ピアノ協奏曲のジャンルは、生涯に7曲も作ったようですが、10代の頃に作った2つの作品は紛失し、「イタリア風」と題された作品も見つかっていません。「ハンガリー風」と名付けられた作品は、ゾフィー・メンターの名義でピョートル・イリイチ・チャイコフスキーがオーケストラ伴奏を完成させたものとして扱われています。1830年代に作られながら生前公刊されなかった作品は1990年にシカゴで初演されてからピアノ協奏曲第3番として演奏されるようになりました。本CDで演奏される第1番(1830年代-1856年作)と第2番(1839-1861年作)は、リストが生前に公刊を認め、リストの代表作の一つに数えられる作品です。
第1番のほうは、当初伝統的な三楽章構成の作品として1839年までにまとめられましたが、改訂を加えるうちに四楽章構成の作品へと変わり、1855年2月17日にヴァイマールの宮廷でエクトル・ベルリオーズの指揮とリスト自身のピアノで初演した後に改訂を施して出版しています。第3楽章に当たる部分でトライアングルが活躍するので、エドゥアルト・ハンスリックから「トライアングル協奏曲」と揶揄されました。作品はイギリスで楽譜出版商をしていたヘンリー・リトルフに捧げられており、リトルフの作ったピアノとオーケストラの為の交響的協奏曲シリーズの影響が示唆されています。
第2番のほうは1957年の1月7日にヴァイマールで、リスト自身の指揮と弟子のハンス・フォン・ブロンザルトの独奏で初演されています。こちらのほうは1839年より「交響的協奏曲」として作曲が進められていましたが、試行錯誤の末にただのピアノ協奏曲として作曲の筆を進めています。単一楽章の20分に満たない作品ですが、冒頭の第一主題の提示を第一部、快活な第二主題の提示を第二部、それぞれの主題を優美に展開する部分を第三部、さらにダイナミックな展開を見せる部分を第四部、行進曲風に変化する部分を第五部とし、華々しいフィナーレを第六部とする解釈もでき、総括的に分析すると、展開部に意趣を凝らしたソナタ形式の音楽と捉えることができます。初演後もなかなか出版せず、1861年になってようやく決定稿を完成させています。
リストは自分の気に入った作品を編曲して自分のレパートリーに加えるのを好み、多くの編曲が作られています。フランツ・シューベルト(Franz Schubert, 1797-1828)の歌曲集《冬の旅》もピアノ用に編曲し、ここではその中から〈セレナーデ〉が選択されています。また、パガニーニ作品を元にしたパガニーニ大練習曲集からの〈ラ・カンパネラ〉は、パガニーニの元の作品以上のインパクトをもち、リストの人気作として多くのピアニストがリサイタルで弾いています。リストは当時流行のオペラのパラフレーズを沢山作っていますが、その流儀に習い、ギンズブルクもロッシーニ(Gioachino Rossini, 1792-1868)の《セヴィリアの理髪師》で歌われるフィガロのアリア《俺は町の何でも屋》を素材に幻想曲を作り上げています。
2曲のピアノ協奏曲の後に収められているスペイン狂詩曲は、元々ピアノ用に1863年に作ったとされているもの。近年は1858年に作曲されたという説が有力になっています。このピアノとオーケストラ用の編曲はフェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni, 1866-1924)が担当しました。晩年のリストは、ブゾーニの演奏スタイルを好まなかったようですが、ブゾーニはリストを大層尊敬していました。こうしたピアノ曲をピアノとオーケストラ用に仕立て直す方法は、リストも若かりし頃にやっており、ブゾーニの編曲は、そうしたリストへのオマージュとしての意味を持っているものと思われます。

本CDで演奏するギンズブルクは、ロシアはニジニ・ノヴゴロドの銀行員の家に生まれたピアニストです。4歳で一度聞いた音楽をピアノで再現する能力に恵まれたギンズブルクは、母親の手ほどきでピアノを学んだものの、6歳の時に父親の死去の為に家が没落してしまいました。そこでモスクワ音楽院ピアノ科教授のアレクサンデル・ゴリデンヴェイゼルがギンズブルグを引き取り、内弟子として一人前のピアニストに鍛え上げました。1917年にはモスクワ音楽院に入学してゴリデンヴェイゼルのクラスに入り、1922年にペルシムファンスの演奏会でリストのピアノ協奏曲を弾いてデビューを飾りました。1927年の第1回ショパン・コンクールに出場して第4位に終わりましたが、1929年にモスクワ音楽院を卒業してからは母校のピアノ科講師としてゴリデンヴェイゼルを助け、1936年には教授に昇格しています。
ギンズブルクをサポートするのはニコライ・アノーソフ(Nikolai Anosov, 1900-1962)の指揮するソヴィエト国立交響楽団です。指揮者のアノーソフもまた幼い頃から音楽に才能を見せましたが、家の方針で当初は音楽の道へは進まず、農業大学を経て赤軍に入隊し、クロンシュタットの反乱では赤軍として従軍したという経歴の持ち主。語学を堪能にしたことから外務省の官吏にもなりましたが、1920年代半ばからコンスタンティン・スタニスラフスキーのロシア芸術座でピアニストとして働くようになりました。1928年にはモスクワ・フィルハーモニー協会に入会してナターリャ・ロジェストヴェンスカヤと結婚し、アンドレイ・ムトルとアナトリー・アレクサンドロフに音楽理論に改めて音楽理論を学び直しています。1930年にはラジオのクリストフ・ヴィリバルド・グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》の放送で指揮者デビューを果たし、ロストフ・ナ・ドヌやバクーなど地方のオーケストラを指揮して実績を積み、1943年に作曲でモスクワ音楽院の学位をとってからは、同音楽院の指揮科の講師に登用され、オペラやオーケストラの指揮法の教授として多くの門弟を育てました。チェコやポーランド、中国やベルギーなどにも演奏旅行をし、息子ゲンナジーが指揮者として活動するに当たって、父と比較されるのを避けるために母親の姓をもらったほどの名声を持っていました。
本CDに収録されている音源の録音状態は、ピアノ協奏曲第1番で多少音にたるみが生じるものの、なかなか鮮明なもの。この音源はギンズブルクが個人で保管していた音源とのことで、奇跡的な保存状態だったといえるでしょう。演奏は、ギンズブルクの技巧のキレは流石の仕上がりですが、ハンガリーのジョルジ・シフラのように聴き手を追いたてる感じはなく、大人の余裕すら感じさせます。
ピアノ協奏曲第1番はオーケストラが浮足立っていて音色のブレンドが粗いものの、ギンズブルクの精緻なピアノはあまり影響を受けず、思わず居住まいを正させる品の良さがあります。大雑把なオーケストラも、要所要所ではギンスブルクのピアノのダイナミズムに同調し、それなりの手応えを感じさせます。
第2番の協奏曲に至って、アノーソフの統率がきっちり取れるようになり、ギンズブルクのピアノと一体化した名演奏になります。夢のまどろみのような出だしから音楽の相貌の千変万化が楽しめ、それでいて受け狙いらしさが綺麗に洗い流されています。スペイン狂詩曲では、ややオーケストラに雑味が残るものの、音楽の勇壮な勢いが加わり、支配者の理不尽に憤りの声を上げる民衆のような力強さがあります。ギンズブルクは、その力強さの先陣に立ち、フィナーレで見事なクライマックスを築き上げています。
シューベルトの〈セレナーデ〉で密やかな世界を現出させ、〈ラ・カンパネラ〉でスワロフスキーのクリスタル細工のような煌めきでオーケストラとの共演で聴かせた熱情とのコントラストを作り上げるあたりも、ギンズブルクのプログラミングの巧みさが際立ちます。結果として、ギンズブルクは単なる超絶技巧家ではなく、超絶的な技巧曲から死を紡ぎだすことのできる希有なピアニストとしての印象付けに成功しています。そのため、最後のロッシーニの幻想曲は、単なる技巧のひけらかしにならず、楽しい演奏会だったという余韻に浸ることが出来ます。

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